草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本文明と中国文明は異質だ

2022年11月02日 | 自衛隊
 我が国は重大な岐路に差し掛かっている。サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』(鈴木主税訳)の「日本語版への序文」において、日本の特殊性について論じており、それは貴重な提言である。
 ハンチントンは「日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである」と書いている。つまり、隣接している中国文明とも異なり、どこの文明とも結びつきが深くないために、「日本は他の国々がもちえない行動の自由をほしいままにできる」というのである。
 ハンチントンの文明論によれば、国益というよりも、どこの文明に属するかで、 国家の方向性が決まる。唯一日本のみが「文化的な紐帯ではなく、安全保障および経済的な利害によって形成されることになる」と指摘したのだ。
 だからこそ、日本が国際的な存在になって以降、第一次世界大戦前のイギリス、大戦間の時代のファシスト国家、第二次世界大戦後のアメリカと手を結んできたというのが、ハンチントンの見方なのである。
 その見方に立脚すれば、東アジアで中国が覇権国家としての地位を築けば、それ相応の対応を迫られることになる。しかし、中国への傾斜は、中国文明に服属することを意味し、自由と民主主義を手放すことである。安全保障上の観点からも、アメリカとの関係を重視するしか選択肢はない。
 これまで同様にアメリカとの同盟を維持するためには、いざというときに、アメリカが日本を守ってくれるかという確約がなければならない。それが無理ならば、日本は独自の軍備拡張を目指すしかないのである。
 すでに、日本に対する中国のサイレント・インベーションは、各界各層に及んでいる。それを阻止するのは困難になってきており、我が国はどこまで、その特殊性を生かせるかなのである。
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アベガ―に加担した岸田首相の勇み足

2022年11月01日 | 政局
 旧統一教会をめぐる岸田内閣や自民党の対応は、あまりにもワイドショーを意識過ぎたことで、かえってぶざまなことになってしまった。共産党以外は、どこの党も関係があったのであり、それを反転攻勢の材料にすればよかったのである。
 去る8月10日の第二次岸田内閣の発足にあたって岸田首相が、旧統一教会との接点あるなしを考慮した布陣にしたというのは、あまりにも短絡的な物言いであった。
 マスコミの一部野党のアベガ―に加担して、党内保守派の安倍派外しをしただけであった。しかし、実際は林外相や、側近中の側近である木原官房副長官も、無関係ではなかったことが明らかになり、超特大のブーメランとなったのである。
 岸田首相が大見得を切ったことで、今さら軌道修正をすることはできず、茂木幹事長は去る26日に、所属国会議員と都道府県連に対して、旧統一教会ばかりでなく、その関連団体も含めて「関係を遮断するように」との通達を出したのである。
 国会の場で、山際前経済再生担当相に向かって、立憲の打越さく良参議院議員が質問をして、顰蹙を買ったが、それと同じことを自民党は行ったのである。
 自分を応援してくれる支持者の信仰を調べて、旧統一教会は排除しろというのである。まさしく信教の自由を踏みにじる暴論である。そんなことは断じて許されないのである。同教団の信者であっても、政治活動の自由は保障されなくてはならないからだ。
 旧統一教会をめぐっては、法にのっとって粛々と判断するしかないのである。もうここまでくれば、裁判所の判断を待つべきであり、政治が判断すべき案件ではないのである。
 しかも、「マインドコントロール」や「カルト」の定義をどうするかという問題も、簡単には決着が付かない。マルクス主義の哲学者であった梅本克己ですら「人間は人間だけで自立できるとおもうその傲慢さが、どんな報いをうけるかという事実をぬきにして、宗教の真理を語ることができないというのが、信仰の中で人間的なものをまもってきた人びとの告白であって、これもまた否定することのできない事実である」(『現代思想入門 現代とは何か』)と書いているからだ。
 旧統一教会を擁護するつもりはないが、そこの信者というだけで排除されるというのは、あまりにも異常である。北朝鮮などに資金を流しているのでは、との疑惑は解明される必要があるが、それだからといって、人権を無視していいという理由にはならないのである。  
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