昭和45年11月25日の三島由紀夫・森田必勝両烈士の自刃の翌年から、11月がめぐってくるたびに、僕は決まって三島さんの死を意味を考えてきた。黒ヘル全共闘の末端の僕であろうとも、その死はあまりにも衝撃的であったからだ。
あの70年代前後は、若者を苛立たせていたのは、国家たりえない日本への不満であった。それが極左の暴動を引き起こしたのである。国家意思を否定されたものたちの、攘夷としての反体制であった。
そんななかで三島さんは、日本人のなかに眠っている国柄を、「文化的天皇」として私たちに示すとともに、それが変革の原理たることを訴えたのである。
あれから夥しい歳月が経過した。しかし、戦後の日本は、国家としての根本である交戦権を憲法によって否定され、あろうことか、核を保有した近隣諸国に脅かされる始末である。
佐伯啓思氏が『日本の宿命』で書いた文章を、今こそ思い起こすべきだろう。
「三島にとっては、戦後とは、戦前に大義とされたものをすべてひっくり返して平然とし、自ら進んで敵国アメリカに平伏し、戦死者たちへの背信を8月17日革命などといって合理化し、天皇を週刊誌のネタにして恥じない精神の蔓延以外の何ものでもなかったのです。そこに何らの疚(やま)しさを後ろめたさを感じなくなり、それどころか、その『戦後』をこそ理想社会へのとっかかりであるかにみなす精神こそ不道徳きわまりないものだった」
しかし、ようやく日本人は目覚めるときが到来したのである。アメリカ頼みではなく、自分たちの手を祖国を防衛する必要性に迫られ、そこで国家としての日本が問われているからだ。同盟国となったアメリカも、それを望むようになってきたのだ。
三島さんは予言者であった。今日の私たちが、何をすべきかを、自らの死を通して教えてくれたのである。
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