草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

三島事件と自衛隊の蹶起

2022年11月10日 | 自衛隊
 現在の日本の惨憺たる状況を目の当たりにすると、三島由紀夫が絶叫したごとく、昭和45年11月25日が唯一のチャンスだったのかも知れない。もはや手遅れになったしまったのではないか。
 国軍たりえない自衛隊は、現在も米国の傭兵にとどまっている。安倍元総理の努力で日米安保条約が強化されても、日本が他国から侵略された場合に、米国が守ってくれるかどうかも、はなはだ心もとない。ウクライナに対してそうであるように、せいぜい武器を援助する程度ではないか。
 あのときは敗戦から25年しか経過していなかった。戦争体験者が圧倒的であり、まだまだ現役であった。中国は今とは違って覇権を目指すような大国にはなっていなかった。もし自衛隊が蹶起して、憲法を改正していれば、菊と刀は結びつき、自衛隊には栄誉の大権が与えられたに違いない。昭和20年8月15日を境にして、日本の歴史は分断されることもなく、かけがえのない連続性は保たれることになったのである。
 三島由紀夫を狂人扱いにし、憲法改正を怠ってきたがために、そのツケが回ってきているのだ。「諸国民の公正と信義に信頼して」というのは、あまりにもどうかしている。
 三島由紀夫は2・26事件について、あくまでも「希望による維新であり、期待による蹶起だった」(「『道義的革命』の論理」)と書いた。大御心に待つというのは、自分たちの大義を時の権力者から認めてもらうことにほかならない。
 それを理解しなければ、三島の本当の狙いが分かったことにはならない。文学的な死として位置づけられてしまっているのは、それを誤解しているからなのである。
 自衛隊の蹶起など、あのとき以上に困難である。国内の分断が進むアメリカは、誰が大統領になっても、東アジアから撤収するだろう。国の大本を見失ってしまった日本が、目前に迫った危機を乗り切るにはどうすべきか。もはや検討などしている時間は残されていないのである。
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立民と維新の献金に関する救済案を嗤う

2022年11月09日 | 思想家
 政治は信仰に干渉すべきではない。立憲民主党と日本維新の会がまとめた、悪質な商法・献金などの被害者の救済案は、あまりにも暴論である。年収の4分の1を超える額を差し出すことを「特定財産損害誘導行為」と規定するにいたっては、開いた口がふさがらない。
 そこまで政治が立ち入る必要があるのだろうか。あくまでも商法上の問題として、返還を要求することができるといった項目で対応すべきではないか。個々の人間の信仰について、世俗的なレベルで裁いてはならないのである。
 そうであれば、『福音書』(塚本虎二訳)マタイ第19章16節で「金持の青年」にイエスが語ったことは、明らかに「特定財産損害誘導行為」の法に触れてしまうのではないか。
 ひとりの人がイエスの所に来て尋ねた。永遠の命を得るにはどんな善いことをすればいいかを。イエスは神の掟を守ることばかりではなく、全財産を捨てることを命じられたのである。
「完全になりたければ、家に帰って持ち物を売って、その金を貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい」とおっしゃったのである。
 荒井献が『イエスとその時代』で書いているように、イエスは、その一方で、民衆の病気を治し、社会に復帰する手助けをされた。人によって違った言葉を吐かれたのは確かではあるが、「金持ちの青年」に向かっては、信仰の厳しさを説かれたのである。
 イエスは「金持ちが天の国に入ることは難しい」とも述べておられる。自由に財産を処分することができるというのは、近代市民社会の原則であり、それを踏みにじることは許されないのである。
 私のように宗教に無縁な者であっても、ワイドショーに媚びる政治家には嫌悪感しか抱かない。いかなる宗教であろうとも、法と正義に反しない限り尊重しなくてはならず、私たちは、人の子としての謙虚な姿勢を失ってはならないのである。
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三島さんが望んでいたのは日本を取り戻すことだ

2022年11月08日 | 思想家
 昭和45年11月25日の三島由紀夫・森田必勝両烈士の自刃の翌年から、11月がめぐってくるたびに、僕は決まって三島さんの死を意味を考えてきた。黒ヘル全共闘の末端の僕であろうとも、その死はあまりにも衝撃的であったからだ。
 あの70年代前後は、若者を苛立たせていたのは、国家たりえない日本への不満であった。それが極左の暴動を引き起こしたのである。国家意思を否定されたものたちの、攘夷としての反体制であった。
 そんななかで三島さんは、日本人のなかに眠っている国柄を、「文化的天皇」として私たちに示すとともに、それが変革の原理たることを訴えたのである。
 あれから夥しい歳月が経過した。しかし、戦後の日本は、国家としての根本である交戦権を憲法によって否定され、あろうことか、核を保有した近隣諸国に脅かされる始末である。
 佐伯啓思氏が『日本の宿命』で書いた文章を、今こそ思い起こすべきだろう。
「三島にとっては、戦後とは、戦前に大義とされたものをすべてひっくり返して平然とし、自ら進んで敵国アメリカに平伏し、戦死者たちへの背信を8月17日革命などといって合理化し、天皇を週刊誌のネタにして恥じない精神の蔓延以外の何ものでもなかったのです。そこに何らの疚(やま)しさを後ろめたさを感じなくなり、それどころか、その『戦後』をこそ理想社会へのとっかかりであるかにみなす精神こそ不道徳きわまりないものだった」
 しかし、ようやく日本人は目覚めるときが到来したのである。アメリカ頼みではなく、自分たちの手を祖国を防衛する必要性に迫られ、そこで国家としての日本が問われているからだ。同盟国となったアメリカも、それを望むようになってきたのだ。
 三島さんは予言者であった。今日の私たちが、何をすべきかを、自らの死を通して教えてくれたのである。
 
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虎ノ門ニュース終了後のネット民の動向

2022年11月07日 | ネットの世界
 虎の門ニュースが終了するという。これもまた時代の流れではないだろうか。よくいわれるように、ネット民の関心は、2チャンネルから始まって、チャンネル桜、そして、虎ノ門ニュースと変遷してきた。絶えず新たなもの支援してきたし、その流れは今後も変わらないはずだ。
 DHC一社がスポンサーというのも、継続を難しくした理由ではないだろうか。よくここまで頑張ってきたと思う。個人で動画をアップできる時代になったために、ビジネス的にも意味をなさなくなってきたのだろう。ある程度有名になれば、出演者がそれぞれ個人で○○チャンネルをできるわけだから、再生回数が減少するというのは、仕方がないことである。
 それ以上に問題であったのは、誰に話をしてもらうかという人選ではなかっただろうか。専門家でもない人たちがいくら喋っても説得力がないからだ。それはイデオロギー以前のことである。オールドメディアのテレビや新聞では伝えないことを、虎ノ門ニュースが取り上げてくれたのは確かである。その意味では感謝であったが、若干の物足りなさも感じたのも否めない。
 僕が最近注目しているのは、ディリーWILLである。できるだけテーマを一つに絞り、専門家に語ってもらうというのがいい。時間も30分で十分なのである。WILLという月刊誌のPR的な面があるとともに、ゲリラ的にオールドメディアに対峙できるからだ。
 闇のクマさんも面白い。時事ネタを扱っているわりには、エンターテイメント的な要素もあるからだ。やたらにアップするという手法も、ネットでしかできないことである。
 ビジネスモデルという言葉は好きではないが、ネット民のターミナルは一定程度の役割があるし、収益にも結びつくのではないだろうか。公文俊平が言っていたように、いよいよ智民化したネット民が牽引する時代が幕を開けるのである。
 
 
 
 
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『日本は核武装すべきだ』と説くエマニュエル・トッド

2022年11月06日 | 安全保障
 今日の日曜報道THEPRIMEにエマニュエル・トッドが出演していた。そこでトッドが日本の核武装に必要性について話したことの意義は大きかった。
 トッドは名著『帝国以後』(石崎晴己訳)の「日本の読者へ」のなかでも、明確に言い切ったわけではないが、遠回しにそのことを述べていた。今から19年前のことである。
「もしアメリカ合衆国の外交的・軍事的無責任性が今後ますます確実となっていくとしたら、日本が軍事的。戦略的により自立的でないことを、もっと明確な言い方をするなら、世界の均衡の再編成によりよく参画するためによりよく武装されていないことを、ヨーロッパ人たちは大いに悔やむことになるかも知れない」と書いていたのだ。その時点では、広島や長崎のこともあり、深くは言及しなかったが、今回の発言と大差ないのである。
 それは一つの見識ではないだろうか。このまま中国の属国になり、我が国の分断が深刻化するよりは、核武装をして自立の方向に一歩踏み出せば、混乱は最小限におさえられるからだ。中国との付き合いも対等の関係となり、最悪の事態は避けられるかも知れない。その部分をトッドは重視しているのだ。
 これまでの日本の防衛外交は、米国一辺倒で事足りた。しかし、今後はそうではない。日本自身の力で舵取りをしていかなくてはならないのだ。トッドの主張を無視すべきではないのである。
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自衛隊の戦力を知った上で防衛力の増強を!

2022年11月06日 | 自衛隊

 最近は誰もが防衛力の強化を口にするようになったが、実際に何をどうすればよいかについては、判断材料がないために、大部分の人は抽象論にとどまっている。私たちが目を通すべきは『自衛隊新戦力図鑑2022ー2023』ではないかと思う。
 今の自衛隊の装備がどうなっているか、分かりやすく解説されているからだ。とくに読みごたえがあったのは、南西諸島に廃部が進む陸上自衛隊の12式地対艦誘導弾である。すでに2014年から採用されているが、命中精度が向上し、射程も延伸され、敵の妨害電波にも強くなったという。当然は、アメリカからトマホークを購入して対処するとしても、スタンド・オフ・ミサイルとして期待を集めており、射程を1000キロ以上にすれば、我が国の反撃能力は格段に高まるとみられている。一日も早く実現すしなくてはならない。
 また、航空自衛隊の主力戦闘機であるF15Jについても、現状がどうなっているかを克明に描いている。現在200機が運用されている。アメリカではお払い箱になる機種であるが、70年代に入カツされたにもかかわらず、電子装置の換装や、空対空の戦闘能力を強化するなどの改良を重ねることで、次期主力戦闘機が登場するまで、日本の空の守りを担うことになっている。問題になっているのは、多様化改修計画があるにもかかわらず、改修の初期費用が高騰していることで、その計画そのものが頓挫しつつあることだ。防衛力強化の目玉にすべきではないかと思う。
 尖閣や先島諸島が有事になった場合には、海上自衛隊の潜水艦が活躍が期待されるが、現在は「たいげい型」が任務に就いており、22隻体制となっている。搭載バッテリーをリチウムイオン電池にしたことで、航行自由度も高く、航続期間も長くなった。ハープ対艦ミサイルも装備しており、対地攻撃にもl転用できる。
 陸上自衛隊の注目は、最大時速100キロで移動できる16式機動戦闘車である。輸送機や輸送艦での運搬も可能で、都市部や島嶼部での火力支援が目的である。武装も105ミリライフル砲ということで、普通の戦車とそん色がない。
 現状を踏まえて、どこに力を入れるべきかなのである。いうまでもなく、継戦能力を高めることは最優先されなければならないが、装備に関しても無関心ではいられないのである。 

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岸田支持の読売新聞も悲鳴

2022年11月05日 | 政局

 岸田首相の応援団である読売新聞の予定では、こんなはずではなかった。安倍色を一掃して、黄金の三年間とやらを謳歌するはずであったが、そうは問屋がおろさなかった。
 旧統一教会をめぐつては、岸田首相は、裁判所に解散を求める手続きをするかのようなことを言ったかと思うと、急に弱腰になったりで、首尾一貫していない。
 安全保障に関しても、どこまで防衛力を増強するつもりか、覚悟のほどが見えてこない。防衛の専門家を入れない有識者会議の諮問を尊重するようでは、財務省の言いなりになりかねない。財務省は国民の命などどうでもいいのである。自分たちの既得権益を守るために、増税ばかり口にしている。
 これではいくら読売新聞であっても、弁護のしようがないようだ。今日の社説では「首相は政権の足元を固め直せ」と檄を飛ばしている。旧統一教会については「心の問題は切り分けて考えるべきだ」というのは当然であり、岸田首相が前のめりになっている理由が分からない。
 党との関係でも苦言を呈しているが、あまりにも財務省に忖たくし過ぎである。官邸主導で政治をどんどん前に進めるべきなのである。
 とくに、経済と安全保障では、政治の決断が大事である。「首相は、政策で結果を示すことが不可欠だ。物価対策に着実に取り組むとともに、深刻な安全保障環境を踏まえ、防衛力を強化していかねばならない」との読売新聞の主張に岸田首相は耳を傾けるべきなのである。

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米軍のF15撤退は東アジアを不安定にする

2022年11月04日 | 安全保障

 虎ノ門ニュースに出演する識者まで、嘉手納からの米軍のF15の撤収を甘く考えているが、中国に誤ったメッセージ出すというので、米国でも物議をかもしており、楽観視すべきではない。
 バイデン政権は空軍力の整備を怠ってきた。このため戦闘機が足りなくて、中国の抑止力となっているF15が老朽化しても、それに取ってかわる戦闘機部隊を配備できないのだ。アラスカからF22を周遊させるというのは、数が足りないからなである。
 F22がいくら優秀でも、米軍全体で200機に満たないのだ。しかも、高性能であることは、整備に手間がかかる。稼働率がどうなのかも問題である。さらに、米軍の数少ない虎の子を、中国の中距離ミサイルの射程圏内に置くとは考えられない。
 残念なのは、多くの自衛隊関係者も、それを認めたがらないことだ。米国のオースティン国防長官の発表を鵜呑みにしてしまっているのだ。
 エアポケットがてきないように、航空自衛隊の戦闘機を増強しなくてはならない。退役するF15を20機ほど購入することも検討すべきだ。ここ1、2年が勝負なのである。
 日本も次期戦闘機の開発を計画しているが、第一線に展開するには時間がかかる。そこまでの余裕ははない。危機感を抱いているのは、闇の熊さんなど限られているが、もっと深刻に考えなくてはならないのである。
 
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我が国の科学技術の総力を挙げて防衛力の強化を

2022年11月04日 | 自衛隊
 日本はミサイルの開発技術については、世界最高水準である。監視衛星を打ち上げることなどは、お茶の子さいさいである。我が国にミサイルを撃ち込んできそうな外国の情報を収集することは、何ら専守防衛の原則には反しないから、すぐにでも行うべきである。
 さらに、高橋洋一氏も言っていたが、監視衛星というのは、ある意味では大陸間弾道弾と同じである、何を積んでいるかの違いだけだ。ミサイルを制御する技術も日本にはある。どこに落とすかも自由自在であり、いつでも軍事に転用できるのである。
 これまでは憲法上の制約でブレーキがかかっていたが、日本が安全保障上の危機に直面している今となっては、あらゆる面で、国家として身構えなくてはならない。日本を取り巻く事態は大きく変わってしまったのだ。
 反原発の人たちは、日本にある原子力発電所が敵対国のミサイルのターゲットになるから、安全保障上の大問題だと騒いでいるが、それは我が国に仇なす国家についてもあてはまる。日本が核武装しなくても、核攻撃をしてきた国家の原子力発電所を、日本が新たに開発するスタンド・オフ・ミサイルで破壊すればいいのである。それをする力があれば、我が国の抑止力を一段と向上することになる。
 自衛隊が今も保有している12式地対艦ミサイルも、できるだけ早く射程を伸ばし、21隻ある潜水艦が水中から発射できるようにすればいいのだ。
 あまりにも現実が厳しいので、左翼の平和ボケはだんまりを強いられている。公正と信義を重んじる国家など、日本の周辺には存在しないからだ。逆に気がかりなのは、少ない予算で精一杯やってきた自衛隊関係者の強がりである。それよりは「大変だ」「大変だ」でいいのである。一日も早く、日本は名実ともに強い国家に生まれ変わらなければならないのだから。
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習近平の侵略の思想を侮ってはならない

2022年11月03日 | 思想家
 今の習近平の中国は一筋縄ではいかない。「超限戦」を公言しているように、何を考えているか、まったく見当が付かない。台湾を侵略するにあたっても、あくまでも国内問題と位置づけ、国家間の戦争という形式にこだわらないとなれば、それは国際法を無視した暴挙がまかり通ることになるのではないか。
 カール・シュミットが『パルチザンの理論』(新田邦夫訳)で述べているような意味で、習近平の考え方の根本には、国際法にのっとった国家間の戦争というよりは、レーニンや毛沢東が先鞭を付けた「絶対的な敵」を抹殺するという思想がある。それを達成するためには、あらゆる手段が正当化されるのである。
 昭和12年の支那事変以降我が国は、泥沼の戦争に巻き込まれたが、それで誰が得をしたかというと、毛沢東の中国共産党である。日本軍と蒋介石の国民党軍が戦うことで、双方が消耗し、その間隙を縫って、自分たちの勢力を拡大させたのである。ある意味では、日本軍も利用されてしまったのだ。
 マルクス主義者の多くは、下部構造としての経済に政治や軍事も依存すると公式論を振りかざすが、レーニンや毛沢東はクラウゼヴィッツの『戦争論』の愛読者であり、どうすれば勝つかを最優先させ、そこに活路を求めたのである。
 迫りくる危機を前にして、私たちは、軍事的に正面装備を整えるばかりではなく、内戦にも備え、思想戦においても対等に渡り合う必要がある。
 シュミットによれば、パルチザンの4つのメルクマークは「非正規性」「遊撃性」「激烈な政治的関与」「土地的性格」である。とくに、シュミットが重視するのは「土地的性格」である。それが抵抗者としての本来のパルチザンの姿であるからだ。
 習近平の侵略の思想は「土地的性格」を失っており、東アジアで覇権を確立するために台湾を呑み込もうとしている。毛沢東の理論で武装した凶暴な国家であることを、私たちは肝に銘じるべきなのである。
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