創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

連載小説「Q」34

2020-05-12 06:26:19 | 小説
連載小説「Q」34
「楽しかった。手計算とコンピューターの結果がぴったり合った時は嬉しかった。いつの間にか二人いた仕事場が事務員が一人で一日一時間ほどの仕事量になったんや」
「すごいですねえ」
「せやけど今はちゃうなあ。コンピューターに使われてる。出来たもんの上で踊ってるだけや。一人一人がコンピューターをポケットに入れてる時代やもんなあ」
二人とも話の穂が継げない。
ぼんやりとテレビの画面を見ている。
急に順平は、『枕草子』のCDを青年に見せてやりたくなった。
順平は七十才になる前の三年間ほど『枕草子』の電子訳に夢中になった。
そして、七十歳の時にCD付きの本を自費出版した。
自分では画期的な本だと思っている。
今も思っている。
「『枕草子』って知ってはるか」
テレビでは、『愛慕』がボール遊びをしていた。
「学校で習いました。「春はあけぼの」しか覚えてませんけど」
「それや、それ」
順平はCDを坐卓の上に置いた。
「パソコンに入れて」
光一のノートパソコンを指さした。
連載小説「Q」#1-#30をまとめました。


連載小説「Q」33

2020-05-11 07:03:24 | 小説
連載小説「Q」33
順平は頭の中に色々な仕事仲間を浮かべた。
今はその誰とも会うことはない。
一度別れたら二度と会うことはない。
――ほんまにそんなことがあったんかいな
と、不思議な気になる。
医事課からやって来たHさんは、算盤が出来なかった。
電卓専門だったから、人差し指のHさんと呼ばれた。
あの時代は算盤の時代だった。
ほとけのHさんとも呼ばれて好かれていたが、仕事では、随分軽視されていた。
薬品管理室はその点働きやすかった。
田代順平といういやな男がいる以外は。
確かに、Hさんにひどいことを言った覚えがある。
今の順平からは想像できない意地悪もした。
Hさんは今どうしているのだろう。
人伝にでも聞くことはない。
Hさんは台帳一枚一枚を集計していく。
薬価を掛け、納入価を掛け、それらを集計して帳票を作る。
Hさんは電卓に没頭していた。
その横で順平は、彼の仕事を一行一行コンピューターに命令していた。
連載小説「Q」#1-#30をまとめました。


連載小説「Q」32

2020-05-10 06:23:46 | 小説
連載小説「Q」32
「君は、エヌはちはちベーシックって知ってるか?」
 光一は唐突な質問に順平の顔を見た。
「知りません」
「プログラムを組んだことは?」
「ないです」
「そんな必要あらへんもんなあ」
「田代さんはコンピューター関係のお仕事をされていたのですか」
「いいや、薬剤師や。算盤が出来ひんよってパソコンを使うたんや」
「算盤は公文(くもん)で習いました。小学校一年の時です。ひと月で止めましたが」
「へえ、公文は算盤もやってるんか。公文先生には、高校で数学を習(なろ)た」
「公文先生?」
「公文式の元祖や。あの時から小学生に微積分を習わしてる言うてたなあ。牛乳瓶の底みたいな眼鏡かけてた。答えが出たら、方法は何でもええ言うとった」
 光一は黙って聞いていた。
「こんな話おもろいか」
「勉強になります」
 ――マニュアルにあった。客が昔話を始めたら真剣に聞くこと。
同意を求められたら、「勉強になります」と言うこと。
連載小説「Q」#1-#30をまとめました。

連載小説「Q」31

2020-05-09 06:18:04 | 小説
連載小説「Q」31
「名前は?」
「まだありません。お客様がつけて下さい」
光一が言った。
「コロにしよう。昔この辺は家も少のうてなあ。用心悪いさかい言うて、親に押しつけられて飼った犬の名前や。ほっとらかしにして、死んでしもた。40年以上前の話やけど。こいつは死なんわな」
「ええ」
と、光一は短く答えた。
 ――年寄りを騙していないか?
という疑念が心に浮かび上がってきた。
金属のかたまりを犬と称する偽善。
電子の脳が演出する心。
先輩に打ち明けると、
――お前はあほか」
と、言われた。
――お客様も了解済みだよ」
「コロ」
順平の声に光一は我に返った。
コロは、尻尾をふりながら順平に近づき、甘えた声で鳴いた。
順平はコロの頭を撫でた。
盛んに尻尾を振る。
順平は他のことを考えた。
人との会話の時、他のことを考えるのは順平の癖である。
だから人との交流が上手くいかない。
唐突に話題を変えて、人を驚かせる。
光一も自分から話の穂を継ぐことはしない。
二人とも沈黙はそれほどいやなものでない。
順平は四十年前のことを思い出していた。 
順平は薬品管理室にいた。
前の薬局長の自慢の薬品在庫管理だった。
帳簿は一薬品一枚のカードで管理されている。
全品目のカードが、円形の回転する装置に入っている。
そこからガラガラと音を立てて目的のカードを取り出す。
入出残を伝票から記入する。
月締めは、それらを全て集計する。 
薬剤師一人と事務員一人がかかりきりだった。
月末には長時間の残業になった。
その仕事を順平が一人でコンピューター化した。
コンピューターはNECのPC-9800、プログラミング言語はN88-BASIC。
連載小説「Q」#1-#30をまとめました。

連載小説「Q」30

2020-05-08 06:12:58 | 小説
連載小説「Q」30 
私はセールスマンです。『愛慕』というロボットを売っています」
「あいぼ?」
「現物を持って来た方が早いですね」
光一は玄関に行き、キャリーバッグから『愛慕』を引っ張り出した。
小脇に抱えて、鞄と一緒に居間に戻った。
光一が頭を撫でると、『愛慕』は歩き出した。 
順平は『愛慕』をぼんやりと見ていた。
「おもちゃのセールスですか」
『愛慕』は「ワン」と一声ないた。
老人は少し驚いた顔をした。
「嬉しい時の泣き声です」
光一が言った。
「ワァン」
「甘えたい時の泣き声です。頭を撫でて下さい」
順平が頭を撫でると、『愛慕』は尻尾を振った。
光一はマニュアル通り喋っているのに気づいていた。
「テレビをお借りしても良いでしょうか」
順平が頷くと、
光一はノートパソコンをテーブルに置いてテレビと接続した。
テレビの画面に『愛慕』が映し出される。
『愛慕』のデモンストレーションが始まった。
順平はテレビの方を見ずに実物を見つめている。
テレビの画面は『愛慕』が眠っている動画だ。
窓には星が輝いている。
「夜になると眠ります。お腹が空くと電気を食べに行きます」
光一が言った。
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連載小説「Q」29

2020-05-07 05:52:39 | 小説
連載小説「Q」29
光一は急いで名刺を差し出した。
順平は名詞を一瞥しただけで坐卓に置いた。
「今、冷麺を作るところやったんやけど」
「冷麺ですか」
「冷蔵庫の中にある。作ってくれるか。なんや邪魔くそうなって、パンでも囓っとこか思てたんや。一袋二人前やろ。あんたも食べたらええ。ハムと錦糸卵入れたらおいしいよって」
順平は、昼食をうどんから冷麺に変えた。
かくして光一は冷麺を作る羽目になった。
光一は楽しかった。
多分就業規則違反だろう。
食べさえしなければ、少しは軽くなるかもしれない。
麺を茹で、氷で締める頃には、その決心も揺らいできた。
「あんた上手やなあ」
「よく作るんですよ」
「そうか、ほな食べよか」
「いただきます」
見知らぬ人と食べる冷麺は旨い。
「人とご飯食べるの何日ぶりやろ」
順平は言った。
光一が後片付けに立つと、
「そこに置いといてもろたら後で洗うよって」
光一は、さっさと中華皿を洗った。
連載小説「Q」#1-#20をまとめました。


連載小説「Q」28

2020-05-06 06:25:30 | 小説
連載小説「Q」28
「上がりなさい」
思わず順平は言った。
光一はぺこりと頭を下げた。
キャリーバッグと荷物は玄関に置いたまま、順平の後に従った。
家の中は別世界だった。
老人の足もとはおぼつかない。
時々壁に手を置いた。
「この奧が風呂場や。体を拭いたら、かまへんからタオルは畳んであるのを使(つこ)たらええ」
光一は顔を洗った。
次にしわくちゃになったハンカチを洗い、思い切り絞り、顔と首筋と胸を拭いた。
タオルは使わなかった。
そして、鏡に映っている自分の顔に笑顔を投げた。
 ――天使に会った。
風呂場を出ると、廊下を挟んで居間になっていた。
坐卓があり、その前に老人が座っていた。
麦茶の二リットル入りが置いてあり、ジョッキがある。
老人は、光一に坐るように促した。
「麦茶しかあらへんけど。どうぞ」
 光一はジョッキに麦茶を注ぎ、一気に飲み干した。
「もう一杯いただきます」
「どうぞ。買い置きもあるから遠慮せんと飲み。ところで……」
老人は言った。
「君は誰ですか?」
連載小説「Q」#1-#20をまとめました。


連載小説「Q」27

2020-05-05 06:11:58 | 小説
連載小説「Q」27
短時間眠ったのかもしれない。
不意に起こされた。
インターホーンが鳴っている。
何かのセールスだろう。
二、三回放っておけば諦めるだろう。
順平はテレビに目をやった。
しかし二回目は鳴らない。
奇妙な間が生じた。
老人は咄嗟に動けない。
座卓に両手をついてゆっくりと立ち上がった。
モニターに青年が映っている。
知らない顔だ。
何かのセールスのようだ。
停止ボタンを押そうと思ったが、何故かためらった。
通話ボタンを押す。
青年は何度も手で顔を拭った。
したたり落ちる汗がモニター越しにでも見える。
朝から高温警報をテレビは繰り返していた。
 ――はい
順平は言った。
 ――S会社から来ました
 ――少々お待ちを
玄関の戸を開けると、熱風が吹き込んできた。
訪問者の半袖のカッターシャツは絞れるほどに汗で濡れていた。
その上彼は律義にネクタイを締めている。
連載小説「Q」#1-#20をまとめました。


連載小説「Q」26

2020-05-04 06:19:40 | 小説
連載小説「Q」26
今日一日も無為のまま終わるのだろうか。
朝食を済ますと、薬を飲む。
小一時間かけて新聞を読む。
食事の後片付けをして、コーヒーを飲んだ後は、横になって、便意が来るのを待つ。
 ――排便はとても大事な仕事だ。
今朝はうまく出た。
誕生日も同じタイムスケジュールで進むだろう。
後の予定。
昼食。
午後一時 郵便物を取りに行く。
午後四時 夕刊を取りに行く。
蒲団を敷く。 
風呂に入る。
コープの「健康御前(糖尿病食)を食べる。
合間には、テレビやビデオを観る。
もう、本は読まない。
寝る前に缶酎ハイを一本飲む。
睡眠薬を半分飲む。
残りの半分は、真夜中に小便に起きた時に飲む。
そして、一日が終わる。
一日一日が死んでいく。
連載小説「Q」#1-#20をまとめました。

連載小説「Q」25

2020-05-03 06:08:29 | 小説
連載小説「Q」25
ポストから朝刊を取り、居間兼台所に帰る。
居間の窓を開け放す、同時にクーラーのスイッチを入れる。
次にテレビをつける。
次の仕事は朝食。
トースト一枚(炭水化物)、冷凍唐揚げ(蛋白質)、牛乳(総合)、卵(総合)、レタス一枚(野菜)と梅干し一つ。
梅干しは『低ナトリウム血症』の恐怖が残っているからだ。
正常値になってから四年以上も経つのに、お守りみたいなものだ。
これが順平の朝食である。
トーストがご飯か餅に変わることもあるが、他は殆ど変わらない。
十時過ぎになると、コープが届けてくれた夕食の弁当を取りに行く。
門扉の中に、発泡スチロールの箱に配達員が入れてくれる。
配達員とかち合わないように時間を少しずらしている。
だが、時にはかち合う。
相手も突然出て行くと驚く。
三十歳くらいの女性だった。
初めて顔を見た。
名刺をもらった。
殆ど人と会わないので新鮮な対面だった。
パートで働いている。
子供を保育所に預けて、仕事の帰りに子供を迎えに行く。
フルに働けば税金が高くなるので上手に計画的に働いている。
短い時間に早口で喋った。
大変だと思うが活気があった。
順平には活気がない。
昼はうどんを食べる予定だ。
うどんは安い。
一玉十七円で売っている。
ご飯も安いのでおにぎりにすることもある。
何しろ主食は安い。
夜は、コープの「健康御前(糖尿病食)」。
これが一番高くつく。
これで順平の命は保たれている。
入ってくるもの出ていくもの。
その差が生きるためのエネルギーなのだろうか。
今日もそんな順番で過ぎていくだろう。
連載小説「Q」#1-#20をまとめました。