澤田は昭和4年3月4日午後1時2分 36歳の生涯を終えた。原因は中耳炎の患いであった。その年の2月に新橋演舞場で公演をしていた澤田正二郎は急性中耳炎となり舞台を降りて療養していた。
澤田は昭和4年3月4日午後1時2分 36歳の生涯を終えた。原因は中耳炎の患いであった。その年の2月に新橋演舞場で公演をしていた澤田正二郎は急性中耳炎となり舞台を降りて療養していた。
映画「無法松の一生」
「無法松の一生」は、岩下俊作の小説。福岡県小倉(現在の北九州市)を舞台に、荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(通称・無法松)と、よき友人となった矢先に急病死した陸軍大尉・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流を描くもので、映画や舞台で上演されています。
映画では、阪東妻三郎の無法松を観たことがあります。舞台では、辰巳柳太郎(新国劇)や田村高廣が主演をしたものを観劇しました。
今回、新文芸坐で公開された東宝映画で三船敏郎主演の「無法松の一生」を鑑賞しました。吉岡夫人が高峰秀子。三船敏郎の祇園太鼓の乱れ打ちのシーンが良かったです。この映画を鑑賞するのは何回目となるだろうか。
小倉出身の良き友人である大川和男さんに案内されて小倉城や小倉の街を散策したことがありました。玄界灘の荒波で鍛えられた松五郎の姿は、村田英雄が唄う「無法松の一生~度胸千両入り~」にも表現されています。カラオケでは必ず唄って気持ちがよくなる十八番です。
原作は、辺見じゅん著「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」で、実話をもとにした作品です。
第2次世界大戦終結後の1945年8月。終戦直前にソ連軍が日ソ不可侵条約を破り、満州に侵略してきた。満州のハルビンにいた山本幡男は、日本人捕虜たちとシベリア強制収容所(ラーゲリ)へ抑留されて、極寒の地でわずかな食糧のみで過酷な労働を11年間強いられていた。その中でも日本へ帰国する希望は持ち続けていた。
山本幡男は、病魔に襲われて日本へ帰国することが出来ず、家族あてに遺書を書いて戦友たちが家族へ届けるという心震わせる感動巨編となっています。
出演者は、二宮和也、北川景子、松坂桃季、中島健人、桐谷健太、安田顕、寺尾聰、市毛良枝など秀逸の演劇人です。二宮のロシア語が素晴らしいです。
戦争では敗戦国は戦争犯罪人として、強制収容所へ連行されて過酷な労働をさせられていた。読売巨人軍の監督であった水原茂氏もシベリア強制収容所で過ごしたことがあったとのことです。
想い出の写真「中村勘九郎氏」(白寿の芝居を惜しむ会)
新国劇の重鎮である島田正吾氏のお別れ会は、東京會舘で「白寿の芝居を惜しむ会」として挙行されました。芸能人では森繁久彌さんはじめ多数の俳優、女優の方が出席しておりました。
歌舞伎の中村勘九郎氏(後の中村勘三郎)も参加しておりました。中村勘九郎氏は、歌舞伎で「瞼の母」を演ずるときに、番場の忠太郎の演技を島田正吾氏に直接稽古指導を受けておりました。いつも島田正吾氏を恩師として敬愛しておりました。
新国劇後援会の清水さん一家の皆さんと一緒に中村勘九郎氏と写真を撮りました。我々のことを島田正吾氏の遺影が見つめているようでした。
剣と笑いと涙のお芝居「ふたり傘」、豪華舞踊絵巻「歌謡舞踊」を繰り広げる章劇(座長・澤村蓮)公演を観覧しました。
章劇団は、芸達者な澤村章太郎が、2000年に旗揚げ、関東に新天地を求め一からスタート。2014年の浅草木馬館リニューアル特別公演では杮落しを任された人気劇団です。
2015年に、澤村章太郎は後見となり、澤村蓮が座長を襲名する。古典から現代劇、剣劇と幅広くこなす芸の力と和気藹々とした雰囲気が人気の秘訣。
篠原演芸場は200名客席で、観客のほどんどが女性たちで満席の状況。贔屓の役者が舞踊で出演をすると和服の着物の襟に扇形にした一万円札を大きなヘアピンで挟んでいきます。入場料は1800円なのに、役者の祝儀は万札がいっぱいなのにはビックリします。
大衆演劇の役者たちは観客を常に大切にして応対をしています。
知久晴美さんが劇団ムジカフォンテを設立して33年が経過しております。今回の豊島区ミュージカル第8弾の舞台は、池袋駅東西を結ぶ「雑司が谷隧道」(通称ウイロード)がテーマとなっております。
大正14年(1925年)に開通し、戦後はヤミ市をつなぐ通路として活用され、その後は「ションベンガード」とも呼ばれ、暗く、汚く、怖い通路といわれていました。昭和61年の大改修でタイルが張られ「ウイロード」と名付けられました。さらに令和元年には、美術作家・植田志保さんにより筆と手で描かれた隧道は、明るく、きれいな、素晴らしいトンネルへと変身をしました。
ストーリーは、百鬼夜行のオープニングから、雑司が谷隧道の大正14年、昭和7年、昭和20年、戦後の闇市、昭和23年、昭和60年頃と展開していき、エピローグは百鬼夜行と盛り上がっていきました。出演者も80歳から3歳の幼児まで多数の方がおりまして、迫力満点のミュージカル公演でした。
今年で豊島区制施行90周年を迎えることで、お祝いとしての豊島区ミュージカル公演でした。劇団ムジカフォンテは10年前の豊島区制施行80周年より豊島区に関するテーマを採り上げて上演をしてきた実績があり、今回が8作目となります。
いつもながら、知久晴美代表と劇団員の方たちの情熱溢れる熱心な演技は、観客に楽しさと元気を与えてくれました。
青梅駅の映画看板
青梅駅のホームへ降りると昭和の様相が現れてタイムスリップをしたようだ。階段のところには「昭和の街 青梅へ」が目に入ってくる。
通路には鉄道に関する映画の看板がずらりと並んでいる。大いなる旅路(三国連太郎)、旅路(仲代達矢)、鉄道員ぽっぽや(高倉健)、終着駅等々。映画ファンなら懐かしく思い出される題名である。
青梅駅舎の駅名表示も映画看板を彷彿とされるものであり、よくもまあここまで鉄道に関する映画の看板を揃えたものであると感心しました。
緒形拳さんの色紙
浅草に行ったときに「うますぎて申訳ないス!」のキャッチフレーズで話題の洋食レストラン・ヨシカミへ入りました。夕食時で店内はほぼ満席の状況です。厨房では8名のコックさんが手際よく料理を作っています。
テーブル席に案内され注文した料理が運ばれてくるまで店内を見回すとこの店に来店した俳優やタレント、演芸人の色紙がたくさん飾られてありました。その中に竹早高校の先輩である緒形拳さんの色紙を見つけました。
緒形拳先輩もこの店で食事をしたのかと思うと親しみを感じました。浅草には良いお店がたくさんあるので行くのが楽しみな街となっております。また浅草公会堂前には緒形拳さんの手形が顕彰されております。
浅草のスターの広場には、緒形拳さんの師匠となる辰巳柳太郎師、島田正吾師の手形も顕彰されています。
松尾芸能大賞の山田洋次監督
松尾芸能賞は、松尾芸能振興財団(日本の伝統ある劇場芸能の助成と振興、文化・芸能の保存と向上に寄与することを目的として、1979年(昭和54年)に松尾國三が私財を投じて設立)が創設した日本の芸能賞。毎年その年に活躍した舞台芸能の関係者を顕彰して「優秀賞」「特別賞」「新人賞」が贈呈され、また年によっては「大賞」「功労賞」「研究助成」などが贈呈される。
第20回(1999年=平成11年)には、新国劇の島田正吾氏が特別顕彰、第23回(2002年=平成14年)には、五代目中村勘九郎氏が大賞を受賞しております。
第24回(2003年=平成15年)の松尾芸能賞授賞式は東京全日空ホテルで開催されました。大賞は、映画「男はつらいよ、寅さんシリーズ」作品などで活躍している山田洋次監督でした。尚、研究助成は、新国劇の精神を継承する劇団若獅子が受賞しました。
授賞式後、山田洋次監督と南條瑞江さん(劇団若獅子)と一緒に撮影をした思い出の写真です。(2003.3.28)
劇団ムジカフォンテ(知久晴美代表)公演No50 豊島区ミュージカル第7弾「としまの光に向って~未来への約束~」は、としま区民センター多目的ホール(8階)において、4月3日(日)18時に開演されます。入場料2500円(全席自由)
公演前の通し稽古が上池袋コミュニティーセンター多目的ホールで行われていましたので見学をさせていただきました。劇団ムジカフォンテは豊島区制施行80周年より、豊島区の文化歴史をテーマとしたミュージカルを連続公演をしてきました。①「80歳のいけふくろう」②「蝶がくれた~すすきみみずく」③「ソメイの愛」④「谷端川の物語」⑤「ぼくらの町のふじの山」⑥「トキワ荘のユメ・未来へ」と6作品のテーマで公演披露してきました。今ミュージカル公演は6作品をまとめたダイジェスト版となっています。
通し稽古では、出演者たちが沢山の長い台詞と音楽とダンスをマスターしていたことに感動をしました。稽古が終了すると演出担当の知久晴美先生から細部にわたる指摘があり、出演者たちはノートに記録して本番までの稽古を積んでいき完成したものを観客に観てもらおうとの意気込みが感じられました。この豊島区ミュージカルは毎回、高野之夫豊島区長も観覧しております。本公演が楽しみです。
チケット申込み・問合せ先は、musicafonte@coda.ocn.ne.jp
またはTEL 080-3270-6028
劇団ムジカフォンテは、豊島区に関するミュージカルを創作して毎年公演をしてきた実績があります。今回は今まで公演したミュージカルのダイジェスト版となっており、高野之夫豊島区長はじめ特別に招待をされた30名の人たちに披露されました。
第一弾「朝の光のその中で 80歳のいけふくろう」
第二弾「ソメイの愛」
歌あり、台詞あり、朗読ありの素晴らしいもので劇団員の子供たちの修練の姿が観られとても楽しみました。「大塚ものがたり」の歌の時には、城所信英さん(イケバスおじさん)が飛び入り参加して知久晴美さんとデュエットで披露していました。
2022年は、豊島区制90周年の記念年となりますので、それに相応しい豊島区のミュージカルを創作して公演すると知久晴美代表は宣言をしておりました。久し振りに劇団ムジカフォンテのライブを堪能しました。
「王将」は北条秀司が新国劇の為に書き下ろしたもので財産演目となって、辰巳柳太郎、緒形拳が坂田三吉を演じてきました。大阪に実在した将棋名人阪田三吉の半生の舞台化です。新国劇が70周年記念公演(緒形拳が王将の坂田三吉を演じる)を成功裏に終了した後に看板を下ろしました。その後、新国劇の精神を受け継ぐ為に当時の劇団員と共に劇団若獅子を旗揚げしてから30年間代表を務めていた笠原章氏が2度目の坂田三吉を演じています。客席は満席の盛況です。観客の中には新国劇からの年配の男性ファンや出演者の前田耕陽目当ての若い女性たちが多かったです。
躰道の同志である演劇評論家の山田勝仁さんが「王将」を観劇して劇評をレポートをしていました。「新国劇を観るのは初めてであったが、そのリアリズムの綿密さに感心する。娘の君子が三吉の涙と鼻水を懐紙で拭いてあげる場面では、紙を手で揉んでから三吉の鼻水を拭いてあげる。その些細だが細かな演出に感心。三吉役の笠原章氏の入魂の芝居が素晴らしい。3時間25分と長丁場だが、舞台は緊張感が持続し、まったくダレない」。的確に劇評している様子が伺われます。
以前、劇団若獅子が「宮本武蔵」全国公演の時、北九州市の小倉から大阪まで笠原章さんら劇団員と一緒にバスで同行したことを思い出しました。