那須高原のてっぺんにある小さな診療所。あるじは山医者こと、鯛山センセイ。広大で繊細な大自然を背景に、型やぶりの医者と個性豊かな村人たちが織りなす心あたたまる人間模様のストーリーです。
出演者は、柄本明(鯛山先生)、花總まり(妻)、笹野高史(茶畠巡査)、佐藤B作(楠田ホテル主人)、松金よね子(看護婦)等々、ベテラン俳優陣で笑いあり、涙ありの面白い舞台を演じていました。
明治座の緞帳は片岡球子画伯の富士山で見事なものです。舞台の音響と照明は良く工夫されていて芝居を盛り上げる効果を発揮しています。やはり芝居を劇場で鑑賞できることは楽しみです。
明治座の前の銀杏並木がとてもきれいに黄葉していました。
劇団ムジカフォンテ(知久晴美代表)の稽古が上池袋コミュニティーセンター和室で開催されていましたので見学の機会を得ました。
準備運動から始まり、発声練習などの基礎訓練をしておりました。声が大きくてはっきりしているところが素晴らしいです。今回の稽古の内容は、12月4日に予定されている「ミニミニミュージカル」公演のためであります。
劇団員の子供達、私たちと一緒に「豊島区ミュージカル7つの世界」を旅しましょう!のコンセプトの上演です。
第一弾「朝の光のその中で 80歳のいけふくろう」
第三弾「蝶がくれた~すすきみみずく」
第四弾「あの川、そこの川~谷端川の物語」
第七弾「東池袋のキセキ」
いずれも豊島区に関わる物語のミュージカルです。
このように稽古の積み重ねがあって公演を迎えることのプロセスをいつも試みている劇団ムジカフォンテの劇団員は素晴らしいと思います。
(10月3日記)
何があっても絶対に諦めず、描き続けた、その先にー。腕はいいが、食うことすらままならない生活を送っていた北斎に、ある日、人気浮世絵版元・蔦屋重三郎(阿部寛)が目を付ける。しかし絵を描くことの本質を捉えられていない北斎はなかなか重三郎から認められない。さらには歌麿や写楽などライバル達にも完璧に打ちのめされ、先を越されてしまう。
“俺はなぜ絵を描いているんだ?何を描きたいんだ?”もがき苦しみ、生死の境まで行き着き、大自然の中で気づいた本当の自分らしさ。北斎は重三郎の後押しによって、遂に唯一無二の独創性を手にするのであった。
物語を展開するシーンの音響の素晴らしさで映画を楽しめる。富嶽三十六景の中でも神奈川沖浪裏や凱風快晴などの代表作品。北斎の作品は、ゴッホやモネをはじめ世界の多くの芸術家たちに影響を与えている。
(6月13日記)
原作は医師であり、作家である南杏子の作品「いのちの停車場」。1961年徳島県生まれ。日本女子大学卒。出版社勤務を経て、東海大学医学部に学士編入し、卒業後、都内の大学病院老年内科などで勤務する。2016年『サイレント・ブレス』でデビュー。
主演の吉永小百合は初めての医師役で奮闘。「いのちの停車場」は訪問診療をテーマに展開します。東京の救急救命センターで働いていた、62歳の医師・白石咲和子(吉永小百合)は、あることの責任をとって退職し、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」(院長・西田敏行)で訪問診療の医師になる。これまで「命を助ける」現場で戦ってきた咲和子にとって、「命を送る」現場は戸惑う事ばかり。咲和子はスタッフたち(松坂桃李・広瀬すず)に支えられ、老老介護、半身麻痺のIT社長、6歳の小児癌の少女……様々な現場を経験し、学んでいく。
家庭では、老いた父親(田中泯)が骨折の手術で入院し、誤嚥性肺炎、脳梗塞を経て、脳卒中後疼痛という激しい痛みに襲われ、「これ以上生きていたくない」と言うようになる。「積極的安楽死」という父の望みを叶えるべきなのか。咲和子は医師として、娘として、悩む。
映画は兼六園など金沢の風景を多くロケに入れて、訪問診療の葛藤を抱えて展開させていくストーリーで秀逸の作品となっています。共演者たちもベテラン俳優が多く見応えがありました。
(6月6日記)
銀幕に甦れ!黒澤&三船
池袋の新文芸坐の正月公演は「銀幕に甦れ!黒澤&三船」特別上映です。黒澤明監督と三船敏郎主演の映画が盛りだくさん。日本映画の最高のコンビ特集です。その中で「天国と地獄」(1963年)を鑑賞しました。以前にも何回も観ておりましたが、再度映像の確認をしたく映画館へ行きました。
エド・マクベインの原作(キングの身代金)を巨匠・黒澤明監督が映画化した傑作サスペンス。優秀な知能犯に刑事たちが挑む。ナショナル・シューズの権藤専務(三船敏郎)は、自分の息子と間違えられて運転手の息子が誘拐され、身代金3千万円を要求される。苦悩の末、権藤は運転手のために全財産を投げ出して3千万円を用意する。無事子どもは取り戻したが、犯人(山崎努)は巧みに金を奪い逃走してしまい、権藤自身は会社を追われてしまう……。巧妙なプロットもさることながら、登場人物たちの心理描写が秀逸で人間ドラマとしての完成度も非常に高い。
特急こだま号、幅7センチのカバンに詰められた身代金、煙突から出る煙だけピンクのカラーでモノクロ画面に突然、煙だけがピンク色の演出、誘拐された子供が酒匂川で解放されて親と出会うシーンなど。記憶に残るシーンが多々出てくる。やはり黒澤明作品はいつ観ても素晴らしい迫力があります。
(1月7日記)
長谷川一夫の墓(谷中墓地)
谷中墓地の中央に、映画で活躍した二枚目俳優の長谷川一夫の墓がある。何時行ってもこの墓所には花が飾られている。
長谷川一夫は、1927年 松竹に入社。芸名を林長二郎と改め『稚児の剣法』で映画デビューする。抜群の美貌と若手時代劇スターを渇望していた松竹の社をあげての宣伝とが奏功し、たちまち、日本を代表するスターになる。二枚目の風貌で圧倒的な人気を得た。
1937年に東宝に移る約束をすると暴力団員に顔を切りつけられ、再起不能といわれたが、芸名を本名の「長谷川一夫」に戻し、山本嘉次郎監督の『藤十郎の恋』で入江たか子と共演し、見事に復活する。『鶴八鶴次郎』など山田五十鈴との「黄金コンビ」でもヒットを飛ばす。その後、李香蘭と共演した『白蘭の歌』『支那の夜』など現代劇にも主演しヒットを続けた。
戦後は東宝、新東宝を経て1950年、大映に重役として迎えられ、衣笠貞之助監督の『地獄門』でカンヌ国際映画祭グランプリを受け、海外でも評価を高めた。1963年に映画界を引退するまで大映のトップスターであり続けた。時代劇では銭形平次などが当たり役だった。主演映画が301本と、他に類を見ない本数である。
酒が体質的に飲めず、大の甘党であったこともあってか、晩年は糖尿病などの持病に悩まされ、1984年、2月に繁夫人との死別後、後を追うように同年4月6日逝去。享年76。没後、国民栄誉賞を受賞。
(8月27日記)
山村紅葉さんと(日本橋せいとう)
女優の山村紅葉さんが劇団若獅子の「お富与三郎」公演に出演した時の打ち上げパーティーは日本橋せいとうで開催されました。
山村紅葉さんはよく劇団若獅子公演に客演として出演をしております。
このパーティーで一緒に撮影した時に着用していた着物は、母親である山村美紗さん(ミステリー作家)のなじみのものであると話しておりました。
京都の清水寺の近くの三年坂の公園の横道を入ると高級住宅街があります。その一角に山村邸の豪邸があります。玄関から中の様子が見えます。ロビーの中央には赤い洋服を着た山村美紗さんの大きな写真が飾ってあり、周りにはランの花がいっぱい並んでおり華やかさを醸し出しております。隣家は西村京太郎氏(ミステリー作家)の家がありました。
山村紅葉さんは早稲田大学を卒業後、国税局に入局してマルサの女として活躍しておりました。同僚と結婚後、女優の道に転向しました。母親である山村美紗さんの作品が映画化やテレビドラマ化されたときには必ず出演をすることになっております。
お話しをしていても、相手のことをとても大切に扱ってくれる素敵な女性であります。
(7月27日記)
劇団若獅子公演「宮本武蔵」の出演者
劇団若獅子の「宮本武蔵」公演が北九州市の小倉文化会館で開催されたのは、地元の名士である大川為男さんによる功労が大きかったものです。
大川為男さんの息子さんの大川和男さんとは友人であるということで、この公演を観劇する機会を得ました。
大川さんの家族の皆さんと一緒に楽屋を訪問しました。「宮本武蔵」の中で重要な役となる吉野太夫を演じる西川峰子(現仁支川峰子)さんと朱実役の石野真子さんが舞台衣装に整えておりましたので、一緒に記念写真を撮りました。
公演が終了すると、大川為男さんは劇団若獅子の俳優、女優、そしてスタッフの全員を小倉の名店ふく料理店「対州」に招待をしてご馳走をしてくれました。参加された皆さんからのコメントは芝居に対する情熱が溢れており、感慨深いものを感じました。そして大川為男さんに対する感謝の言葉が劇団若獅子の代表である笠原章さんから述べられました。
大川為男さんは、社会奉仕に活動をされている優しい気持ちの持ち主である人でした。
(7月26日記)
三船敏郎の「新選組」
今月は新文芸坐で公開している幕末映画祭で新選組、近藤勇の映画を堪能しています。今回は、三船敏郎が東宝映画・三船プロダクション制作(1969年)の「新選組」に出演をして、近藤勇を演じております。
豪華キャストによる新選組の興亡史。勤王佐幕の混乱の時代に、誠いちずに通した近藤勇によるストーリー。新選組の誕生、芹沢鴨の暗殺、池田屋襲撃、伏見鳥羽の戦い、千葉県流山で官軍により捕獲、板橋の刑場での処刑までを描いております。
出演者は、三船敏郎、小林桂樹、北大路欣也、三國連太郎、田村高廣、中村加津雄、中村梅之助、中村錦之助、池内淳子、司葉子、星由里子、野川由美子など。
現在、埼京線の板橋駅前には、近藤勇の墓があります。
(7月20日記)
新文芸坐の「幕末映画祭」で、島田正吾主演の「六人の暗殺者」を鑑賞する。1955年(昭和30年)日活作品。新国劇団総出演映画です。
土佐藩士伊吹武四郎(島田正吾)は敬慕する坂本竜馬の隠れ家近江屋へ到着すると、坂本竜馬(滝沢修)と中岡慎太郎(河野秋武)の二人は何者かに暗殺され、僅かに中岡の口から覆面の六人組の仕業と知った。
武四郎は竜馬の復讐を誓った。その後、武四郎は上京し、師である勝麟太郎(三島雅夫)に会った夜、薩摩邸を訪れた武四郎は、同藩士花俣行蔵(辰巳柳太郎)から犯人は新選組だといわれた。武四郎は竜馬の仇を討つため再び京へ上り、謎の六人組の中の二人と会った。二人は僅かの金を貰って相手が誰とも知らずに暗殺に加わったのだ。怒りに燃えた武四郎は二人を斬り、新選組追討の官軍に参加し、江戸で捕われた近藤勇(山形勲)に会った。然し近藤は、竜馬暗殺は野望達成には手段を選ばぬ薩摩の仕業だといった。
その夜千住の土手で襲ったのは、竜馬暗殺の犯人、薩摩藩士花俣と森尾だった。武四郎は森尾を斬ったが、深手を負って川に落ち、折よく来合せた多吉に救われた。傷ついた武四郎は花俣を探したが、彼は上野の戦争で戦死していた。時勢は変った。武四郎は新聞を発行して薩長の藩閥政府を罵倒し、東京を追われた。
土佐へ帰る途中、京都の竜馬の墓前で、彼は目の見えない花俣と会った。花俣は上野の戦争で、竜馬暗殺の秘密を葬ろうとする味方に斬られたのだ。花俣の哀れな姿に、武四郎は「武器で仇を報ずる時代はすぎた」と刀をひいた。ラストの島田と辰巳の立ち回り殺陣は新国劇そのものであり、感動をしました。
時代は幕末の物語だが、ストーリーの展開は今でも通じるようだ。
その他の出演者、石山健二郎、清水彰、大山克巳、宮島誠、初瀬乙羽、久松喜世子、外崎恵美子他、新国劇団員。
(7月14日記)