つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

植木基善先生を偲ぶ会

2008年05月14日 | 友人
                    植木基善先生を偲ぶ会

植木基善先生を偲ぶ会が開催された。
劇団若獅子後援会のメンバーとして、創設当時より応援をしてきた人でした。
歯科医を開業しており、とても優しい人柄の方でした。

以前から血圧は高かったようで、1月14日に平野泰之さんを偲ぶ会の会場で、倒れられて、1月29日に亡くなられた。
偲ぶ会は、佐藤守男さんが中心となり準備がされていました。
会場は、明治時代に鹿鳴館があった場所で、日比谷うすけぼーでした。

劇団若獅子の笠原章代表、梶原信夫先生をはじめ関係者が集まりました。
植木基善先生の奥様とお嬢さんも参列して、参加者からは「植木基善先生との思い出」の話があった。

私の思い出は、劇団若獅子旅行会で福島県白河へバス旅行をしたときのこと。
ドライブインで休憩をしたときに、植木基善先生が鮎の塩焼きを購入して全員に配布をした思い出を話しました。
そのときの模様は、森田優一さんも話をしていました。
また、根本亜季絵さんの出演したお芝居を観劇した後、新宿で食事をしたときに、割り箸でマジックを披露してくれたこと。
よく芝居の会場でお会いする機会があり、必ず優しく話しかけてきてくれたことなどを思い出としてご家族の人に話をしました。

劇団若獅子の良き理解者であった植木基善先生に対しては、笠原章代表、水野善之さんらは、これから公演する芝居を一生懸命に演じることが、今までお世話になった植木基善先生に報いる道であると誓っていました。

この席上にて得た情報です。
新国劇の創設者である澤田正二郎の辞世の句についてでした。
新橋演舞場にこの句碑が建立されています。

 何処で 囃子の声す 耳の患

句は、五、七、五 で成り立っています。
最後の「耳の患」について、どのように解釈するか。
「みみのわずらい」と思っていたが、
これは、「みみのやみ」と解釈するのが正解のようです。
患いは病みとのことなのです。

これも植木基善先生の縁で知ったことでした。

(5月14日記 池内和彦)
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