つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

ラストゲーム 最後の早慶戦

2008年08月27日 | 芸能
            最後の早慶戦で整列する選手(1943.10.16 戸塚球場)

映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」を観てきました。
昭和18年12月雨中の神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会。

「野球は敵国アメリカのスポーツだ」と六大学野球はバットを捨て銃をとらなければならない状況になっていた戦時中の昭和18年。
慶応義塾大学の小泉信三塾長から早稲田大学野球部顧問の飛田穂洲に早慶戦の試合開催を申し込む。
早稲田の田中総長は開催を反対したが、飛田の熱意に最後は黙認した。

10月16日早稲田の戸塚球場に慶応大学野球部を迎える。
当時六大学野球で活躍し5割の打率を残した慶応義塾大学の別当薫選手のエピソードなども盛り込んであった。
試合は早稲田の大勝であったが、試合終了後、早稲田応援席から慶応大学の校歌が流れてきた。
慶応大学の応援席は驚いたが、今度は慶応大学応援席は早稲田大学校歌の合唱となった。
両校野球部関係者の熱き思いが実現したこの日。
観るものにも目から涙がこぼれてくる感動のシーン。

野球(ベースボール)は
生きて我が家(ホーム)に
還るスポーツである。

学徒出陣までした日本の戦争は、まもなく終戦を迎えることとなった。
最後の早慶戦に出場した選手の中にも戦死をしたものもいた。

余談だが、北京五輪で野球の試合の時、日本と準決勝戦を戦って勝利した韓国。
最後のフライを補給した選手が地面に伏した映像が流された。
韓国ではメダル獲得者には2年2ヶ月の兵役が免除されるとのこと。
日本と韓国のハングリー精神の差が勝敗に現れたのか・・・

やはり戦争はいいことがないと認識した映画であった。
現在では、斎藤祐樹投手のいる早稲田大学も、そして慶応大学の野球部も六大学野球で頑張っている。

(8月27日記)
コメント
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