つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

浅草雷門

2012年10月30日 | 名所
                         浅草雷門

浅草の観音様へ行く人のほとんどがまず初めに訪れるのが「雷門」です。
斜め前にあるリニューアルした浅草文化観光センター4階の会議室で開催されていたセミナーに参加した時に会場から雷門がよく見えた。斜め上からのアングルなので通常ではなかなか拝見できないので写真を撮った。

雷門の呼称は、江戸時代の川柳に初めて登場するが、それ以前のいつの段階から呼ばれるようになったかは不明である。
知名度に関しては、雷門の名が書かれた提灯が1795年に初めて奉納されており、浮世絵の題材に用いられたことから、以降、日本各地へ浸透したものと考えられる。

山門はしばしば火災により消失しており、江戸時代だけでも2度も建て替えられている。
最後の火災は1865年であり、以後、100年近く恒久的な建築物としての山門は姿を消す。

明治年間から太平洋戦争後にかけては、さまざまな形態の仮設の雷門が登場したと伝えられる。
いずれも博覧会の開催や戦勝記念など、その時々のイベント的な要素が強く、素材は鉄骨やコンクリートなどの構造もあったほか、大きさもさまざまであった。
1904年の日露戦争終結時には、凱旋門として雷門が建てられている。

1960年、松下電器産業(現パナソニック)の創設者、松下幸之助が病気だったころに浅草寺に拝んだ。
そして、治ったためそのお礼として門及び大提灯を寄進し、現在の雷門が成立した。
風神・雷神像は、江戸時代の頭部(火災により焼け残ったもの)に、明治時代に造られた胴体をつなげた物を引き続き使っている。

(10月30日記)
コメント (2)
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