つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

「いせ源」について

2024年02月01日 | 飲食店

 いせ源の銀ダラ西京焼き御膳

(いせ源について)
 江戸は末期の天保元年(1830年)、京橋三丁目で初代にあたる立川庄蔵が「いせ庄」というどじょう屋を始めました。

 その後、2代目立川源四郎が店を神田連雀町(現神田須田町)に移し、店名も「いせ庄」の‘いせ’と「源四郎」の‘源’を合わせ、「いせ源」と改名しました。

 あんこう料理の専門店として暖簾を掲げておりますが、当時はあんこう鍋の他にも、よせ鍋、かき鍋、白魚鍋、ねぎま鍋等々、様々な鍋料理を提供していました。

 しかし、あんこう鍋に人気が集中するようになり、大正時代の4代目立川政蔵の時にあんこう料理専門の店となりました。

 以来、東京で唯一のあんこう料理専門店として親しまれておりますが、あんこうの獲れない夏場(7月〜9月)は創業以来のどじょう料理を始め、鰻、鮎など旬な魚料理を出しています。

 店舗建物は、大正12年の関東大震災による全焼後、昭和5年に建て直したものです。幸運にも戦災を免れ、今も当時と変わらぬ昔ながらの風情を残しております。

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