つれづれなるままに

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新国劇の想い出 島田正吾氏のこと

2024年09月29日 | 芸能
 新国劇の看板である島田正吾氏について
 
 1905年(明治38年)12月13日、横浜市で生まれる。
 1923年(大正12年)に、沢田正二郎が率いる新国劇に入団。
 沢田の急死後、辰巳柳太郎と共に主役級に抜擢され1987年二人座長として公演を継続しておりました。
 1987年(昭和62年)に新橋演舞場で劇団創立70周年記念公演をうけて劇団を解散するまで新国劇の大黒柱として活躍していました。
 盟友の辰巳とは「動の辰巳、静の島田」と好対照のライバルとして知られ、渋く独特なせりふ回しで観客を魅了した。

 新国劇時代は『関の弥太ッぺ』『瞼の母』『一本刀土俵入』などの股旅物をはじめ、『霧の音』『ビルマの竪琴』など現代劇の話題作も演じている。
 その他の代表作としては戦国時代の武士・山本勘助を演じた主演作『風林火山』が知られ、1958年(昭和33年)から10年以上にもわたり公演を続けた。

 1951年(昭和26年)、山田五十鈴を相手役に『夏祭三度笠』で映画に初出演。以後、舞台でのヒット作を映画化した。
 1955年(昭和30年)の主演作『風雲三条河原』では幕末の志士・岡田以蔵役を好演する。
 NHK大河ドラマ『勝海舟』(1974年(昭和48年))、連続テレビ小説『ひらり』(1992年(平成4年))などテレビドラマにも多数出演した。

 1991年(平成3年)から2002年(平成14年)まで、新橋演舞場で年1回『白野弁十郎』や『王将』といった新国劇の財産演目をひとり芝居にして上演。
 評判も高く、NHKスペシャルなど多数のメディアで採り上げられていた。
 このひとり芝居は自他共に認めるライフワークで「100歳まで続ける」と公言していました。

 平成以降、現役最高齢俳優となっても意欲的に活動していたが2002年(平成14年)8月15日に脳梗塞で倒れた後はリハビリに励んでいました。
 舞台復帰の念は凄まじく「99歳まで新国劇の芝居、100歳で新作を」と周りに言い、様々な演劇のビデオをリハビリの傍らかかさず見続けていたという。

 2004年(平成16年)11月26日午前4時45分に、脳梗塞のため死去した。98歳没。
 島田正吾の書斎の机の上には真山青果作の『富岡先生』の台本が置かれていて、台本の側には99歳になったら演じると決めていた『ひとり芝居』のために推敲中の原稿もあったという。


島田正吾氏95歳の誕生会


映画「風雲三条河原」で岡田以蔵を演じる



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