ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.3.11 本気の言葉は人を動かす

2016-03-11 20:25:09 | 日記
 巷で話題になっている「保育園落ちた日本死ね」ブログについて述べた文章2つが目に留まった。
 
 因みに我が家で夫とこの話題で話をした時のこと。私が「そもそも大人が、親がこんな感情的に“死ね”なんて言葉を使っていいの?」と言ったところ、夫は「そのくらい切実なんだよ」という応答だった。とはいえ、同じブロガーの端くれとして、“死ね”という言葉を大の大人が、しかも、未来を担う子どもの親になった人が公然と使うことについては、どうしても違和感が残っている。もちろん、公序良俗に反しない限りは表現の自由なのだろうけれど・・・。

 けれど、ただの言いっぱなしの感情的な雑言だったら、それはここまでの動きにはならなかっただろう。本気の言葉、ナマの人間の奥底から絞り出された本心の言葉は他人(ひと)を動かす力があるのだ、と思わざるを得ない展開になっている。
 以下、かいつまんで転載させて頂く。最初は読売新聞に連載中、白河桃子さんの「スパイス小町」の最新号である。

※    ※   ※(転載開始)

「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログはついに国を動かすのか? 白河桃子(2016年03月09日)

 (前略)
 さて、いま話題の「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログは、保育園に入れなかった人による怒りの匿名ブログです。同じ境遇の方たちの共感とともに拡散され、さらに専門家が「なぜ保育園が足りないのか?」を発信し――どんどん広がっていきました。
 おそらくこれまでならネットだけで盛り上がって終わる騒動。しかし、2月半ばに書かれたブログはその後、共感の輪の広がりとともに思わぬ展開を見せていきました。テレビで地上波の報道番組が取り上げ、国会でも民主党議員がブログを紹介しながら与党側に質問しました。
 さらに3月5日には、ついに国会前に母親らが集まりアピールしました。ブログが匿名だったことから、国会では「誰が書いたんだ!」などというヤジが飛びました。「本当であるかどうか確かめようがない」という趣旨の発言もあったため、それが保育園に落ちた人たちの気持ちに火をつけたのです。ツイッターでも呼びかけが広がり、「保育園落ちたの私だ」というプラカードを手に、母親らが集結。「当事者は本当にいる」「こんなに大勢いる」と訴えていました。
 行動に出た彼女たちに対して、政治家も「対処します」「真摯に受け止める」「虚心坦懐に分析を」と次々と表明。またそれが報道番組で紹介されるという展開となっています。
 小さな子どもを連れて、国会前まで行くのは大変なことです。突き動かされるだけのものがあったということです。そして真摯な声は届くのです!
 フランス人の知り合いから、「とっくにフランスならデモが起きている。なぜ日本人はこんなにおとなしいの」とよく言われますが、それは「どうせ何を言っても変わらない」というあきらめの気持ちがあるから。しかし、「行動すれば届く」という成功体験が積み重なったら、もの言う人もどんどん増えていくのではと思うのです。(以下略)

(転載終了)※     ※     ※

 今を遡る20年以上前の平成7年のこと。息子の妊娠がわかって、通えそうないくつかの保育園の下見に行った。「フルタイムで働いているし、おそらく大丈夫でしょう。でも実際に出産してからきてくださいね」と言われた。もちろん、まずは無事に出産することだけれど、次なる段階として希望の保育園に入れなかったら・・・という事態は私にとって切実な問題だった。

 おりしも4月に昇任を控えていて、育休を取らず産休明けから働くことを選択していた私は、「1月中に出産しないと4月入園は無理、2月1日以降に生まれたら5月入園だ」と言われ、何が何でも1月中に出産したかった(これも今思えば誕生してくる“命”に対して随分傲慢な物言いである。)。

 予定日は2月2日。遠距離通勤で身体に負荷もかかってているし、おそらく出産は早まるでしょうと言われていたが、お腹の中の居心地が良かったのか、なかなかその兆しがない。1月28日にやっと陣痛が来たけれど、そこからが大変で、結局1月30日の夜遅く、直前に帝王切開に切り替え、ヨレヨレのヘロヘロでなんとか息子をこの世に送り出すことが出来た。

 文字通り滑り込みセーフで、翌1月31日に夫が出産届を出しに行ってくれて、息子は4月1日から生後2ヶ月で保育園児となった。職場の方からは「お腹を切ってまで1月中に間に合わせたとは、執念だね」と言われ、苦笑したことを覚えている。

 出産はしたものの4月から元職場で復帰となれば、夫と2人して都心まで遠距離通勤、常時残業あり。同居している親がいるわけでなし、夫と私が残業続きの状況ではとても育児など出来ない、と私は職住近接の今の職場に異動希望を出し、それが叶い、今に至っている。

 その後、まがりなりにもワーキングマザーを続けてこられたのは、何より保育園に入所出来て、その後学童保育のお世話にもなりつつ、職住近接の環境だったからこそ、と本当に感謝している。そして、それが如何に恵まれた環境であったのかも重々承知している。

 続いて、以下はどちらかといえば、男性目線、それも物書き専門家のいわばかなり上から目線の文章だ。こうしてきちんと文章に整えらえる人の責務として、ただ素人が感情的に言っているだけ、と突き放すのではなく、絞り出された生の声をうまく整え直して広めていかなければならないと思うのだが、どうだろう。

 「自分で問題を解決することを当然と思う」というのならば、解決方法の一つとして生の声で叫ぶことで世間を動かす、というのもありだろう。
 保育園不足による待機児童、ひいては少子化問題が喫緊の課題とされながら、実際にはそれほどの政策効果はあがっていない。「保育園落ちた」人にとっては、日本は結局のところ何もしてくれない国と感じるのも止むを得まい。

※   ※    ※(転載開始)

「保育園落ちた日本死ね」ブログをほめるな(アゴラ 言論プラットフォーム)石井 孝明(経済ジャーナリスト)

感情的な文章を称える愚行
 子どもが保育園に入れなかったママが書いたとされる「保育園落ちた日本死ね」というブログが話題となった。これを、山尾志桜里衆議院議員が衆議院の予算委員会で取り上げ、安倍首相に迫った。また3月4日には「保育園落ちたの私だ」というプラカードを掲げ国会前をデモする人がいた。いつもの通り組織化された政治行動であり、デモ写真には共産党議員が映っていた。同党が政治的揺さぶりをかけるために、この騒動を利用しようとしているのだろう。
 この文章を読んでみた。同情はする。しかし物書きの端くれである私から見ると幼稚な文章だ。「死ね」「子ども生むのなんかいねーよ」「税金使ってんじゃねーよ」という感情的な言葉の羅列だ。どこに共感すればいいのだろう。そして何も学ぶものがない。もちろんブログに個人的な感情を吐露するのは表現の自由であり、変に騒ぐ周囲の人々が問題だ。

(中略) 
 
 自分で問題を解決することを当然と思う。他人に施しをもらうことは、自由と活力と尊厳を失う面があることを認識する。権力には頼らない。こうした発想が社会の根底にあれば、国と個人は依存関係がなくなる。一言でまとめれば、明治の思想家福沢諭吉が強調した「独立自尊」の信条だ。

 「独立自尊」を信条に持つ人が自律的に運営する社会。「アベ悪い」「日本死ね」と感情的に叫び、国を批判しながら国に頼る人ばかりの社会。どちらが健全だろうか。子どもの健やかな成長をもたらすだろうか。もちろん前者だが、日本で後者にしたがる人が目立つのは心配だ。

 社会問題に声を上げて変革を促しながら、自己責任で問題解決に向き合うのは当然だ。しかし「保育園落ちた日本死ね」などと叫ぶ文章を称え、感情に流れ、適切な思考に基づかない社会混乱を作り出していけない。それは問題の解決を遠ざけるだけだ。

(転載終了)※   ※   ※

 それにしても、このままでは日本という国では万人が活躍しようにも出来ないのだろうか・・・と思ってしまうのだが、どうだろう。
 
 今日は3月11日、あの東日本大震災から5年が経った。もう5年なのか、まだ5年なのか、未だによくわからない。今も2,561人もの方が行方不明だという。
 非力な私が出来ることはこの日を決して忘れないでいること、そして被災地の生鮮品を選んで購入し、応援することくらいだ。

 ちょうど5年前と同じ曜日の並びで今日も金曜日。朝から冷たい雨がそぼ降る一日になった。14時46分、あの日と同じ席で、今年もまた黙祷した。あの日に生まれた赤ちゃんたちはちゃんと元気に育っているだろうか。もう年長さんになっているのだろう。保育園問題からいろいろな思いを馳せる5年目の日である。
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2016.3.10 ふわふわ、ふらふら・・・その後

2016-03-10 22:21:24 | 日記
 カドサイラ(T-DM1)の副作用と考えられる手足の痺れに伴う疼痛。それを緩和するために半年ほど飲み続けたサインバルタ錠の離脱症状だろうと自己判断した、ふわふわ・ふらふらとした眩暈と、シャンビリと俗称される、シャンシャンと鳴り続ける耳鳴りのその後のこと。

 サインバルタ錠の内服を止めて半月余りが過ぎ、大分落ち着いてきたように思う。
 この症状、自分では離脱症状と認識したけれど、それでももしかすると何らかの脳の異常、すなわち脳転移、の不安が頭をよぎらなかったかといえば、嘘になる。

 昨年の今頃、視野狭窄等の症状で眼科クリニックに通ったが、その結果は異常なしとのこと。それでも心配で、主治医に頼み込んで脳MRIを撮影して頂いたところ、造影剤なしの画像では転々とした影(血流が悪い所)があちこちにあり、残念ながら多発脳転移・・・?、という事態だったのを思い出す。
 幸いなことに、最終的な読影結果は、造影剤ありの画像でそうした影が映っていなかったからセーフという判定になったのだけれど、こうした背中がゾワゾワとする気持ち悪さと常に隣り合わせにいる、ということは精神衛生上あまり良くない。

 脳転移の症状は急激に進むのが特徴だというので、もしそうであれば待ったなしで動かなければならなかった。けれど、吐き気や目の前のピカピカ(いわゆる閃輝暗点(尖輝暗点)の症状が出る、というわけでもなさそうだったので、様子見をしていた。

 乳がんでは骨、肺、肝臓に続き脳転移の割合が結構高い。進行するに連れてその割合が高まり、最終的には3人のうち2人は脳転移するという。しかもタイケルブを除く薬剤は分子量が大きいため一般には脳まで届かない。

 だからといって、CT撮影のように定期的に頭部MRIの撮影をするわけではない。症状が出てからで十分間に合うという意味なのか、症状が出る前に見つかったところで予後は変わりがない、というのかどちらかなのだろうけれど。
 とはいえ、いざ発症すると進行が速いことは間違いがないので、早期発見に勝ることはないだろうと思う。昨年お目にかかった脳外科医のS先生は、もっと事前に定期的に撮影すればよいのにとおっしゃっていた。

 いずれにせよ、来週の診察ではサインバルタの離脱症状と思われる症状が結構辛かったことをご報告せねば。そして、もしまた服用を開始せざるをえないということになれば、断薬する時に起こるこうした不調も納得済みで、ということになる。
 出来れば(サインバルタは)止めたいとおっしゃった主治医のコメントが今更のように納得できる。知らぬが仏のことは世の中には沢山あるのだ、と思う。

 気付けば、2月初めの17回目の投与から5週間、無治療の状況が続いている。骨髄体力温存のために1回休薬をしたわけだが、ここ数日の不安定な気候のせいなら良いのだが、あの胸痛-鈍痛と圧痛―が復活している。息苦しさと空咳もちょっと気になる。

 あまりナーバスになるつもりはないけれど、来週は無事に治療が再開出来ますように。そして、再びサインバルタ錠を飲まなくとも、なんとか今のままでやり過ごせますように。治療後には父の通院付き添いもあるし、なんといっても今月は年度末の繁忙期。無事に年度が越せますように、といろいろ願わずにはいられない。
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2016.3.9 何と言って頂くのが一番納得出来るのか

2016-03-09 22:09:57 | 日記
 昨日に引き続き、今日は朝日新聞医療サイト・アピタルに連載中の内科医・酒井健司先生の最新号を読み、唸った。以下、転載させて頂く。

※    ※    ※(転載開始)

「予後」の説明は難しい アピタル・酒井健司(2016年3月7日07時00分)

 患者さんと医師の間で、病状の認識に大きなギャップが生じることがあります。たとえば「予後」。患者さんの容体(場合によってはいわゆる「余命」も含む)の今後の見通しのことですが、たいていは、患者さんのほうが楽観的な予測をしています。
 私が経験したのは、病状が進んで肝臓が十分に働かなくなっている「非代償性肝硬変」という病気で入退院を繰り返している患者さんのケース。腎機能も悪化しつつあって、予後が数カ月ぐらいであろうと予測されるこの患者さんが、「あと10年も生きられれば満足です」とおっしゃったことがありました。
 人の体のことですから100%正確な予測はできませんが、その患者さんの病状は、10年どころか5年も生きれば御の字といったところでした。もちろん、患者さんには折にふれ病状についてご説明しています。しかし、患者さんが希望されないのに、わざわざ明確に悪い数字を挙げることはあまりしません。
 患者さんが病状について誤解をしている疑いがあるとき、医師はどのように説明するべきでしょうか? あるいは、みなさまが患者の立場であったとして、自分の主治医にどのように説明してほしいですか?
 唯一の正解はありません。
 医学的に正確な説明をするのは比較的簡単です。しかし、「残念ですが『10年生きる』というのはきわめて難しいと思います。5年生存率はおそらく10%以下。生存期間中央値は数カ月でしょう」という説明がはたして適切でしょうか。
 よほど特殊なケース(患者自身が医療従事者で、医学的に正確な説明を希望していた場合など)でもない限り、私はそのような説明はしません。
 誤解をあえて訂正しない、という方法もないわけではありません。理屈はいくらでもつけられます。「残りの命が短いとわざわざ思い知らせることが、患者さんのためになるのか」「死への不安を抱いたまま残された時間を過ごすぐらいなら、誤解したままのほうがいいのでは」「意図的に患者さんをだますわけではないから倫理的にも問題ない」等々。
 しかしこれらの理屈は、医師が勝手に患者さんの気持ちをおしはかっているだけです。患者さんの真意を確認したわけではありません。
 もしかしたら、患者さんは、死ぬ前にぜひとも会いたい人がいるかもしれません。あるいは、死への不安を克服できるだけの強い精神力を持っているかもしれません。それなのに、誤解を放置することは患者さんの不利益になります。
 昔と違って現在ではがんの告知をすることが当たり前となりました。インフォームド・コンセントも浸透しています。患者さんと医師の間で病状の認識に大きなギャップがあった場合、医師はそのギャップを放置することはせず、ギャップを埋めようとします。その方法はケース・バイ・ケースです。
 
 最初に挙げた患者さんには、
「○○さんはあと10年も生きられれば満足なのですね。10年か、それ以上も生きられるように、私もいろいろ考えてみます。しかし、以前からもご説明しているように、肝機能も腎機能も良くありません。ご承知のように、この病気は急激に悪くなることもあります。そのときへの準備と覚悟はしておいたほうがいいかもしれません」
というようなことをお話ししました。この患者さんは残念ながらその後、予想通り数カ月ぐらいで亡くなりました。私の説明が最善だったかどうかはわかりませんが、ご本人もご家族も納得されていたように思います。

(転載終了)※   ※   ※

 10年生きられれば満足-その時はそう思っても、実際10年経過してみたら、いや、もう十分です、と言えるのかどうか。

 現に私は再発治療を開始した際、5年間生きられれば・・・と覚悟した。それを思えば息子の高校卒業式、大学入学式ともに出席することが出来、成人式を迎え、二十歳になった息子を見ることが出来た。
 5年をクリアし、8年もの間、生き長らえることが出来たのだからもう十分だろう、と問われれば、大学卒業は出来るのか、就職は出来るのか・・・、やっぱり我が眼で見たいと案じることは後を絶たない。

 そう、予後の話は本当に難しい。私のように主治医に全幅の信頼を置いている場合、その人からの言葉はことのほか重いだろう。考えただけでも身がすくむ。
 だからこそ、たとえ訊かれたとしても安易に余命などは言わないものだろうし、訊くつもりもない。それはやはり、自分の命の期限を突きつけられるのが怖いからに他ならない。

 こうして長く治療を続け、いろいろな先輩たちの経過を知っている今、そうそう能天気には構えていられないのは重々承知している。人の身体は理論だけでは説明出来ないことも沢山起こるし、人によって経過は千差万別だけれど、どういう症状が出てくれば厳しいということもある程度は理解しているつもりだ。

 ここまで長く再発治療を続けることが出来たのだから、あら、還暦だって楽勝だわ、とは決して思わない。
 還暦まであと6年?とてもとても・・・である。4年後の東京オリンピック?それも目標に掲げるには長過ぎると思う。

 出来るならば今までのように一日一日を積み重ねて、出来るだけ遠くの風景まで見てみたいけれど、実際あとどのくらいヘタッた脊髄が持ちこたえて治療が続けられるのか判らないし、脊髄が頑張ってくれたところで使用する薬が奏功する保障もない。
 だから、これからの私の時間は本当に神様のプレゼント、新しく授かったサバイバルな時間だと思って今までにも増して大切に過ごしたい。

 私自身がやりたいと思っていることはなるべくやりたい。自分自身が会いたいと思っている方にはなるべく会いたい(当然相手があることだから、先方から“No,Thank you.”と言われればそれでもなお、と無理強いをするつもりはないし、後追いはしない。)。常に自分の体調と相談しながら、自分の身体の声にしっかり耳を傾けながら。

 あくまでも自分の人生、人からどう思われるかではなく自分がどうありたいか、どう生きたいのか、がポイントだと思っている。

 実際のところ、どう言って頂けるのが一番納得出切るのだろう。想像するには難しい。その時が来るまで出来るだけ心穏やかに悲観的にも楽観的にもならずに過ごしていきたいと思う。

 昨日のあのポカポカ陽気が嘘のように今日は凍えるほど冷たい雨の日になった。明日もお天気は良くないらしいが、定例の都心会議でもある。先月のように電車が遅れませんように。
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2016.3.8 勝ち負けではなく、私は“超えて”生きていきたい

2016-03-08 20:52:17 | 日記
 いつも楽しみに拝読しているyomi.Drの勝俣先生の連載。
 私自身もずっと違和感を感じていたことが書かれていた最新号。大きく頷いたところが多かったので、長文だが、以下転載させて頂く。

  ※   ※   ※(転載開始)

がん診療の誤解を解く 腫瘍内科医Dr.勝俣の視点 (2016年3月7日)
 がんサバイバーの時代 ~「がんを克服した」はやめましょう~

 「私はこうやってがんを克服した」
 「がんはこうやって克服する」
 ネットなどを見ていますと、このような情報があふれています。
 私は、この「がんを克服する」という言葉に、がんの専門家として、大変、違和感を覚えます。

がんは克服できる病気?
 がんは、克服できる病気なのでしょうか?
 作家のなかにし礼さんは、2012年に食道がんと診断されました。
 先進医療の陽子線治療を受け、がんはいったん消失しました。
 その当時、マスコミは、
 「陽子線で食道がんを克服した!」
 と一斉に騒ぎ立てました。
 しかし、なかにしさんのがんは、2年半後に、リンパ節に再発、その後、なかにしさんは、手術や抗がん剤を受けました。
 医学的に言うと、なかにしさんの食道がんは、陽子線でいったん消失したかのように見えましたが、実際には、ミクロレベルのがん細胞が残っていて、それが後になって、再発となって現れたということです。
 このようにがんという病気は、いったん消えたかのように見えても、再発・転移を繰り返すことが特徴なのです。
 手術や放射線治療でがんをいったん消失させることは可能ですが、その時点で、「治った」とは言えません。まだ、ミクロレベルのがんが潜んでいる可能性があるからです。ましてや、「克服した」とも、決して言えないということになります。
 「克服」とは、困難に打ち勝つこと、と辞書にはあります。
 そもそも、がんに勝ち負けがあるのでしょうか。
 病気に勝ち負けがあるのでしょうか。
 がんが再発しなかった患者さんが、「勝ち」で、
 がんが再発・進行した患者さんは、「負け」なのでしょうか?
 がんが再発しても、がんとしっかり向き合って、立派に生活してらっしゃる患者さんがいます。このような患者さんも立派にがんを「克服している」と思います。
 がんが再発していないことの意味で、「がんを克服した」と言うこともおかしなことです。

がんは何年経っても再発する
 がんの治療成績を、5年生存率の数字でよく表します。
 がんは、5年を過ぎると再発率が減るので、がんの生存率は、おおまかな目安として、治癒率の基準として使われることがあります。
 しかし、5年を過ぎたからといって、絶対再発しない、というわけではありません。
がんは何年経ってからでも再発します。
 乳がんなどは、長い年月を経てから再発をするがんの代表でもあります。
 私の経験した患者さんでも、手術後35年してから、乳がんが再発した方がいらっしゃいます。
 また、他のがんの例では、早期胃がんで手術後、15年目に骨転移が見つかった患者さんがいました。
 最近、国立がん研究センターは、がんの10年生存率を出しました(注1)が、10年生存率というのも、治癒率と全くイコールというわけではなく、あくまでもおおよその目安ということになります。

がんが再発する原因
 がんが再発するとは、どういうメカニズムなのでしょうか?
 初回の手術や放射線治療で、いったん、画像診断上はがんを消失させることができます。
 がん細胞は、血管やリンパ管の中に入り込む性質があり、局所的な治療で、がんが消失できたかのように見えても、ミクロレベルで、がん細胞が潜んでいる可能性があります。血管やリンパ管は全身にはりめぐらされていますので、がん細胞が全身にめぐり、それが長い年月を経てから、他の臓器へ転移となって見つかることがあります。
 これを再発と呼びます。
 再発はどんながんでも起こることです。
 どんながん治療をしても、絶対再発しないということはありません。
 また、100パーセント再発を予防できる手段も定まっていないのが現状です。
 このように、がんの性質、がん治療の現状からしますと
 「がんを完全に治した」
 ということは、医学的にもあり得ないこととなります。
 もちろん、がんを克服する、がんを制圧するための、あらゆる試みは、現在でも、また、今後も続けられることと思います。
 また、患者さんの「がんを克服したい」という願いを否定したいというわけではありません。

がんサバイバーの時代
 海外では、がんで治癒した人、再発した人を区別しないで、がんと診断された人すべてを「がんサバイバー」と呼んでいます。
 上記で述べたように、「がんの治癒」という言葉は絶対ではありません。また、がんが消失している状態、再発していない状態だからといって、医療上のケアが全く必要なくなるというわけではありません。
 がんの初期治療が終了した患者さんは、いつ起こるかわからない再発への不安、手術や抗がん剤などの初期治療の後遺症、社会復帰に向けた就労の問題など、精神的問題、身体的問題、社会的問題など、取り組むべき様々な問題があります。
 また、このような問題に対するケアは、再発していない患者さん、がんに現在かかっている患者さんと区別するものではありません。
 がんと診断された患者さんは、がんが消えていようが、消えていまいが、同じように、精神的苦痛を抱え、身体的・社会的問題をもつため、区別することなく、同様なケアが必要であるということです(注2)。
 こうした理由から、海外では、「がんサバイバー」の概念が生まれました。

がんサバイバーとは?
 「がんサバイバー」とは、がんの診断を受けたすべての人と、定義されます。
 この概念は、1986年に米国で生まれました(注3)。
 がんの診断を受けた人は、生涯を全うするまで、がんサバイバーであり、再発するかしないか、治ったか治らないかは関係ありません。
 これは、がんの治療後に長期生存した人だけをサバイバーとする古い考えと異なった概念です。
 “Survive”という単語を辞書で引いてみると、
 ラテン語が語源であり、“Sur”は、「超えて」という意味で、それに、「生きる」という意味の文字を組み合わせてできているそうです。
 つまり、サバイブとは、「超えて生きる」という意味になります。日本語の直訳ですと、「生き延びる」となりますが、それとはちょっと違ったニュアンスがあると思います。
 先日、ある講演会で、乳がんのサバイバーの方のお話を聞く機会がありました。
 その方は、30代で右乳がん、40代で左乳がんを発症されました。
 ご自身が乳がんになった体験を次のようにお話しされました。
 「私は、今まで、がんを治そう、治そう、克服しようとばかり考えてきました。でも、それはつらく苦しい闘いでした。がんから、いつも逃げようとしていたからです。がんサバイバーという言葉を知り、今では、私は自分が、がんサバイバーだと言えるようになりました。がんサバイバーとは、上乗せの命を生きること、新しい命が付け加えられる、命の新しい段階であり、今を感謝して生きること。マイナスからプラスの考え方でなく、プ ラスからプラスに考えられることを学びました」
 あらためて、がんサバイバーとは、良い言葉だなと思いました。

がんサバイバーの時代~「がんを克服する」はやめよう~
 我々が目指すべき現代のがん医療は、がんが、治るか治らないか、克服するか克服しないか、ということではなく、誰もががんになる時代に、がんを知り、より良く生きること、がん患者が安心して暮らせる社会をつくることだと思います。
 がんサバイバーの概念は、海外では、がんと診断された人だけでなく、その家族、介護者も含めて広く定義されています。
 がんサバイバーが、診断や治療を受けながら生きていくプロセス全般を、「がんサバイバーシップ」と呼びます。「がんサバイバーシップ」に対する取り組みは、日本では大幅に遅れてきました。
 2013年4月、国立がん研究センターに、「がんサバイバーシップ支援研究部」が設立されましたが、まだまだ、日本全国的には、がんサバイバーに対する社会的認識や、支援体制、また、研究においても、大変遅れているといっても過言ではありません。
 がんと向き合っているサバイバーの方たちを、克服した、克服しない、治った、治らない、と区別するのではなく、がんサバイバーの方を、優しく応援するような素敵な社会に一緒にしていきませんか?

参考
1.国立がん研究センター. 全がん協加盟がん専門診療施設の診断治療症例について10年生存率初集計. 2016:http://www.ncc.go.jp/jp/information/press_release_20160120.html.
2.がんサバイバー - 医学・心理・社会的アプローチでがん治療を結いなおす - Kenneth D. Miller (編集), 金 容壱 (原著, 翻訳), 勝俣 範之 (翻訳), 大山 万容 (翻訳) 医学書院2012年
3.全米がんサバイバーシップ連合; National Coalition for Cancer Survivorship: NCCS. 1986:http://www.canceradvocacy.org/.

(転載終了)※    ※    ※

 再発すると完治はしない、再発したらもう終わり、初発で完治すれば勝ちで、再発したら負け、といういかにも判り易い二元論がまかり通っていることを、哀しいかな、まだまだ感じる。

 何度も書いているけれど、再発したからといっていきなり人生が終わるわけではないし、それでがんという病に屈したというわけでもない。治療を続けながらうまく共存することが出来て、自分の人生を後悔なく生き切ることが出来れば、良いのではないだろうか。

 そして、これも何度も書いているけれど、初発の治療を終えたら、必要以上に再発を恐れて生きていく必要もない。万一再発したら、それから対処すれば十分だと思うから。だからこそ初発の治療はきつくても頑張って乗り越えて頂きたいと思う。

 再発してしまったこの病を完治させることが難しいことは重々承知している。けれど、日々の医療の進歩で良い薬が使えることになったおかげで、打ち克たなくともQOLを落とすことなく、普通の生活を数年のスパンで送ることが出来る。そのことがどれほど有難いことか。

 がんになんか負けるもんか、私は打ち克ってやる、という戦闘的な言葉を使って自分を奮い立たせ、ギリギリまで積極的治療を続ける果敢な患者さんもおられるけれど、私はそうした言葉は使いたくないし、これまで使ってもこなかった。そして、自分の身体の声に耳を傾けながら、積極的治療の止め時は見極めたいと考えている。
 なんといってはみても、自分の身体の中の自分の細胞なのである。大人しくしてもらいながらお互い共存していくためには、そうしたほどほどの付き合い方も大切ではないか。

 私が今後、がんで命を落とすのかそれとも別の事故や病気なのか、は神のみぞ知るだけれど、その時、直接の原因ががんだとしたら、ああ、やっぱりロッキングチェアはがんに克てなかったのだ、とは思わないで頂きたいなと思っている。

 それと同時に、よく頑張ったなどと言って頂くのもちょっと心外かな、とも。実際に10年を超える長期間の治療を体験していない方や、傍で寄り添ってくれた方たちでないと、本当のところはわからないだろう、とも思うから。

 もちろん、死んでしまったらそんな私の戯言はどうやっても伝えようもないのだけれど、それよりもサバイバーとしての時間、病と共存しながら私という人間がどう生きたのかをただ客観的に見て頂ければとても嬉しいと思う。

 人は生まれてきたら誰しも必ず死んでいかなければならない。いわば致死率100パーセント。今元気に生きている人が100年後にも生きているか、と言えばごくごく一握りの人を除けばほぼ皆無だろう。

 この世の中にこのタイミングで、奇跡の積み重ねをもって生を受けたという事実、自分が生まれて、数十年という時間をこうして生かされている意味をもう一度考えながら、日々を大切に病と共存していきたい。サバイバーとして授かった新しい命を「超えて生きたい」と改めて思うのである。
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2016.3.7 疲労困憊のシンデレラ

2016-03-07 20:50:35 | 日記
 昨日のこと。
 少しだけ寝坊をして、午前中に久しぶりに美脚ヨガのレッスンに出かけた。タップリ汗をかいて、シャワーを済ませてから夫と待ち合わせ。ランチと買い物をしたら家事に勤しむ予定であった。

 ところが、ランチを摂りながら、そういえば携帯ショップに確認しなければならないことがあった、と立ち寄ったのが運の尽き。
 用件はすぐに終わったのだけれど、ショップを出る途中、夫から機種変更が実質ゼロ円というのがあるよ、と言われ立ち止まった(こういうのにすぐ乗っかる困ったおばさんである。)。既に3年3ヶ月使っているし、容量が一杯でアプリのダウンロードもスムーズに行かず、あれこれ削除したりとなだめすかしながら使っていたのは事実。

 案内の方にちょっと話を聞いてみると、これは良いかもしれない、ということで再び番号を取り直して並んだ。
 この時は幸い30分ほどで窓口に案内されたのだけれど、今使っているデータの移行が上手くできるかどうかがネックで、バックアップが取れないと危険だからと、その場でトライして頂いた。が、どうにも上手くいかない。

 ショップに預けたままバックアップしてもらうことは出来ないようで、「明日朝、開店と同時に来店の上、コピー開始して早ければ2,3時間、半日くらいあれば可能かもしてないが、もしかするとデータが壊れてしまうかもしれない。」などと恐ろしいことを言われる。
 そ、そんな・・・。平日月曜日にまた出直すなんてとても無理だ。けれど週末になるとこの大特価キャンペーンをやっているかどうかもわからない、と冷ややかに言われる。

 ここで、諦めればよいのだけれど、なんだかここまで時間を使ったのに・・・と後に引けない気分になる。新しいSDカードに入れ替えてもう一度トライすればデータ移行が出来るかもしれない、というアドバイスに従い、夫とともに一旦退散して家電量販店でカードをゲット。そこで再びトライしたが、やはり上手くいかない。カード認識はしているけれど、どうしてもバックアップが進まない。

 昨年HDDの不調でPCに入っていた家族写真等のデータが全部飛んでしまった、と記事に書いた。そんなわけで、スマホにしか入っていない3年前からの画像が結構ある。これがなくなってしまったら哀しすぎる、とどうにも諦めきれない。

 あれやこれやメールを削除したりしてやり直してみるけれど、素人の私にはちょっと手に余る。再度携帯ショップへ助けを求めた。
 ここからが長かった。待っている人数はそれほど多くないのだけれど、皆1時間単位で窓口に張り付いているので、呼ばれるまでにたっぷり2時間以上。途中、夫と交替でお手洗いに行き、水分補給をし、を何度か繰り返しているうちに既に窓の外は真っ暗である。

 結局、大特価に惹かれて新しいスマホを購入。だめなら仕方ないので、諦めますと最低限のデータ移行をお任せする。その作業が結構かかるということで、閉店時間までに戻ってくるということにして、一旦お店を後にした。

 午前中のヨガスタジオから始まって、まさかこの建物に閉店時間まで一日いるとはゆめゆめ思わなかった。
 ヨガの後は家事をして、確定申告の書類を整えて週明けからに備える日曜日!と思っていたのに、結局、食事に帰っている時間もなくなり夕食まで外食になってしまった。

 がっくりしながら買い物を済ませ、ショップ閉店間際に受け取りに向かうと、メールのアドレスも画像のデータも壊れることなく無事に移行されていた。

 そして、なんとか無事帰宅。付き合わされた夫も当事者の私も疲労困憊。目の下はクマ、ガックリヨレヨレ。どうして携帯ショップなる場所に行くとこんなに時間がかかるのだろう・・・という愚痴は置いておいて、ピカピカの二代目スマホは年甲斐もなくディズニー仕様。
 シンデレラ、アリスにアナ雪などカスタマイズもなんでもござれ。なんとかLINEも復旧させることが出来、あれやこれやと再設定しているうちにあっという間に日付が変わってしまった。

 それにしても成り行きでこんな派手なスマホに変えてしまったのには我ながらびっくりぽん。つい1ヶ月前にブルーライトカットシールを貼ったばかりの初代スマホも、事実上お蔵入りという急展開にびっくりぽんかもしれない。

 慣れるまではあれこれ時間がかかって、ちょっとストレスになるかもしれないけれど、これもまたボケ防止に一役買うかもしれない。1年間は機種変更するとペナルティがつくとのこと。これでまた寿命を延ばす理由が出来たと前向きに考えることとしよう。
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