今日も駅前(AKIBAオジン)

ツクバEX開業日から始めた親父居酒屋の放浪記。下町の居酒屋、旅先の地酒・酒蔵・秘湯、森と水の話や、たまには政治談義など。

福島・高湯温泉と地酒の旅

2017年12月23日 | 露天風呂と地酒の旅

   大晦日の本日、遅くなりましたが、漸く暇ができて12月初の「温泉と地酒の旅」をアップします。アキバの地元仲間と日本の名湯の一つ福島県の高湯温泉に出かける。東京駅から新幹線で福島まで二時間弱。長くも短くもなく飲みすぎない丁度いい乗車時間である。福島駅に着き、まずは宿で飲む地酒を確保するため「きしなみ酒店」へと向かう。10年数前に「野地温泉」に同じメンバーと行った時も地酒を購入した酒店である。小さい店だが置いてある酒は地元ならではの旨い酒がずらりと揃っている。「奈良萬」、「壺中春」など福島の珠玉の酒が新聞紙にくるんで保存ケースの中に鎮座している姿はその時のままだ。前記の生酒と「純米 いい、あんばい」を購入する。駅前の蕎麦屋「西口喜多屋」では、市バスの発車時刻まで石臼で挽いた二八蕎麦やそば味噌の肴に店の地酒「奥の松」で時間を潰す。

 送迎バスを使わずに高湯温泉行の市バスで約40分の旅。スカイラインの入り口からすぐの「玉子湯」で降りるはずだったが全員がバスのブザーを鳴らすのを忘れ、次の停留所「あったか湯」で慌てて降りた。もともと宿の送迎を使わずに早めの市バスにしたのは、早めに宿に着きチェックインまでの時こ、この「あったか湯」に歩いてる入るためのこと。結局、入湯の後は「玉子湯」までは下り坂、結果オーライとなった。源泉からでるこの湯は乳青色で高湯温泉そのもののだ。ここ高湯温泉は斎藤茂吉がこよなく愛した温泉、茂吉の文献や紹介に力をいれている。

  ひと風呂浴びた後は、スカイラインを緩やかな下り道を手前のバス停「玉子湯」へ。高湯温泉他では大きな温泉旅館である「玉子湯」は開湯150年、自家噴泉が二か所あり宿の裏の小屋掛けから透明な源泉がボコボコと湧き出て湯屋へと木樋で導かれている。木樋は硫黄分が付着し見事な乳黄色、

 野天岩風呂の「天翔の湯」、「天渓の湯」は男女入れ替えだが、いずれもダイナミックな拵えと露天風呂の広さと開放感がある。源泉も風呂に注がれると青味が強くなり温度も適温、体に優しい上に解放感溢れいつまでも入っていたい気分になる。今回はすべての風呂も入る予定なのでいつまでも浸りたいが長湯は禁物と出て、この旅館の起源の自慢の「玉子湯」へ。

 旅館の裏手にあるこじんまりとした萱ぶきの湯屋「玉子湯」は、湯治場の雰囲気満載で脱衣所が湯船の脇にあり歴史と湯屋風情が満喫できる。この日は、本館内の風呂も入り、計四か所の湯に入り温泉三昧に浸った。夕食までの小一時間、部屋では福島市内で買い求めた「ひやおろし奈良萬 生酒」でスロースタート。 夕食は個室に案内され、しばし小宴。

  翌朝、野天風呂と入り残した内湯に漬かった後、送迎バスの時間まで宿の裏手の「高湯神社」へ。宿裏手の雪の山道を買ったばかりのスノーシューズで神社へと向かう。静謐なすがすがしい山道に気が洗われる。人気のない山道、足跡からは今朝は誰も来た形跡は見当たらない。「高湯・玉子湯神社」へとお参りし、宿の全景を見ながら山道を戻る。

  送りの送迎バスは宿泊客で満員、補助席をだしてなんとか出発する。福島駅に到着後すぐに駅レンタカーに直行し、七人乗りのワンボックスカーで二本松へと出発。二本松は、仲間の一人H君の父親の郷里と聞く。郡山と福島の間にあり、なかなか訪れる機会がなかったところだ。二本松の「霞が城」が目的地である。市内で人気の蕎麦屋の「鈴石屋」で昼食をとる。

 

 「二本松城」、別名「霞ケ城」は白河の丹羽光重公が二本松藩に移封されたときに築城。その後、戊辰戦争により官軍の総攻撃にあい落城。その際、板垣退助の官軍に対置した主力軍不在の12歳から17歳の少年兵の悲劇は「二本松少年隊」として語り繋がれている。現在、城は国史跡で「県立霞が城公園」となっている。昭和57年に箕輪門が復元されたが天守閣はいまだ復元されていないが、つづら織りの道と高く聳える石垣と見事な黒松が素晴らしい城跡である。天守跡へは上り坂を小半時の上り坂を汗を流す。途中、「日本の三井」と言われる、鎌倉の「星影の井」、印西の「星影の井」と、ここ二本松の「日陰の井」を見て、もう限界かと思われる頃突如として天守跡が現れる。澄み切った青空のもと安達太良連峰が眼前にして、天守跡の広場で暫し休憩、景色に見とれる。

 帰り道、二本松から下道の国道で福島駅へ向かってドライブ。途中や市内も震災の名残りは見当たらない。表向きの復興は進んでいるようだが、やや店のシャッターが気にかかる。近いうちに、福島の温泉と酒を求め、また訪れようと思う。




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