2013年8月10日(土)
> 私が沖縄県出身であったら「無力」を学ぶと思いました。そして沖縄民謡や踊りを必死に取り組むかな。そんなことを考えていたら、自殺率が高いのがつながってきました。
勝沼さん、ありがとう。これって「学習性無力」そのものですよね。
この種の無力に対して男性がヨリ脆弱であること、先日の琉球新報の記事とあわせ首肯するところがあります。沖縄だけでなく、中高年男性を中心とする日本全体の高自殺率は、おしなべて「無力感」と関係しているのかもしれません。
*****
さて、以前に予告した「三春人形」の絵、同地に住むAさんの力作をアップしておこう。
写真がヘタクソなので少々不鮮明だが、Aさん自身のHP開設は少し先になるようなので、予告の役には立つだろう。りりしいのにコミカルな味があり、生き生きしてとても楽しいものだ。
絵の裏側に人形の名前があり、順に「景政(かげまさ)」「羯鼓(かっこ)」「三番叟(さんばそう)」とある。
何だって?
あわてて調べると、景政はどうやら平安後期の武将、鎌倉権五郎こと平景政らしい。16歳で八幡太郎義家に従って後三年の役に出陣し、右目を射られながら奮戦したとある。
そうか、歌舞伎十八番『暫(しばらく)』の主人公が景政だったのだ。
清原武衡が、義家方の加茂次郎義綱らを打ち首にしようとするとき、鎌倉権五郎景政が「暫く~」の一声でさっそうと現われ、大立ち回りの末に味方を助ける物語である。舞台上の鎌倉権五郎は、「荒唐無稽といえるほどの派手な扮装と隈取りで登場する」のだそうな。
Aさんの景政は両目がぱっちりすわって、隈取もほどほどにぐっと闘志をためている。
とても良いお顔ではないか。
羯鼓は女性が打っている楽器の名前。雅楽に用いられ、曲が始まる合図を出す指揮者の役目をもつとある。
雅楽というより、お転婆な芸者さんの乱れ打ちみたい。振袖を振り乱して勇ましい。
三番叟は式三番(能の翁)の中で、翁の舞に続いて舞う役、あるいはその舞事そのものを指すのだという。初めは「父尉(ちちのじょう)」「翁」「三番猿楽」の三部構成であったものが、室町時代からは「父尉」が省略されたが、名称はそのまま三番叟であり続けた。翁の舞が天下泰平を祈るのに対し、三番叟は五穀豊穣を寿ぐもの。また「父尉」と「翁」は呪術師(聖職者)が演ずるが、三番叟は猿楽師が演じたという。
より人間的・庶民的で生活の喜びに満ちたイメージかしらん。
御稚児さんのような丸顔に、そのあたりがとてもよく現れている。
三春人形そのものの由来も、初めて知った。コトバンクからコピペしておこう。
福島県郡山市西田町高柴および田村郡三春町で製作されている張子人形。伝統的な郷土玩具類の代表的な人形として知られる。江戸時代正徳・享保(1711‐36)のころまでは三春藩領の高柴付近で子ども相手のデク,デコと呼ぶ張子玩具がつくられていたという。隣接の伊達郡川崎村が和紙の産地であったのが三春人形発達の要因になった。当時の三春藩主秋田倩季(よしすえ)が,農閑期の副業奨励のため江戸の人形師を招き領内の高柴に〈デコ屋敷〉を与えて張子人形製作の技法を農民に修得させたのが始まりという。
さて、ウンチクはもうたくさん。
どうぞ絵を御覧ください。
Aさん、ありがとう。

景政(かげまさ)

羯鼓(かっこ)

三番叟(さんばそう)
> 私が沖縄県出身であったら「無力」を学ぶと思いました。そして沖縄民謡や踊りを必死に取り組むかな。そんなことを考えていたら、自殺率が高いのがつながってきました。
勝沼さん、ありがとう。これって「学習性無力」そのものですよね。
この種の無力に対して男性がヨリ脆弱であること、先日の琉球新報の記事とあわせ首肯するところがあります。沖縄だけでなく、中高年男性を中心とする日本全体の高自殺率は、おしなべて「無力感」と関係しているのかもしれません。
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さて、以前に予告した「三春人形」の絵、同地に住むAさんの力作をアップしておこう。
写真がヘタクソなので少々不鮮明だが、Aさん自身のHP開設は少し先になるようなので、予告の役には立つだろう。りりしいのにコミカルな味があり、生き生きしてとても楽しいものだ。
絵の裏側に人形の名前があり、順に「景政(かげまさ)」「羯鼓(かっこ)」「三番叟(さんばそう)」とある。
何だって?
あわてて調べると、景政はどうやら平安後期の武将、鎌倉権五郎こと平景政らしい。16歳で八幡太郎義家に従って後三年の役に出陣し、右目を射られながら奮戦したとある。
そうか、歌舞伎十八番『暫(しばらく)』の主人公が景政だったのだ。
清原武衡が、義家方の加茂次郎義綱らを打ち首にしようとするとき、鎌倉権五郎景政が「暫く~」の一声でさっそうと現われ、大立ち回りの末に味方を助ける物語である。舞台上の鎌倉権五郎は、「荒唐無稽といえるほどの派手な扮装と隈取りで登場する」のだそうな。
Aさんの景政は両目がぱっちりすわって、隈取もほどほどにぐっと闘志をためている。
とても良いお顔ではないか。
羯鼓は女性が打っている楽器の名前。雅楽に用いられ、曲が始まる合図を出す指揮者の役目をもつとある。
雅楽というより、お転婆な芸者さんの乱れ打ちみたい。振袖を振り乱して勇ましい。
三番叟は式三番(能の翁)の中で、翁の舞に続いて舞う役、あるいはその舞事そのものを指すのだという。初めは「父尉(ちちのじょう)」「翁」「三番猿楽」の三部構成であったものが、室町時代からは「父尉」が省略されたが、名称はそのまま三番叟であり続けた。翁の舞が天下泰平を祈るのに対し、三番叟は五穀豊穣を寿ぐもの。また「父尉」と「翁」は呪術師(聖職者)が演ずるが、三番叟は猿楽師が演じたという。
より人間的・庶民的で生活の喜びに満ちたイメージかしらん。
御稚児さんのような丸顔に、そのあたりがとてもよく現れている。
三春人形そのものの由来も、初めて知った。コトバンクからコピペしておこう。
福島県郡山市西田町高柴および田村郡三春町で製作されている張子人形。伝統的な郷土玩具類の代表的な人形として知られる。江戸時代正徳・享保(1711‐36)のころまでは三春藩領の高柴付近で子ども相手のデク,デコと呼ぶ張子玩具がつくられていたという。隣接の伊達郡川崎村が和紙の産地であったのが三春人形発達の要因になった。当時の三春藩主秋田倩季(よしすえ)が,農閑期の副業奨励のため江戸の人形師を招き領内の高柴に〈デコ屋敷〉を与えて張子人形製作の技法を農民に修得させたのが始まりという。
さて、ウンチクはもうたくさん。
どうぞ絵を御覧ください。
Aさん、ありがとう。

景政(かげまさ)

羯鼓(かっこ)

三番叟(さんばそう)