散日拾遺

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三春人形

2013-08-10 13:17:47 | 日記
2013年8月10日(土)

> 私が沖縄県出身であったら「無力」を学ぶと思いました。そして沖縄民謡や踊りを必死に取り組むかな。そんなことを考えていたら、自殺率が高いのがつながってきました。

勝沼さん、ありがとう。これって「学習性無力」そのものですよね。
この種の無力に対して男性がヨリ脆弱であること、先日の琉球新報の記事とあわせ首肯するところがあります。沖縄だけでなく、中高年男性を中心とする日本全体の高自殺率は、おしなべて「無力感」と関係しているのかもしれません。

*****

さて、以前に予告した「三春人形」の絵、同地に住むAさんの力作をアップしておこう。
写真がヘタクソなので少々不鮮明だが、Aさん自身のHP開設は少し先になるようなので、予告の役には立つだろう。りりしいのにコミカルな味があり、生き生きしてとても楽しいものだ。

絵の裏側に人形の名前があり、順に「景政(かげまさ)」「羯鼓(かっこ)」「三番叟(さんばそう)」とある。
何だって?

あわてて調べると、景政はどうやら平安後期の武将、鎌倉権五郎こと平景政らしい。16歳で八幡太郎義家に従って後三年の役に出陣し、右目を射られながら奮戦したとある。
そうか、歌舞伎十八番『暫(しばらく)』の主人公が景政だったのだ。
清原武衡が、義家方の加茂次郎義綱らを打ち首にしようとするとき、鎌倉権五郎景政が「暫く~」の一声でさっそうと現われ、大立ち回りの末に味方を助ける物語である。舞台上の鎌倉権五郎は、「荒唐無稽といえるほどの派手な扮装と隈取りで登場する」のだそうな。

Aさんの景政は両目がぱっちりすわって、隈取もほどほどにぐっと闘志をためている。
とても良いお顔ではないか。

羯鼓は女性が打っている楽器の名前。雅楽に用いられ、曲が始まる合図を出す指揮者の役目をもつとある。
雅楽というより、お転婆な芸者さんの乱れ打ちみたい。振袖を振り乱して勇ましい。

三番叟は式三番(能の翁)の中で、翁の舞に続いて舞う役、あるいはその舞事そのものを指すのだという。初めは「父尉(ちちのじょう)」「翁」「三番猿楽」の三部構成であったものが、室町時代からは「父尉」が省略されたが、名称はそのまま三番叟であり続けた。翁の舞が天下泰平を祈るのに対し、三番叟は五穀豊穣を寿ぐもの。また「父尉」と「翁」は呪術師(聖職者)が演ずるが、三番叟は猿楽師が演じたという。
より人間的・庶民的で生活の喜びに満ちたイメージかしらん。
御稚児さんのような丸顔に、そのあたりがとてもよく現れている。

三春人形そのものの由来も、初めて知った。コトバンクからコピペしておこう。

福島県郡山市西田町高柴および田村郡三春町で製作されている張子人形。伝統的な郷土玩具類の代表的な人形として知られる。江戸時代正徳・享保(1711‐36)のころまでは三春藩領の高柴付近で子ども相手のデク,デコと呼ぶ張子玩具がつくられていたという。隣接の伊達郡川崎村が和紙の産地であったのが三春人形発達の要因になった。当時の三春藩主秋田倩季(よしすえ)が,農閑期の副業奨励のため江戸の人形師を招き領内の高柴に〈デコ屋敷〉を与えて張子人形製作の技法を農民に修得させたのが始まりという。

さて、ウンチクはもうたくさん。
どうぞ絵を御覧ください。

Aさん、ありがとう。


景政(かげまさ)


羯鼓(かっこ)


三番叟(さんばそう)

二枚舌のススメ ~ 「現実性」続き

2013-08-10 09:21:01 | 日記
勝沼さんは長崎に行っている。
いつでも現場に直行し、そこから物を考え始める。
偉いなぁ。
自分は「そこ」にいないことを自覚つつ、「現実性」の話に落ちをつけておこう。

僕のように世間知らずで、ウソのつけない(モラルの水準が高いという意味ではなく、ウソをごまかすのに必要な、複雑系の頭の良さと意志の強さを欠いている)タンサイボーが外交を論じるのもどうかと思うが、岡目八目ということもあるからな。

外交には二枚舌がつきものである。
それも「時にはやむを得ない」というよりは、「それが常である」という意味での「つきもの」であり、さらに言うなら二枚舌であることが望ましい面すらある。

いきなり脱線するが、こんなジョークがあったっけ。
 外交官が「Yes」と言ったら、「Maybe」を意味する。
 外交官が「Maybe」と言ったら、「No」を意味する。
 では、外交官が「No」と言ったら? それは彼の無能を意味する。

 女性が「No」と言ったら、「Maybe」という意味。
 女性が「Maybe」と言ったら、「Yes」という意味。
 では、女性が「Yes」と言ったら? それは彼女のお育ちを暴露する。

決して「No」とはいわず、しかし「Yes」という言葉を質に置かないしたたかさが外交官には必須の資質、そのことが外交の本質をよく表している。
外交の主体は国・地域などの集団であり、個人ではない。集団は個人とはかけはなれて非理性的で融通が利かず、しかも暴力的である。
そうした集団が十も百も集まって相互利益の調整を図る時、そこでは個人の集まりとは全く違ったモラルとスキルが必要となる。
そのひとつのカギが二枚舌だというのだ。

***

今を時めく内田樹(それ誰?っていう人もあるかな、案外)が、参院選後に「一枚岩」の危険を指摘する記事を寄せた。

 知られる限りの粛清や強制収容所は、すべて「ある政党の綱領が100%実現された」場合に現実化した。
(「複雑な解釈」朝日新聞 2013年7月23日)

また、外交における並行現象に関して、内田は次のように書いたことがある。

 だから、ある外交的な危険については(たとえば、予想不能な行動を示す「ならず者」国家に対しては)諸国が同盟国から仮想敵国まで、微妙なグラデーションを作ってずらりと並んで見せることがリスク分散上効果的だと考えるのである。
(「おじさん」的思考 2002) 

効率追求よりも大きなリスク回避を政治制度の至上命題と考え、「差異」を活かすことでそれを果たそうとする発想が、この人の発言には一貫している。ほぼ全面的に賛同するところで、「現実性」の話も第二の引用の続く部分と大凡重なるようだ。
ここでオリジナリティを主張するつもりも必要もないから、重なりは介意しない。
内田も書くように、

アメリカにべったりくっついていけば、アメリカが倒れる時、共に倒れることを免れない。

要するにそのことだ。
そしてそれは、日本がドイツとべったりくっついた過去の歴史から何を学ぶかということでもある。

***

今から見ると信じがたいようだが、ナチスの全盛期においてドイツは世界を席巻するように見えた。「バスに乗り遅れるな」と当時言われた。むろん、バスとはファシズム/ナチズムである。

「駆け込み乗車は、たいへん危険ですのでおやめください。」

帝国主義の終わりつつある趨勢を読み違え、満州国問題で孤立しつつあった日本だが、国際連盟に関しては設立以来の功労もあり、そこに留まる限り押しも押されぬ実力国だった。
イギリス人リットン卿の指揮する調査団は満州事変を侵略と断じたが、同じイギリスは日本に対する弾劾を公けには控え、裏で妥協案を提示してきていた。
非難を浴びつつ国際連盟に居座り、思惑のネットワークの中で悠々と舵を切っていく図々しい落ち着きがあれば、大きなリスクを避ける道はいくらもあったのだ。

1933年、国際連盟脱退。
飛んで1940年、三国同盟締結。

「複雑怪奇」な国際政治の不条理に耐えかねたように、日本はドイツとの同盟を軸とした外交方針を旗幟鮮明にしていく。
特定の国(々)との排他的なパートナーシップを軸に据えた外交は分かり易く、順風の下では大きな戦果を挙げるが、いったん躓いた時、ほころびを繕う術を見出すのが難しい。それが第二次大戦で日本が踏んだ轍であった。

ちょうど今の季節は、ポツダム宣言が発せられた7月26日から、これを受諾する8月15日までの期間にあたる。日本の指導部は三週間も何を逡巡していたのか。
ひとつの答えとして、中立国ソ連の仲介によって降伏条件が緩和される可能性に期待していたとの説がある。日露戦争の講和はアメリカの仲介で為された。ならば対米戦争の幕引きをソ連の仲介で、というのは、しかしこちらの勝手な期待に過ぎない。もとよりスターリンには、そんな考えは毛ほどもなかっただろう。長崎への原爆投下と同じ8月9日、ソ連は日ソ中立条約を破棄し、満州と千島で対日攻撃を開始した。

アメリカ人は二発の原爆が日本の降伏を早めたと思いたがっているが、ソ連の参戦で仲介の道が絶たれたことの方が、日本の指導者にとっては大きな痛撃であったかもしれない。絶たれるも何も、はじめからあり得ない期待であったろうけれども。
ひるがえってアメリカが中立国スイスなどを介して、ソ連の参戦が間近であることと、アメリカ軍主導の占領下では天皇の身の安全が保障されるであろうことを伝えれば、原爆投下以上に迅速円滑に戦争を終結できたかもしれない。
むろんアメリカにそんな義理はなく、日本は枢軸べったりの路線の中で仲介ルートをほぼすべて失っていた。

以上は前振り。
要するに二枚舌というのは、「特定のパートナーとの関係に排他的に入れ込むことをしない」姿勢のことを指している。
ドイツともイギリスとも仲良くしたいが、ドイツとイギリスは仲たがいしている、両者に色目を使えば、「どっちが大事なんだ?」と相手は向き直ってくるかもしれない。
そんな時に「君が最高だよ」と両方に対してヌケヌケ言うことは、恋愛関係では不実だけれど、外交においては叡智である。
それはどんな状況下でも、仲介のルートをゼロにしない工夫と通底している。

***

二枚舌という言葉が、やっぱり悪いかな。

重ねて言うが、「特定のパートナーとの関係に排他的に入れ込むことをしない」姿勢を貫くならば、局面によっては二枚舌にならざるを得ないし、それは外交において避けがたいことである、そう言いたいのだ。しかし、そう簡単に片づく問題でもない。

史上最大の「二枚舌」といえば何を挙げる?
いろいろあるだろうが僕の乏しい知識の中では、「第一次世界大戦時の中東問題」などさしずめイチオシだ。
厳密には「二枚舌」ではない、「三枚舌」である。

イギリスは第一次世界大戦中、戦後の中東問題に対して以下の三つの協定を結んでいる。

1915年 フサイン=マクマホン協定: 戦後に中東のアラブ人の独立を約したもの。
1916年 サイクス・ピコ協定: 旧オスマン・トルコの中東領土を英仏間で分割する秘密協定。
1917年 バルフォア宣言: パレスチナにユダヤ民族居住地建設を約したもの。

見ての通り、順にアラブ、フランス、ユダヤの三者に色目を使ったもので、第一次世界大戦に勝つため、三勢力の協力を取りつける目的で結ばれた。
「三枚舌」とはいったが、三者が矛盾しない解釈ができるよう細かい注意が払われているのだそうで、さすがといえばさすがでもあろう。
しかしそれは文言上の話、これらが現実化する時、フランスはともかく、アラブとユダヤのあいだに深刻な葛藤が生じることは一目瞭然で、第一次大戦という目前の困難を乗り切るため、苦し紛れにイギリスのばらまいた時期尚早・準備不足の椀飯振舞が、今日のパレスチナ問題の伏線を為している。

悪しき二枚舌の好例である。

***

そういう悪しき「やり口」に学べというのではない。それでは先日の副総理だ。

本当に主張すべきことがあるならば、矛盾を恐れず発信するのが良い。
二枚舌が外交の常であるならなおのこと、矛盾を恐れる必要はない。
まず矛盾を解消しその後に発信するのではなく、とにもかくにも発信する。
そうすべきことが世の中にはあり、核廃絶への希求はまさしくそのような重大事である。
そう言っている。

そしてもうひとつ、そのように発信することは、日本必ずしもアメリカの腰巾着ではないことを世界にアピールする絶好のチャンスなのだ。唯一の被爆国が核廃絶を訴えることほど自然な求めがあるだろうか。あるいはそれを訴えないことが、どれほど不自然に思われることか。

発信すれば、世界が聞くだろう。
聞いた人々は、矛盾と葛藤を抱えつつも日本人が本気であると知るだろう。
逆に「署名拒否」を繰り返していれば、日本はその気がないと見なされる。当然だ。
「あの時はアメリカに義理立てして」などと後から言っても、誰がそんな言い訳を聞くだろうか。
戦争で敗けたばかりか、魂までアメリカに獲られたと嘲られるのがオチだ。

対米関係を損なう?
そうだろうか?
文句を言わずについてくる日本が、易々とは言うことを聞かないドイツよりも、厚遇されているかどうか。
舐められているだけのことではないか。

「日米安保は基本政策」とする一方で、「核廃絶への希求」を世界に先駆けて高唱する、
それが二枚舌というなら、二枚舌歓迎、日本の外交がようやく大人のレベルに達した証拠というものだ。
アメリカにしたところで、その程度のことで日本との同盟関係を再考したりはしない。
先方はそれほどタンサイボーではない。

くどいようだが、くりかえす。

核兵器廃絶を求める共同声明に進んで署名することこそ「現実的」に有効な選択であり、アメリカの鼻息を伺ってこれを控えることはむしろ世界の趨勢の中で「非現実的」なのだ。
いま現にもっとも羽振りの良いものに迎合することが「現実的」であるとはいえない。
長いものに巻かれれば、長いものと一緒に捨てられる。
それはお断りだ。