散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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話芸/技術と平和/宮本引退

2013-08-26 15:10:00 | 日記
2013年8月26日(月)

久しぶりにカラッとした朝で気持ちが良い。

21日(水)に帰京したが例年になく疲れがとれずにいた。
年齢かな、今年のものすごい暑さのせいかな・・・
木・金は診療、土曜日は次男の卒業した学校で、教員免許更新講習のお手伝い。

昨日はせっかく気温が下がったのにジョギングにもいかず、一日スルメのように伸びていた。おかげで良いこともあり、Eテレで囲碁講座に続いて講談『黒田節』を神田紅が語るのに見入り、聞き入った。名調子に心楽しむ。

能・歌舞伎などに限らず講談・浪曲・落語まで、日本の「話芸」の伝統は実に豊かなのだ。それを日常生活で生かしている人が、いないとは言わないが多くはない。土曜の自分の講義を振り返って忸怩たる思い。

書くことも語ることも、うまくなりたい。

*****

朝のラジオ、ビジネス展望で立教の山口教授が「ブランディング」について語る中で、海外での日本に対する評価のキーワードが「先端技術」と「平和」であることを紹介された。後者の一例として、タリバン崩壊後のアフガニスタンの武装解除に日本が貢献したことを挙げておられる。アフガニスタンの軍閥側に「日本の手に依るのであれば武装解除に応じてもよい」という判断があり、そこに「平和」のイメージが効いているのだという。

以前「二枚舌外交のススメ」で言いたかったのはこういうことで、対米従属・安保べったりではこういう評価がいずれ台無しになるというのだ。九条を、軍隊を派遣しない口実として消極的に使うばかりではなく、むしろ積極的に活用していったらどうか。「ニッポン賞」とでもいった賞を創設し、ノーベル平和賞が拾い損ねている平和貢献に対して毎年顕彰を行う。「日本」といえば「平和賞の国か」と世界中が認知するようになれば、地対空ミサイル以上の防衛効果を発揮するだろう。

・・・などと街場の平和論、内田樹が「第二次大戦終結以後、日本の兵士に殺された人間が世界中に一人もいない」ことの意義を力説していたっけ。

*****

宮本が引退を表明した。

誰かって?
ヤクルト・スワローズの宮本慎也だ。
ゴールデングラブ賞を遊撃とサードで計10回獲得の名内野手、大学・社会人経験者としては二人目の2000本安打、ヤクルトの三度の日本一に貢献・・・
赫々たる成績もさることながら、アテネと北京の五輪など、日本代表チームの主将はこの人しかいないという人望の厚さ、他チームの選手にも乞われれば喜んで指導する心の寛さなど、ヤクルト球団に留まらぬ日本球界の至宝だった。今年満42歳。

ありがとう、寂しいですよ。

*****

今日から三男は学校が始まる。
二期生なので「始業式」のない授業再開。
先生も生徒も御苦労なことだ。北国の学校ならいざ知らず、この猛暑の中、八月いっぱいぐらい休みをあげたいものだけど。
実際は部活指導に免許更新講習、先生たちもスルメ状態だよな。

アメリカで見かけたジョーク:
"There are three reasons to be a school teacher; June, July, and August.(学校の先生になりたい三つの理由がある。六月、七月、そして八月だ。)"

おあとがよろしいようで


(生干しのスルメ、Wikipedea より)

宝塚のヤマトナデシコ/締めて1,700km

2013-08-26 15:08:12 | 日記
2013年8月20日(火)
後追い日記の続き

宝塚という場所には多くの古墳があるそうだが、これは頷かれる。
武庫川の流れを前にした日当たりの良い斜面で、水と太陽に二つながら恵まれているのだから、人が集まらないはずがない。
江戸時代には「宝塚」の地名があり、「塚のあたりで物を拾うと幸せになれるので」その名がついた等の縁起話がある。

この地域の近現代史を語るうえで、外せない人物がひとり。
小林一三(1873-1957、こばやし・いちぞう ~ 「いっさ」と読むなよ)
僕はつい最近まで知らなかったんだが、立志伝中の人物である。

山梨県出身、慶應義塾大学卒。
阪急電鉄をはじめとする阪急グループの創始者であり、宝塚歌劇団の設立者でもある。第二次近衛内閣の商工相、夏の甲子園高校野球大会の創設にも尽力、ついでに元プロテニスの松岡修造の曽祖父にあたるんだと。

詳細はネットにでも譲るとして、山梨出身というのがピンとくるのだ。
前に「県民性/藩民性」論議でも出てきたけれど、山梨では「藩」と「県」の連続性が強く、そこに住む人の県人/藩人意識がたいへん強い。「信玄公が天下を取っていたら」という話を前に書いたよね。
(「県?藩?もっと古いもの?/海を汚すということ」)

それも分かる気がするんだな。
甲府盆地を中心とした鍋底のような地形、海がないので塩も海産物も不足がちで、おしなべて資源に乏しい。そして、甲府盆地から見る富士山は、おそろしく巨きいのだ。

かの地に生れ育った人の中から壮大な野心家が現れるのは、しごく自然なことに思われる。

*****

宝塚在住の義理の従姉をたずねる。
彼女はイギリス人と結婚して二男一女をもうけ、オーストラリアを経て今はイギリスに住んでいる。今年は15歳の娘さんを連れて夏の帰省、この娘さんと当方の三男は誕生日が一日違いのハトコ同士でもあり、それやこれやをサカナに皆でランチということになった。

日本大好きのロンドン在住娘と、英語が面白くなり始めた東京の少年と、少しは会話があるかとは期待もおろか、15歳同士は言葉も視線もほとんど交わさない。代わりに従姉が御機嫌よろしく、豪州から英国までの逸話挿話をおもしろおかしく語ってくれた。

母親につられて少女もポツポツと語りだすが、イギリスについては良いことを何一つ言わない。
「向こうではどんな物を食べるの?」
「美味しくない物」
「美味しいものはないの?」
「ない、イギリスに帰ると体重が減る」
「遊ぶことなんかは?」
「ない、イギリスには、な~んにもない。いっつも天気悪いし」
取りつく島もない。
友達とは楽しいらしいが、3時に授業が終わるとスクールバスなんぞで散ってしまい、帰宅後はなかなか遊べない。なので日本の学校の「ブカツ」がうらやましくて仕方ないという。
オーストラリアのほうが、まだずっと良かった。お天気だって、スカッと晴れてたし・・・

僕が15歳、中3の時には「白豪主義」について教わった。
父が15歳、幼年学校生徒の時には、日本は英・豪と戦争を戦っていた。

セントルイス時代に親しくなったアメリカ人男性の想い出話だが、彼が日本人の妻とともに戦後のオーストラリアに滞在した頃、現地人からよく感謝されたという。
「大戦時のアメリカの活躍はありがたかった。我々だけでは日本軍を撃退できなかったからね。」
そこで彼が妻を紹介すると、決まって気まずい沈黙が支配したものだと。

時は流れる。
従姉がオーストラリアからイギリスへ移る時、周囲が口々に惜しんでくれた。
「なんだって、pom なんかの国へ行くんだい?ずっとこっちにいればいいのに」
「pom と結婚しちゃったから、仕方ないでしょ。」
「だからさ、aussie と結婚すりゃよかったんだよ。」

pom は豪州人の英国人に対する蔑称である。その語源に諸説あるが、従姉が紹介してくれたのは prisoner of Motherland というものだった。もともとは豪州が流刑地だったのだから、この説には痛烈なしっぺ返しが込められている。

従姉が笑顔で快調に飛ばす。
「大英博物館とか、どこも無料なの。衰えたりといえど、教育や医療の充実は見事だと思うわ。でも大英博物館には、世界中からぶんどってきたものがたくさんあるものね。無料で公開するのが罪滅ぼしよね。」

ハーフのナデシコさん、いつか父の国の良さに目覚める日が来るだろう。
今は良いことずくめに見える母の国に、厳しい批判をもつ時があるかもしれない。
結構なことだ。この種の枠組みに関する限り、今どきの若者は僕らよりもはるかに自由で、とらわれが少ない。
ハトコが初めてつくったというポテトサラダを、三男はモリモリ平らげておかわりした。


2013年8月21日(水)

5時45分、宝塚発。

出発がやや遅れたのは僕の失敗だ。
車に積み込む荷物を考えもなしに芝生に積み上げていたら、そのどれかがネコババを踏みあてたらしい。除染に一同大わらわ、あ~あ・・・

それでも、これで厄が落ちたのか、途中はスムーズに進行する。
新東名の「遠州森町SA」が昨年から楽しみになっている。「森の石松」の出身地だ。お茶と蕎麦、特にやまかけが美味しい。

 馬鹿は死ななきゃ直らねえ

これって、石松さんのお言葉でしたか。
昨年はこの句入りの手ぬぐいを買って帰って、研究室の入り口に吊った。
Mori no Ishimaru ・・・ アルファベット一つ違いなのね。

往路:前半 503km、後半 365km
復路:前半 324km、後半 505km
計 1,697km、今年も無事往還。

***

明けてS君よりメール:

おはようございます。もう帰京しもとの生活ですね。愛媛はいかがでしたか?
今朝のラジオ一首:

 八月の川原に咲くナデシコの涙ぐましよ今もむかしも (鳥海昭子)

ナデシコは純愛、才能を意味するそうです。
そんな意味があるとは知りませんでした。


カワラナデシコ (http://www.hana300.com/nadesi.html)

花とともに人が立つこと(続)/ニラ讃仰

2013-08-26 11:39:34 | 日記
2013年8月20日(火)の後追い日記

ニラ讃仰の続きから:

ニラというのは実に立派な植物なのだ。
まず緑が鮮やかでよく繁る。
暑さや水不足に強いことは驚くほどで、真夏に2週間も家を空けるとベランダの植物は大概もたないが、ゼニノナルキやハランと並んでへこたれないのがニラである。
そのうえ花が美しい。八月中ごろ、葉の間から50㎝ほどの細い茎が真っ直ぐに立ち上がり、その頂に数輪の白く小さな花をつける。個々の花は純白の6弁をもち、6本の黄色いおしべが慎ましく介添えしている。
強さ、美しさに加えて、食物として滋養豊富、レバニラ/ニラレバは大衆食堂の永遠の主役だろう。
良いことづくめのこの植物の、人間から見て唯一の欠点が独特の臭いである。硫黄化合物の仕業らしい。
ニラの花には昆虫が引きも切らずに訪れるから、おそらく蜜も豊かなのだと思われるが、ニラの香りの蜂蜜では商品にはなりにくかろう。
禅宗などの精進料理でも忌避されるという。妙な話で、残念なことだ。

とはいえ、ニラという植物の総体としての素晴らしさは疑いも容れない。
どこでだったか、屋根の上だか屋上緑地だかを一面のニラで覆ったのを見たことがあるが、名案と感心したものだった。

*****

人を花になぞらえる話だったっけ。

ふと思ったのだが、故人を花になぞらえることは容易(たやす)く、健在の人を花にたとえるほうが難しい。少なくとも自分の場合にはそう思う。

故人が花に生まれ変わる、あるいは故人の霊が花に宿る、そんなふうにどこかで感じているのだろうか。なので、健在の人を花にたとえてしまっては、申し訳ないように感じるのかな。

キリスト教ではそういう考え方をしない、とか野暮なことは言わない。
そういうことじゃなくて心理的な機微の問題なのだ、たぶん。
自分の中にある他の人のイメージが本当に自分自身の一部になるのは、現実の対象と別れた後のことである。そんな思いがあるが、どんなものだろうか。

現実の相手と現実に結びついている間は、自分の中の相手のイメージはいわば相手の出先機関か出張所、あるいは植民都市のようなもので、それは本国や本社の意向を受けて時とともに変わっていくし、その変化に対して僕は異を唱える権利をもたない。そこには一種の治外法権がある。これを尊重するのがマナーというものだ。

けれども現実の相手との現実の関わりが切れる時、その領域ははじめて自分自身の主権下に統合される。僕はそこにあるものを随意に変更する自由をもち、管理する責任を負う。
そして、その時はじめて相手を花に投影する手続き上の準備が整うことになる。人間一般にどうかは知らないが、僕にとってはそういうことであるようだ。
このことのヒントを精神分析から受け取ったと思い込んでいるのだが、ひょっとしたら大きな誤解あるいは不勉強の産物かもしれない。

ともかく僕の場合、曖昧さを残さず安心して人を花に仮託できるのは、その人が既に故人であるか、あるいはその人との現実の結びつきが切れているか、そのどちらかに限る。そのカラクリは上に書いたようなこと、であるらしい。

*****

とはいったが何にでも例外はあるもので、讃仰するニラについては健在の人になぞらえてみたい気持ちが、少しだけある。
しかしまあ、やめておこう。
「ニラみたい」
と言われて、笑顔で
「ありがとう」
と答える人は、まず絶対にいないだろうから。

なお、ニラについて『古事記』では加美良(かみら)、『万葉集』では久々美良(くくみら)、『正倉院文書』には彌良(みら)として記載があるそうだ。古代においては「みら」が正形だったんだね。

良い響きだ。





【訂正】
ニラの花の形状について:
「花弁は3枚だが、苞が3枚あり、花弁が6枚あるように見える。」(Wikipedia)

失礼しました。