散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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勝沼さんのコメント(ゾンビ革命/方言/現在の沖縄/藩民性)

2013-08-07 22:24:28 | 日記
2013年8月7日(水)

10分ほど前、勝沼さんがまたコメントをくれた。
これはもう最高に面白いので、目立つところに置いておきたい。
このところのコメント4つを、まとめて転記させていただく。

いずれも含蓄に富んでいて、そこからさらに議論してみたいことがたくさん詰まっている。
あらためて、ありがとうございます。

①「傷つかない力/衝動買い」に対して:
・タイトル
ゾンビ革命
・コメント
 藤野可織さんは「受賞を聞いた時に何をしてましたか?」という問いに「ゾンビ革命という映画を見ていました」と答えて私達ゾンビ映画ファンを喜ばせたのですが、この「ゾンビ革命」という映画のテーマをよく考えてみるとこの”傷つかない力”という言葉がピッタリ来るのです。無職のダメ男の中年がゾンビ騒動を機にハッスルするストーリーなのですが、その根底にあるのはゾンビ発生も今までの国内のゴタゴタと同じようなもんだというキューバ人のものすごいオプティミズムなのです。キューバでこんな映画がつくられるとは!と驚きます。
 そこまで考えてコメントしてたのだとしたらすごい人です。

②「県民性」に対して:
・タイトル
携帯と県民性
・コメント
 こないだ広島で女子高生がLINEを巡るトラブルから殺人をしてしまう事件がありましたが、彼女たちのLLINE(チャットみたいなもの)の文面が口語でバリバリの広島弁なのが驚きました。
 方言や訛りはまだまだ残ってますし、言葉の違いが生む県民性もまだまだ残っていくのではないかと思ったりもします。

③「県民性(続き)/広島・名古屋・沖縄」に対して
・タイトル
現在の沖縄
・コメント
 実は沖縄の男性の自殺率は全国トップレベルなのです。かなり古い記事になりますが、97年の琉球新報の記事が大事なことがまとめてあるので、リンクを貼ります。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-90158-storytopic-86.html
 昔から沖縄は女性が強く男性が弱いというのは県民性として有名ですが、戦後男性の自殺率がどんどん上がり70年代から80年代には全国平均を超えています。精神疾患による自殺も多いそうです。記事では琉球大学の教授の解説で沖縄の本土化、都市化によって伝統的社会基盤が失われているからではないかと書かれています。昔は男性が弱くてもそれでやってける社会だったのが、日本色に染まってそういうものが弱まってしまったのだと私も思います。

④「【言葉】 めづらか」に対して(実際は「県民性」のこと)
・タイトル
藩民性
・コメント
 実は私達が県民性と呼んでるのは藩民性のことなのではないでしょうか。
 最近、面白い視点を考えました。それは年を明治換算してみるということです。今は明治145年。意外に最近なことに気づきます。
 95年は明治127年。子どもの頃に江戸時代を知るおじいちゃん、おばあちゃんと接した世代がぐっと減ったのが95年付近なのかもしれない。だから藩民性が薄まったんじゃないかと想像します。

*****

【言葉】 めづらか

2013-08-07 12:46:39 | 日記
2013年8月7日(水)

めずらか(めづらか)、という言葉がある。
「珍しい」と同義だが、何だかはんなりと良い響きではないか。

手許の辞典から用例を引いてみる。

まず、大辞林
「空気に珍かなるよきかほりをそへ」(浴泉記)

『浴泉記』は、レールモントフ(1814-1841)の小説を小金井貴美子(1871-1956)が翻訳したものだそうだ。小金井貴美子は森鴎外の妹で、小金井良精(こがねい・よしきよ、1859-1944)の妻。
小金井良精は解剖学者・人類学者で、日本人の起源に関する論争の中でアイヌが日本の石器時代人であることを主張した。「県民性」の話の発端になった越後人で、古志郡長岡(現・新潟県長岡市)の出身とある。
長岡藩は稲作や北前船で栄えた譜代の雄藩だったが、幕末には河合継之助の指導下に奥羽越列藩同盟に与し敗北した。
長岡出身者としては山本五十六が有名であるほか、作家の阿刀田高(ナルコレプシーの当事者でもある)、元プロ野球選手の今井雄太郎(阪急ブレーブスで完全試合を達成した)、女優の星野知子(「なっちゃんの写真館」)、ヨネックス創業者の米山稔、ジャーナリストの櫻井よしこ、それに良寛さんの名前がある。「三半規管」の件で揚げ足をとらせてもらった詩人・堀口大学も生まれは東京だが、戊辰戦争で戦死した長岡藩士の孫だそうだ。

どうして話が逸れるかな・・・

次、日本国語大辞典
「今、米豆良可爾(=めずらかに)新しき政にはあらず、」(続日本紀、天平元年)
続日本紀は797年の完成とあり、「めずらか」の語は少なくともここまでさかのぼるわけだ。

そして、小学館の古語辞典
「かかる旅をならひ給はぬここちに、心細さもをかしさも珍らかなり」(源氏物語・須磨)
これは説明不要。

このぐらいで用例はいいや。

「めづらし」(形容詞)と「めづらか」(形容動詞)、どちらが古いか知らないがもちろん同根、もともと動詞「愛づ(愛でる)」から派生し「賞賛に値する」の意だそうである。

「いたうこれより老いほれて、はた、めづらにぞ経読まず」(紫式部日記、1010年頃)

・・・お仕事、してる?

1995年/打ち込まれた楔

2013-08-07 10:02:38 | 日記
2013年8月7日(水)

勝沼さんからのコメント3件、感謝しつつ昨日の補足。
ケータイの普及、『寅』の死、県民性の急速な希薄化、これらがほぼ同期しているというのは、あながち出まかせではなくて。

僕らがアメリカに滞在したのは1994年から1997年にかけての三年間、後から考えれば実に意義深いタイミングでの渡航だった。
そのことはあらためてじっくり考えるとして、ここではさわりだけを書く。

○ 携帯電話
94年の春に日本を発つ時、まだ携帯電話というものはほとんど普及していなかった。
96年の秋だったろうか、タイで開かれる学会に出席のため日本を通過、数日滞在。
(三年間で帰国したのはこの時だけだ。家族は一度も戻っていない。)
東京に着いた晩だと思うが、夜道を歩いていてギョッとした。
暗がりで、若い女性が何かブツブツ言っている。怒っているような声である。
事件?病気?
おそるおそる振り返ってみれば、携帯電話で誰かと話しているのだった。
あらためて見回し、道行く人々の大半が携帯を持っているのに初めて気づいた。

ネットで検索、携帯電話の「世帯普及率」年次推移を確認する。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/6350.html
携帯電話を「世帯」でチェックするのはナンセンスのようでもあるが、ともかく引用しておくと、
94年3月末 5.8%
95年3月末 10.6% (PHS 0.3%)
96年3月末 24.9% (PHS 7.8%)
97年3月末 46.0% (PHS 15.3%)
まさにウナギ上り、幾何級数的に増加した時期である。

人が携帯を持つと持たないとで、街の風景はまったく違ったものになる。
事実、渡米の before と after で風景は一変していた。
1995年をはさむ時期だ。

○ フーテンの寅
『男はつらいよ』映画シリーズは1969年に第1作が作られ、1995年の第48作で幕を閉じた。
渥美清は幼少から多病だったが、20代には肺結核で右肺を摘出し、2年間のサナトリウム生活を送っている。その後は摂生に努め、酒・タバコはもとよりコーヒーまで控えたらしい。
にもかかわらず、1991年に肝臓癌が発見される。後には肺転移を起こし、最後の5作ほどは文字通り身を削って出演した。
1996年8月4日他界、享年68歳。

渥美清も山田洋二監督も、シリーズ継続に向けて最後まで前向きだった。49作目は田中裕子をマドンナに迎え、96年秋にクランクインを予定していたという。
しかし先にも書いたように、寅が生き生きと生きていける日本の風景そのものが、この時期に急速に消滅しつつあった。そうした風景こそ、僕らに「県民性」をイメージさせるものでもあったのだ。
「さあさお立合い、とりいだしましたるこの品々、白木屋・黒木屋で紅おしろい塗ったお姉ちゃんから買ったら5千円は下らない、今日はそれだけいただこうとは申しません。なぜならわたくし、山形県民が大の贔屓・・・」

渥美清が長命したとしても、山田監督は遠からずシリーズに引導を渡さねばならなかっただろう。
その寂しさが耐え難くて、あるいは僕らにその寂しさを味わわせないために、渥美が去った。
そう思われるぐらい、ぴったりのタイミングだった。

以前、「森林が消滅すればオランウータンが絶滅するように、空き地がなくなるとジャイアンは死滅する」と書いたことがある。これもまた同期していたかどうか、相前後することではあっただろう。

○ そこで1995年前後
1995年 ~ 敗戦からちょうど半世紀 ~ このあたりで、僕らの社会に何か本質的な、大きな変化が起きたように思われるのだ。
この年の事件として超有名なところでは、
1月17日、阪神淡路震災
3月20日、地下鉄サリン事件(おかげさまで僕の誕生日だ)
これらは象徴的なもので、たぶん掘り起こしていけばいろんなイモが蔓につながって出てくるだろう。

いわゆる「バブル崩壊」は90年代初頭だが、終身雇用制の終焉といった形でそれが構造的な変化につながっていくのは、95年前後ではないか。
日本人の自殺が急増して年間3万人超になったのは98年、そのカラクリは明らかになってはいないが、同時期に完全失業率が4%台に達したことと関連づける説は有力である。

悪いことばかりではなく、たとえば精神科医療の世界では全国の精神科病床数が30万床あまりでほぼ頭打ちになり、あわせて慢性的なオーバーベッド状態が解消されたのが90年代半ばだった。
精神科病床数の推移には、日本の近代の矛盾が集約的に表されている。いずれ書くからね。

先日来持論にしているように、「敗戦体験後の否認・躁的防衛」の時期が終わり、人の心が死生に向いてくるのもこの時期。
戦後日本の総決算?
陳腐だな、もっとマシな表現がほしい。

考えてみればこの時期に、長男・次男は就学前、三男に至っては誕生していなかった。
こんな大転機の前と後とで、人の育ちが違ってこないはずがない。

野球大好きの三男に、ひとつ調査を依頼した。
甲子園に出場する高校野球チームの中に、県外からの野球留学少年たちがかくも目立つようになったのは、いつ頃からか。
調査前の仮説として、「1995年前後」という読みがあるが、さてどうだろう。

ちなみに済美の怪童・安楽は、生粋の伊予っ子だよ!

*****

放送大学に On Air という広報誌がある。
「コース横断座談会」という新企画が掲載され、第一回は下記のテーマだ。
『人と人との結びつき - 日中韓の違いは何をもたらすか』

身びいきではなく、これは面白い。
下記、110号の8ページからご覧あれ。
http://www.ouj.ac.jp/hp/gaiyo/onair.html

中で妙に心にかかったのが、東洋史学を専門とする吉田副学長の韓国に関するコメントだ。

(韓国人は自国の)リーダー達を見て、基本的には信頼できないと考えています。韓国では常に『民族』と言っていないと(民族ということを)忘れてしまう危険があるかもしれません。
 (中略)
(このことに関しては李氏)朝鮮時代から脱して近代化に進む過程での残滓が影響していると思っています。
 (中略)
韓国は近代化へ一歩踏み出すところで日本に支配されてしまい、第二次大戦後になって、ようやく自前の近代国家を造ろうとしました。今の政治風土を見ると、まだその途上ではないかと思います。
 (中略)
日本人であること - それは自明の理であり、公共という集団の中に自分を位置づけることが安定した社会を作るという暗黙の了解に日本は覆われています。ですから、それほど共同体意識が薄れるとは思っていません。(いっぽう)韓国は近代化の途上で日本によって楔を打ち込まれました。そのため、その前後の共同体意識というものをどう結びつけるか、という課題を抱えたままです。中国の場合は”革命”という装置が働きましたが韓国にはそれがありません。その不安定感が反日というところに出ている感じがします。近代化百数十年の道のりに刻み込まれた傷こそが自分たちの存在の根拠だ、とすることで国民的な凝集力、つまり共同体意識を呼び起こす必要があったのでしょう。

最後、やや唐突に「反日感情はくすぶっていますが、日本に対する信頼感、それは理屈抜きにあると感じています」と結んでいる。

「日本に楔を打ち込まれた」か、なるほどなあ・・・
そう言われると、いろんなことが腑に落ちるようだ。

いまどきすっかり流行らないが、僕は岸田秀の隠れファンだったりする。
『ものぐさ精神分析』(正・続)とか
『日本がアメリカを赦す日』とかね。
(後者について、京極純一氏がかつて毎日新聞に書評を書いたのを今知った!氏らしいトボけたコメントだよ。)

岸田の筆法でいくなら、
『韓国が日本を赦す日』
が書かれるべき理由があるんだな。
それでわかった。

楔を打ち込まれるのは、つらいことだ。
打ち込んだ側が故意・悪意でないとしてもね。
「打ち込んだ」自覚をもつことで、どこまで行っても自覚のもてないアメリカを超えたいものだ。

できなくはないはず、そう思う。