散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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秋/しまなみ海道/チャーチルと石原慎太郎

2013-08-22 11:49:21 | 日記
2013年8月19日(月)

中4日の滞在で松山を発ち、兵庫・宝塚へ。

その前に薪炭林の方の小ミカン畑をざっと草刈り。
草刈り機はスグレモノだがちょっとした重さがあるうえ、この道は短いけれど急坂で、機械を背負って現場へ出向くのが父の負担になり始めている。

 帰去来夸、田園将蕪胡不帰

頭の中を句が回る。
陶淵明は41歳だったというが、当時の41歳ならば今の僕と大差はあるまい。

一息入れてさあ出発という時、熱暑の庭を一陣、風が吹いた。
まだまだ暑い風だが、このように颯と吹く風は既に夏のものではない。
「ああ、秋の風だな」
とつぶやくと、
「さっき、じいじが同じことを言ってたよ」
と三男。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

古今集・藤原敏行のこの歌はもっと日が経ってからの風景と思っていたが、実は八月下旬の残暑にふさわしいものだったか。歌人は「秋立つ日に読める」と書いているから、下旬どころか上旬でも良いわけだ。
さっそく暗誦のこと、ついでに「来ぬ(きぬ)」の文法的解説を「来ぬ人を待つほの浦の」の「来ぬ(こぬ)」と対比してできるようにと、注文をつける。文法は解釈の足を引っ張るものではなく、鑑賞を支えるものだ。

***

正午前に田園を発つ。
高縄半島をぐるりと半周し、30kmで今治へ。今年も「しまなみ海道」で本州に渡る。
本四架橋は三ルートの個性が大きく異なる。

しまなみ海道の走る芸予諸島の地図を、Wiki から転載しておく。



見ての通り、海の中に島々が浮いているというよりも、陸地の間を水路が密に分布している体のものだ。そこに橋をかけるのは、机上で夢想する限りさほど突飛ではない。
鳴門の渦潮を大股に超えていく明石ルートとも、東西の広い海域を見渡しながら真っ直ぐ通う瀬戸大橋とも違う、飛び石伝いの楽しさが「しまなみ海道」にはある。白砂青松の浜辺に緑の島山、そして橋が美しい。なかでもちょうど中央、愛媛・広島の県境に位置する多田羅大橋の大斜張橋は見事の一語に尽きる。
この絶景を楽しむには太陽を背にして渡るに限るので、毎年復路は「しまなみ」と決めているわけだ。


(Wikipedia より転載)

写真には写っていないが、撮影者が立っている橋のこちら側(=愛媛県側)が大三島で、ここにある大三島神社は訪れる価値がある。
芸予諸島の中心、ということは瀬戸内海のヘソに位置するからでもあろう、大三島神社は西国の武士にとっての一大聖地だった。訪れる武将らが奉納した鎧兜が記念館によく保存され、日本全国に現存する鎧兜の(うろ覚えだが)60%はここにあるのだという。
義経や弁慶が奉納したものもあり、屋外には樹齢数千年の大クスノキや、河野通有槍かけの松などもあって、往時を偲ぶには格好の場所だ。

ついでにもう少し遡って想像をめぐらしてみる。
往時、都から朝鮮半島へ向うにはどうしてもこの海域を通らねばならなかった。
白村江の敗北に終わる7世紀後半の出兵の際、額田王が詠んだ歌はよく知られている。

 熟田津に船乗りせむと月待てば、潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

熟田津(にきたつ)と呼ばれた港の位置については、現在の地名で堀江・和気・三津浜の三説があるらしいが、いずれも松山市北寄りの海岸でまさに僕らの郷里のどこかである。そのことを中学校の(?)教科書で読んだとき、むやみに誇らしかったものだ。

ところがここに有力な異論があることを、数年前に地元の物知りから教わった。
松山周辺の港ならば、さほど慎重に月や潮を待つ必要はない。瀬戸内の難所は芸予諸島であって、これを無事に越えるためにこそ注意が要る。とすれば「熟田津」は今のしまなみ海道より都より(=東側)でなければならず、現・西条市あたりがそれにふさわしいというのだ。

こういう話は、どうしてこうワクワクするのだろうか。
そしてありがたいことに、ワクワクの結果として誰にも迷惑をかけはしない。

***

珍しく、山陽自動車道で渋滞にかかった。
Uターンラッシュの余韻でもあっただろうか。

「三上 ~ 馬上・枕上・厠上」(欧陽脩)については前に書いたが至言というもので、ドライブ中にふと思いつくことがいろいろある。

これは、思いっきりつまらないことなんだが・・・

チャーチルと石原慎太郎の共通点ということを思ったんだな。
「妙な比較をするな!」とイギリス人は怒りそうだが、そういうものでもないからね。

で、共通点:
✓ 二人とも、非常に好戦的である。文字通り闘い(戦争と限らない)が好きな人たちだ。これは別に非難ではない。柔道愛好家も、囲碁(=盤上の格闘技)ファンも、皆それぞれ一定の方向に好戦的だ。ただし二人のそれは主に政治において発揮されるところに特徴と「使用上の注意」がある。
✓ 二人とも、非常なナショナリストである。(ナショナリスト nationalist と愛国者 patoriotは、必ずしも同じではないことに注意。)
✓ 二人とも、たいへん自己愛傾向が強くワガママである。(そう指摘されて怒るどころか喜ぶぐらいにワガママだ。)
✓ 二人とも、文学者である。(チャーチルがノーベル賞作家であることは意外に忘れられている。ただし受賞対象は『第一次大戦回顧録』で、この時期まではこの種の「作品」に対してもノーベル文学賞が授与された。今とは違う。石原氏についてはコメント不要・・・だよね、たぶん。)

他にもあるかもしれないが、このぐらいにして。

他方で大きく違うこともある。
チャーチルにはイギリスの賢明な選挙民があった。第二次世界大戦を戦い抜いた救国の英雄を、戦争が終わると同時に満腔の敬意をもちつつ政権から放逐したイギリスの選挙民が、チャーチルという荒馬の手綱をしっかり握っていた。

石原には?
彼を乗りこなす選挙民があれば、あるいは千里を駆け得たかもしれない。

などと思いめぐらすうち目的地に到着。
午後6時30分過ぎ、松山から運んできた苗物を植えるのは明日の仕事に残った。

ああ、疲れた・・・

冠岳さん補遺

2013-08-22 07:39:27 | 日記
会場に置かれていた「しおり」の画像をスキャンして載せる。
著作権といったことが全く理解できていないので、これでもマズイようならどなたか御指摘ください。
といっても、原画の色彩の鮮やかさも何もこれでは分からないが、雰囲気だけでも伝われば幸いに。


『百猩々図』


『菊池武光像』


『梅狗図』