2013年8月17日(土)
朝、家族全員でお墓の掃除。
我が家の背後を上っていくと、丘の上が集落の墓地になっている。
田舎でもあり過疎地でもあって、この一帯の所有権や分画には曖昧なところがあったりする。
曾祖父に始まる一画と、その父にあたる人を祭った一画が、さしあたり僕らにかかわる墓所ということになる。
墓碑・墓標を前に家族の歴史をふりかえるのは、悪いものではない。
曾祖父自身と祖父母はクリスチャンだったが、曾祖母は仏教徒として亡くなった。特定の宗教に依らない単純な柱状の墓碑と、クリスチャンなら十字の下に俗名、仏教徒なら戒名を記した墓標の組み合わせは、父が人に相談しながら知恵を絞った結果である。
小一時間、三代七人で掃除に精を出した。
その間、足下の地面ではジガバチが一心不乱に作業中である。
真っ黒な身の丈は3㎝ほどもあろうか、若葉色のバッタを運んできたものの、大きすぎて用意の穴に入らないらしい。穴を掘り広げては、獲物を運び込もうとする作業を続けている。
その脚の使い方が見事なものだ。
砂粒を前肢で掴み、体の下を後方へ送る。アメフトのプレーヤーの要領だ。
一度でポンと行かないときは、中肢・後肢で押してやる。これを素早く繰り返して、かなりのスピードで土を掘っていく。
獲物は既に麻酔済みなのだろう、ピクリとも動かない。
これを運ぶときは後肢でがっちり把持し、前肢・中肢を使って前進する。
巧妙であり力強い。
この蜂には覚えがある。
確か二年前にも、一家でお墓掃除の日に同じようなジガバチが同じ場所に穴を掘っていた。むろん蜂は短命なのだろうから代替わりしているはずだが、よほど好条件の場所であるのか。この蜂はあの蜂の子か孫か、それともまったく別系統か。
二年前は、僕がハチ毒アレルギーと知っている長男が、蜂にいち早く気づいてフマキラーを取ってこようとした。「この蜂は刺さない」と制して、あの時も皆で見事な作業ぶりに見とれたのだ。
ふと、親近感。
ジガバチは「似我、似我」(我に似よ、我に似よ)と鳴くのでジガバチであり、その呼び声に応えて、似ても似つかぬ獲物の中から親そっくりの蜂が出てくるのだという。そのジガバチが代を重ねて居ついているとは、家族の墓所に似つかわしい仕合わせだ。
見事に獲物を引き入れるのを確認し、脱帽一礼。
***
帰り道で長男が、目の前の梢を指さした。
「初めて見た」という指先で、カマキリがセミを横抱きに抱えている。
セミはバタつくこともできない。
僕はたぶん三度目だ。最初に見たときは、捕まったセミがそれこそ「豚が塩辛食べたみたいに」大騒ぎするのを、カマキリはお構いなしに抱え込んでいた。
そういうことがあるのだと東京あたりで話すと、「へぇ、そうなんですか」と皆目を丸くするが、見ないものは信じないといった空気が目の周りに漂っている。それはそうだろう、これはちょっとした奇観であり、圧巻だもの。
***
屋敷に戻り、汗かきついでに庭を手入れしていて、蜂の巣を見つけた。
これは先ほどのジガバチとは違う。小ぶりだけれどスズメバチの係累と思われる黄色まだらのユニフォームが、サカキの葉陰に20匹ほども群れて貼りついている。作り始めたばかりの巣とおぼしきものが見える。放っておけば一ヶ月後には巨大なコロニーになるだろう。
何度刺されても蜂という生き物が嫌いになれず、今日もまた心が痛むのだがこれは放置しておけない。蜂の生態についてはあらためて書くけれど、秋口のキイロスズメバチみたいな凶暴な相手でない限り、蜂の巣を落とすのは難しくない。巣のかかっている枝をタカバサミで静かに根元から切りとり、そっと他所へ移してしまう、それだけだ。
ハチの高度な能力にはいくつか盲点がある。たとえば彼らは巣の位置を空間座標によって認知するから(別に教科書に書いてあるわけではない、僕の推論だが確信ある推論だ)、巣が真下に落とされてもそれを探索し発見することができない。ついさっきまで巣のあった空間を虚しく飛び回るだけで、憎むべき侵略者(僕のことだ)がパンツ一丁で横に立っていても、これに報復することも思いつかない。巣を落とすだけなら、フマキラーも不要なのはこのためだ。
***
一息入れて家に入るとN先生がメールをくださっていた。
「明治神宮の狸」以来、今日は何かなと開いてみる。
我が家に集まった孫達に蝉の脱皮を見せました。
と本文にあり、見事な写真をHPにアップしておられる。
ブログにリンクを張るおゆるしを求めると、すぐにお返事あり。
どうぞご自由になさって下さい。
今回のことは孫達への私の義務だと思っていました。
お孫さん達に、ジガバチやカマキリをお目にかけたかった。
僕の写真の腕では無理だ。今度N先生に教わりにいこう。
下記ごらんあれ、素晴らしい写真だからね!
「はち切れて落ちなんとする燕の子」(M先生『杭瀬川』より)
http://www10.ocn.ne.jp/~knomura/toppage.htm
http://www008.upp.so-net.ne.jp/nagahara-ch/
朝、家族全員でお墓の掃除。
我が家の背後を上っていくと、丘の上が集落の墓地になっている。
田舎でもあり過疎地でもあって、この一帯の所有権や分画には曖昧なところがあったりする。
曾祖父に始まる一画と、その父にあたる人を祭った一画が、さしあたり僕らにかかわる墓所ということになる。
墓碑・墓標を前に家族の歴史をふりかえるのは、悪いものではない。
曾祖父自身と祖父母はクリスチャンだったが、曾祖母は仏教徒として亡くなった。特定の宗教に依らない単純な柱状の墓碑と、クリスチャンなら十字の下に俗名、仏教徒なら戒名を記した墓標の組み合わせは、父が人に相談しながら知恵を絞った結果である。
小一時間、三代七人で掃除に精を出した。
その間、足下の地面ではジガバチが一心不乱に作業中である。
真っ黒な身の丈は3㎝ほどもあろうか、若葉色のバッタを運んできたものの、大きすぎて用意の穴に入らないらしい。穴を掘り広げては、獲物を運び込もうとする作業を続けている。
その脚の使い方が見事なものだ。
砂粒を前肢で掴み、体の下を後方へ送る。アメフトのプレーヤーの要領だ。
一度でポンと行かないときは、中肢・後肢で押してやる。これを素早く繰り返して、かなりのスピードで土を掘っていく。
獲物は既に麻酔済みなのだろう、ピクリとも動かない。
これを運ぶときは後肢でがっちり把持し、前肢・中肢を使って前進する。
巧妙であり力強い。
この蜂には覚えがある。
確か二年前にも、一家でお墓掃除の日に同じようなジガバチが同じ場所に穴を掘っていた。むろん蜂は短命なのだろうから代替わりしているはずだが、よほど好条件の場所であるのか。この蜂はあの蜂の子か孫か、それともまったく別系統か。
二年前は、僕がハチ毒アレルギーと知っている長男が、蜂にいち早く気づいてフマキラーを取ってこようとした。「この蜂は刺さない」と制して、あの時も皆で見事な作業ぶりに見とれたのだ。
ふと、親近感。
ジガバチは「似我、似我」(我に似よ、我に似よ)と鳴くのでジガバチであり、その呼び声に応えて、似ても似つかぬ獲物の中から親そっくりの蜂が出てくるのだという。そのジガバチが代を重ねて居ついているとは、家族の墓所に似つかわしい仕合わせだ。
見事に獲物を引き入れるのを確認し、脱帽一礼。
***
帰り道で長男が、目の前の梢を指さした。
「初めて見た」という指先で、カマキリがセミを横抱きに抱えている。
セミはバタつくこともできない。
僕はたぶん三度目だ。最初に見たときは、捕まったセミがそれこそ「豚が塩辛食べたみたいに」大騒ぎするのを、カマキリはお構いなしに抱え込んでいた。
そういうことがあるのだと東京あたりで話すと、「へぇ、そうなんですか」と皆目を丸くするが、見ないものは信じないといった空気が目の周りに漂っている。それはそうだろう、これはちょっとした奇観であり、圧巻だもの。
***
屋敷に戻り、汗かきついでに庭を手入れしていて、蜂の巣を見つけた。
これは先ほどのジガバチとは違う。小ぶりだけれどスズメバチの係累と思われる黄色まだらのユニフォームが、サカキの葉陰に20匹ほども群れて貼りついている。作り始めたばかりの巣とおぼしきものが見える。放っておけば一ヶ月後には巨大なコロニーになるだろう。
何度刺されても蜂という生き物が嫌いになれず、今日もまた心が痛むのだがこれは放置しておけない。蜂の生態についてはあらためて書くけれど、秋口のキイロスズメバチみたいな凶暴な相手でない限り、蜂の巣を落とすのは難しくない。巣のかかっている枝をタカバサミで静かに根元から切りとり、そっと他所へ移してしまう、それだけだ。
ハチの高度な能力にはいくつか盲点がある。たとえば彼らは巣の位置を空間座標によって認知するから(別に教科書に書いてあるわけではない、僕の推論だが確信ある推論だ)、巣が真下に落とされてもそれを探索し発見することができない。ついさっきまで巣のあった空間を虚しく飛び回るだけで、憎むべき侵略者(僕のことだ)がパンツ一丁で横に立っていても、これに報復することも思いつかない。巣を落とすだけなら、フマキラーも不要なのはこのためだ。
***
一息入れて家に入るとN先生がメールをくださっていた。
「明治神宮の狸」以来、今日は何かなと開いてみる。
我が家に集まった孫達に蝉の脱皮を見せました。
と本文にあり、見事な写真をHPにアップしておられる。
ブログにリンクを張るおゆるしを求めると、すぐにお返事あり。
どうぞご自由になさって下さい。
今回のことは孫達への私の義務だと思っていました。
お孫さん達に、ジガバチやカマキリをお目にかけたかった。
僕の写真の腕では無理だ。今度N先生に教わりにいこう。
下記ごらんあれ、素晴らしい写真だからね!
「はち切れて落ちなんとする燕の子」(M先生『杭瀬川』より)
http://www10.ocn.ne.jp/~knomura/toppage.htm
http://www008.upp.so-net.ne.jp/nagahara-ch/