散日拾遺

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柔道はJUDOを解き放つか/『八重の桜』と『獅子の時代』

2013-09-24 07:34:17 | 日記
2013年9月24日(火)

「柔道がJUDOを解き放つ」と朝日の文化面、文化人類学者の今福龍太氏。
期待をもって読んでみるが、解き放つ具体的な展望のことではなく、「解き放て」あるいは「解き放つといいなあ」ということのようだ。

 稽古での暴力やハラスメントの頻発は一般的にいわれる精神主義の帰結ではない。
 むしろ求道精神を捨てて勝利だけを求められるという、柔道が囲い込まれている窮地のなかでおこる矛盾の捌け口を象徴しているといえよう。
 
※ なるほど

 JUDOの席巻に背を向け、旧来の「柔道」に退却して世界的に孤立する道は日本柔道には残されていまい。

※ ダメですか、個人的には孤立していっこうに構わないと思うんだが、狭量かな。

 かつての柔道は決して伝統の上に安住して自らを閉じていたのではなく、むしろ人格と技量と言葉(彼らはみな外国語を良くした)をもって世界に「柔道家」の全存在を示そうとしていた。いまオリンピックを通じて柔道がJUDOとしてのみ延命する逆説に抵抗するには、JUDOと世界の舞台で渡り合える柔道家の登場が不可欠だ。

※ そうか、う~ん。

何か肝心な論点が抜けている気がするし、結論はそれこそ逆説的に聞こえるけれど、スケールの大きい柔道家の登場はもちろん待望するところだ。
ガンバレ柔道家、JUDOなんかに負けるな!

*****

勝沼さんから、例によって歯切れの良い反応あり。

> 金融業界の人々が反省したことなど今まであったでしょうか? だから半沢直樹の登場人物達は誰も反省しないのです。このドラマに限らずヒットする作品は自分を省みる気持ちの悪さと向き合わないように気持ちよくつくられていることがヒットの鍵ではないでしょうか?

ごもっとも、恐れ入りました。
なるほどそうだね。

> 「八重の桜」は真逆なモヤモヤなドラマになっています。今は故郷を追われた八重達が行き場のない怒りや憎しみとどう向き合うかがテーマなのですが、信仰が一つの鍵となっています。面白いけど、いかにもヒットしなそうです。会津じゃ大人気なんですけどね。。。

会津が明治維新における scape goat として文字通り血祭りにあげられたこと、その後も斗南で辛酸を舐めに舐めたことをいくらか知っているだけに、見ていられなくて見なくなっちゃったのですが、残り3カ月の『八重の桜』は注目かもしれません。
来週から心を入れ替えて、見てみます。

『半沢直樹』で頭取役を演じている北大路欣也は、大河ドラマ『竜馬がゆく』でスターになりました。
僕は小学生で、しばらくは明治維新の輝かしさに夢中になったものです。
そこに水を差されたのは、「赤報隊」に注目した映画(タイトルほか覚えていません)が明治百年を意識して作られたのを、ごく一部分だけテレビで見た時だったかな。中学生になっていました。
大河ドラマ『獅子の時代』はそれから10年後ですが、「負けた側/異議申し立てのある側から見た明治維新」という切り口が出色だったし、ドラマとしてもよくできていたでしょう。『八重の桜』のプロトタイプとして、もう少し想起されてもいいのにと思います。
菅原文太、加藤剛、大原麗子ら主役級から、大竹しのぶ、藤真利子、沢村貞子、根津甚八ほか錚々たる脇役陣までいずれも好演、何より山田太一の脚本がしっかりしていたのでしょうね。
大河ドラマにおける「獅子の時代」(1980年、第18回)であり、「黄金の日々」(1978年、第16回)でした。

連休明け、元気で一日過ごしましょう!