散日拾遺

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臨床雑記 005 涙の意味

2013-09-01 09:12:05 | 日記
2013年8月30日(金)

「自分はセクシスト(性差別主義者)なのではないか」という懸念・不安を免れて「性差」について語ることができるようになったのは、一にも百にもこの職業のおかげだ。
診察室では男女のある種の違いが、鮮やかに表れて覆いがたい。
「でも、個人差の方が大きいでしょ?」
それはそうなんだけど、そうじゃなくてね・・・

いちばんはっきりした例は「泣く」ということ、「涙を流す」ということだ。
女性は泣く。非常によく泣く。これははっきりしている。

僕は一人っ子で、子どもは息子三人。
家庭内の女性といえば、前半生では母、後半生では妻という、特殊な関係にある人々だけだったから、プライベートな場面での女性の行動特性について経験的知識が極端に乏しいまま現在に至っている。
女性が涙を流す場面に居合わせたりすると、ひどく落ち着かなくなったものだ。
この職業に就くまでは。

面接の場で女性が涙するのは少しも恐るべきことではない。それどころか、面接がちゃんと機能している証拠ですらある。
女性が心理的な意味のあることを語る時、悲しみに限らず何か真実の情動をこめて語るならば、そこには必ず ~ ほとんど必ずといってよいほど、涙が伴っている。
数カ月にわたって内省的な面接を繰り返していながら、一度も涙を流したことのない女性がいたとしたら、彼女は本当に意味のあることをまだ何も語っていない。
面接がうまく行っておらず、彼女が僕に心を開いていないからかもしれないが、それならとっくに来るのを止めているだろう。それより可能性が高いのは、涙を流せない(=真情を伴った自己開示ができない)ことそのものが、彼女の問題の重要な一部分であるということだ。

逆に男性がむやみに泣くとしたら、これは別の意味で要注意信号である。
苦い思い出があり、許しがたい気持ちがある。
(もちろん、患者さんが「許しがたい」のではない。念のため。)

それにしても数週間前のあの日は、皆よく泣いた。
朝から夕方まで、来る人も来る人も泣いては鼻をかみ、鼻をかんでは話すので、足元のくずかごが瞬く間に山盛り満杯になった。
何人目かの女性が気合を入れて泣き出した時、「あなたもですか?」と目を思いきり丸くしてくずかごを示したら、彼女の泣きが泣き笑いになって、よけい止まらなくなった。

涙は毎回流される。

80代の父親を、自宅でみとったQさん:
「私、父のことが好きだったんだな、って思いました。父が好きだった、父が大好きだったって・・・」

数十年越しの摂食障害を、今度こそ何とかしたいと苦闘しているPさん:
「エジプトが懐かしい、でも戻れない」
読者よ悟れ、もちろん「出エジプト記」を踏まえた言葉だ。
エジプトの奴隷生活の中でイスラエルの民は飽食していた。自由への旅立ちとともに、「食」の不安が直ちに民を襲った。

ただ「泣く」という動作があるだけでなく、「涙」というマテリアルがそこで流されるのはなぜだろう?

きっと、深い深い意味があるに違いない。