2013年9月14日(土)
もちろん仮名である。
プロフィルも変えてある。
ずいぶん前になるが、別の場所、別の病院で、たまたま同じ週にこの二人と出会った。
なぜか並べて記録しておきたいと思ったのだ。
今ならもう迷惑をかけることもないだろう。当時の記録からディテールを変えて転記する。
【マサミ】
マサミは36歳、学童~思春期の4人の子の母である。
4人子どもがいて父親がすべて同一男性というのは、その地域としては特筆事項かもしれない。
並みの身長に痩せた体躯、夏ならサイケ調のTシャツにトレパンといういでたちで化粧も荒っぽいけれど、よく見ればキツめの可愛い顔立ちである。近況報告が毎回何とも勇ましい。
別に変わりないですよ。
三番目がむやみに荒れてるんで、もうケンカの連続で。
四番目にやたらちょっかいかけてるんで、お前ふざけてんじゃねえって、叩いても聞かないから蹴り入れて。
菜箸をへし折って「こういうふうにされたいのかお前は、ええ?」って、ようやく黙りました。
いつもは二番目がいちばん仲良いんだけど、これも夏休みに何かあったんだかイラついてて、「てめえ何だ、親にその口の利き方は」って、取っ組み合いになっちゃって、ハハハ・・・
しかし子供は基本的に可愛いらしいのである。
ストレス源は夫だという。といっても暴力をふるうわけではなく(ふるうとしたらマサミが夫に蹴りを入れるぐらいだ)、ただマサミの挙動を逐一監視し、しつこくつきまとうのだと。
夫が妻に「つきまとう」も妙だが、考えてみれば夫婦はお互い空気化していてほどよく不注意だから、一緒にいられるのだ。四六時中、一挙一動にねっちりした注意を向けられていたら、それは消耗するだろう。
診察室では一方の話しか聞けないし、夫には夫の言い分があること想像に難くない。
ただ僕らは裁判官ではないから、客観的な状況が分からなくともかなりの程度まで仕事はできる。
客観状況はまた別である可能性を時に本人にも示唆しながら、八分九分は来談者自身の体験したところに集中する。体験された事実が、ここでは大事なのだ。
そういう留保つきの要約として、夫の執拗な監視に辟易する状態が続くうち、しだいに不安が、ついでは恐怖がマサミを支配するようになった。シャワーを浴びて出てみると、バッグの中をかきまわした跡がある。買い物で家を空けると、クロゼットや引出しが荒らされている。携帯にはもちろんロックをかけているが、それでもさんざんいじりまわした形跡がある。気味が悪くなって、いつ頃からか貴重品類をスポーツバッグにまとめ、肌身離さず持ち歩くようになった。寝室はとっくに別にした。ゼッタイ入ってこれないように、娘たちの部屋で長女と次女の間に寝てる。
<だんなさんは、お酒はよく飲むの?>
あんまり。弱いですよ、つきあいで飲まされるとすぐつぶれる。だらしないんだ。
<アル中の嫉妬妄想ではないわけだ・・・あなたの何を疑ってるんだろう?>
男がいると思ってるみたいなんですよね、バカじゃないですかね。
<いないの?>と真顔で訊くには、もちろん心算というものがある。
それを受けとめて、マサミも真顔で返答する。
いません。「あんた男つくりなよ」とかっていう友達いますけどね。「誰かいないと癒されないだろ」って。
でもねー、
<好きじゃないんだね、そういうの>
めんどくさいです。だいいち誰も寄ってきません。
<そうじゃないでしょ>
子どもとも夫とも、実家の親とも友達とも、盛大にケンカしたことが話の大半だが、そのうち気になることを言い出した。
「今朝はあんまり疲れたので、長男の弁当を作ってやれず昼食代をもたせて出した」というのである。
ということは、いつもは作ってるのだ。
ええ、作りますよ。出来合いの総菜とか嫌いで、品数は少ないけど必ず何か作ってやるんです。
こないだも「偉いね」って人に言われて、「はぁ?」って感じだった。
「お宅のお子さん、ちゃんと挨拶するね、よくしつけてるね」とか、言われても意味わかんない。
だって当たり前のことじゃないですか。
<当たり前のことを当たり前にできる人は、当たり前の人じゃないよ>
そうなんですか?
<だいたいさ、褒められて嬉しくないの?>
え?
マサミが絶句した。顔は真っ赤、どうしたら良いかわからない体である。
褒められたことなんかないし、褒められるようなことをしていない、褒められるとどう言っていいかわからないというのである。
<んで、どう言ったの?>
訳わかんない、あんたバカじゃないのって、
<それじゃ褒めた方も立つ瀬ないよ、「ありがと、嬉しいよ」って言えばいいじゃない。>
えー、えー、そんなこと言えない、できない、やったことない・・・
もう大騒ぎである。
マサミはパニック発作様の症状があって、前医以来いくつかの薬を処方されているが、その残量を毎回必ずメモしてきて渡す。女子中高生が好みそうなディズニー・キャラのポストイットに、小さめの几帳面な字で細かく箇条書きされているのだ。僕はそれをカルテに貼り付ける。派手なケンカ騒ぎやけたたましい語りとは似つかない、この一片のメモがマサミの一面を表しているだろう。
<薬もいいけどさ、毎日一回、鏡の前で「あんたけっこうイケてるよ」「ごくろうさん」って言ってやりなよ>
心底困ったふうに、マサミが口をつぐんだ。
【ハジメ】
こちらは職域健保の現場なので、だいぶ雰囲気が違っている。
勤労者を対象とするメンタルヘルス外来だから、マサミのように家庭力動の破綻をダイレクトに持ち込んでくる患者は少ない。しかしよく話を聞いていけば、職場不適応の背後にたいがい家庭の問題が浮びあがってくるものだ。
それにしても、予想外だった。
もう15年もこの組織の外来診療を担当して、こちらが固定観念をもっているのでもある。
15年前には40~50代の中間管理職が患者の大半だった。時とともに患者が増えるとともに客層が変わり、青年層と女性が劇的に増えた。それにしても・・・
ベテランM保健師の予診情報が例によって詳しい。
いちおう不眠を主訴としているが、それよりも「自分は心が病んでいるのではないか」という記載の方が明らかに本当の訴えで、保健師自身はそれを医療外の問題ではないかと考えていることがうかがわれる。それでも当人が「心の病」(イヤな言葉だ)を疑うなら、その疑問に答える義務が当方にある。
そうした仔細に気を取られて、最も基本的な情報に目が行っていなかった。
18歳? え、この健保で?
気づいた瞬間にドアが開いた。
現れた彼を見て、何かの間違いではないかと思った。
目の前にいるのは、夏服の中学生のような少年である。
顎にひょろ長い髭が何本か、つるつるした滑らかな肌に黒々と元気の良い髪、街中で出会う誰一人として、彼を社会人とは思わないだろう。何より、彼の小ささがきわだっている。
ハジメは今春高校を卒業してK社に入った。
面接時の指示通り春休みに運転免許を取って、配達業務にあたってきた。それ自体は別にいやでもないし、つまらないとも思わない。
小さい頃に両親が離婚し、事務職の母親と二人だけの家庭。今の悩みや今日の受診のことは、母親には話していない。
<中高で部活は?>
いや、やってないです。小学校のときは剣道やってました。
<段とか?>
いや、ないです。
<スポーツなんかは?>
いや、やりません。
すべての答えを「いや」から始めるのが、妙にきかん気な印象を与える。
中学の頃から、熟睡したという記憶があまりない。寝つきが悪く、朝も早く醒める。
少々体を動かした日も、その点は変わりがない。酒は飲まない。タバコも吸わない。
食欲はあるのかないのか、自分でもよくわからない・・・
<睡眠のことはそれとして、他に何か困っていることは?>と聞くと、待っていたように、
「自分、存在価値あんのかなって、自分はいなくてもいいんじゃないかな、って思うんです」
それが彼の「心が病んでいるか」の内実だった。
***
ハジメとのやりとりは、もう詳しく書かずにおく。
僕は自分自身の、そして事実上すべての若者の通る道、通った道について考えていた。
彼もまさしくそこにいる。そのことは病気でも何でもありはしない。
彼の診断?
操作的に振り分けるなら、気分変調性障害ということにでもなるだろうか。
しかしこのレッテル貼りは、それだけではほとんど何の意味もない。
何が彼の元気を損なっているのか。
<夢?>
いや、ないです。
<自分自身の好きなところ?>
いや、ないです。
<ここ数カ月、大声で笑ったことは?>
いや、ないです。
考えるそぶりもなく「いや、ないです」と即答の連続、しかしそんな状態を良しとはしていないからここへ来たのだ。
Kokomin さんではないが、僕にありがちのキメ落ちだろうか。ハジメに不足しているのは大人のモデル、とりわけ大人の男性のモデル、さらに言いきるなら父性モデルであるように思われるのだ。
ハジメの体格と体力では、育ち盛りの若者が肉弾戦を繰り返す男子校の日常は、楽しむことが難しかっただろう。
事実、地元の公立中学校時代には親友もあったが、高校では友達はできなかったし楽しくもなかった。
ならば職場で、あるいはこの社会で、父親を見つけ、親友を見出すしかない。そしてもちろん恋人も。
趣味は「プラモデル作りや読書」と聞いて、M保健師がすかさず「ガンプラ?」
そう、それです、と、ハジメはこの日いちばんの笑顔を浮かべた。
ガンプラ ~ 機動戦士ガンダムのプラモデル、強大な機械のカラダに投影されるものを考えて、笑顔から目をそらした。
読書はどうだろう?
好きな作家を訊かれて、ハジメは石田衣良の名を挙げた。
<何か一冊推薦しするとしたら?>
いや、そう急に言われても。いろいろ、全部いいから。そうだ、『フォーティーン』なんかよかった。
***
ここの帰りは本屋に寄ると、その頃から決めていた。
その日、幸便に石田衣良『4TEEN(フォーティーン)』を手に取って一瞬当惑した。
4人の中学生の物語ではないか。
ハジメこと社会人18歳、しかしてその実体は、たたずむ中学生・・・
【マサミとハジメ】
マサミはハジメの2倍の齢。(ついでに今の僕は当時のハジメの約3倍だ。)
二人を並べたら、案外、母と息子のように見えるだろうか。
似ているのは二人の未熟さかもしれない。
どちらも思春期まっただなかなのだ。思春期的課題いまだ完了せずということだ。
「家庭」について考えさせられることも共通している。
もうひとつ、二人とも self esteem の極端な低さに悩んでいる。
そこが修正できれば、たぶんどちらも薬は要らない。しかしそれには、助けが要るのだ。
助けはどこから来るだろうか(詩編 121)
もちろん仮名である。
プロフィルも変えてある。
ずいぶん前になるが、別の場所、別の病院で、たまたま同じ週にこの二人と出会った。
なぜか並べて記録しておきたいと思ったのだ。
今ならもう迷惑をかけることもないだろう。当時の記録からディテールを変えて転記する。
【マサミ】
マサミは36歳、学童~思春期の4人の子の母である。
4人子どもがいて父親がすべて同一男性というのは、その地域としては特筆事項かもしれない。
並みの身長に痩せた体躯、夏ならサイケ調のTシャツにトレパンといういでたちで化粧も荒っぽいけれど、よく見ればキツめの可愛い顔立ちである。近況報告が毎回何とも勇ましい。
別に変わりないですよ。
三番目がむやみに荒れてるんで、もうケンカの連続で。
四番目にやたらちょっかいかけてるんで、お前ふざけてんじゃねえって、叩いても聞かないから蹴り入れて。
菜箸をへし折って「こういうふうにされたいのかお前は、ええ?」って、ようやく黙りました。
いつもは二番目がいちばん仲良いんだけど、これも夏休みに何かあったんだかイラついてて、「てめえ何だ、親にその口の利き方は」って、取っ組み合いになっちゃって、ハハハ・・・
しかし子供は基本的に可愛いらしいのである。
ストレス源は夫だという。といっても暴力をふるうわけではなく(ふるうとしたらマサミが夫に蹴りを入れるぐらいだ)、ただマサミの挙動を逐一監視し、しつこくつきまとうのだと。
夫が妻に「つきまとう」も妙だが、考えてみれば夫婦はお互い空気化していてほどよく不注意だから、一緒にいられるのだ。四六時中、一挙一動にねっちりした注意を向けられていたら、それは消耗するだろう。
診察室では一方の話しか聞けないし、夫には夫の言い分があること想像に難くない。
ただ僕らは裁判官ではないから、客観的な状況が分からなくともかなりの程度まで仕事はできる。
客観状況はまた別である可能性を時に本人にも示唆しながら、八分九分は来談者自身の体験したところに集中する。体験された事実が、ここでは大事なのだ。
そういう留保つきの要約として、夫の執拗な監視に辟易する状態が続くうち、しだいに不安が、ついでは恐怖がマサミを支配するようになった。シャワーを浴びて出てみると、バッグの中をかきまわした跡がある。買い物で家を空けると、クロゼットや引出しが荒らされている。携帯にはもちろんロックをかけているが、それでもさんざんいじりまわした形跡がある。気味が悪くなって、いつ頃からか貴重品類をスポーツバッグにまとめ、肌身離さず持ち歩くようになった。寝室はとっくに別にした。ゼッタイ入ってこれないように、娘たちの部屋で長女と次女の間に寝てる。
<だんなさんは、お酒はよく飲むの?>
あんまり。弱いですよ、つきあいで飲まされるとすぐつぶれる。だらしないんだ。
<アル中の嫉妬妄想ではないわけだ・・・あなたの何を疑ってるんだろう?>
男がいると思ってるみたいなんですよね、バカじゃないですかね。
<いないの?>と真顔で訊くには、もちろん心算というものがある。
それを受けとめて、マサミも真顔で返答する。
いません。「あんた男つくりなよ」とかっていう友達いますけどね。「誰かいないと癒されないだろ」って。
でもねー、
<好きじゃないんだね、そういうの>
めんどくさいです。だいいち誰も寄ってきません。
<そうじゃないでしょ>
子どもとも夫とも、実家の親とも友達とも、盛大にケンカしたことが話の大半だが、そのうち気になることを言い出した。
「今朝はあんまり疲れたので、長男の弁当を作ってやれず昼食代をもたせて出した」というのである。
ということは、いつもは作ってるのだ。
ええ、作りますよ。出来合いの総菜とか嫌いで、品数は少ないけど必ず何か作ってやるんです。
こないだも「偉いね」って人に言われて、「はぁ?」って感じだった。
「お宅のお子さん、ちゃんと挨拶するね、よくしつけてるね」とか、言われても意味わかんない。
だって当たり前のことじゃないですか。
<当たり前のことを当たり前にできる人は、当たり前の人じゃないよ>
そうなんですか?
<だいたいさ、褒められて嬉しくないの?>
え?
マサミが絶句した。顔は真っ赤、どうしたら良いかわからない体である。
褒められたことなんかないし、褒められるようなことをしていない、褒められるとどう言っていいかわからないというのである。
<んで、どう言ったの?>
訳わかんない、あんたバカじゃないのって、
<それじゃ褒めた方も立つ瀬ないよ、「ありがと、嬉しいよ」って言えばいいじゃない。>
えー、えー、そんなこと言えない、できない、やったことない・・・
もう大騒ぎである。
マサミはパニック発作様の症状があって、前医以来いくつかの薬を処方されているが、その残量を毎回必ずメモしてきて渡す。女子中高生が好みそうなディズニー・キャラのポストイットに、小さめの几帳面な字で細かく箇条書きされているのだ。僕はそれをカルテに貼り付ける。派手なケンカ騒ぎやけたたましい語りとは似つかない、この一片のメモがマサミの一面を表しているだろう。
<薬もいいけどさ、毎日一回、鏡の前で「あんたけっこうイケてるよ」「ごくろうさん」って言ってやりなよ>
心底困ったふうに、マサミが口をつぐんだ。
【ハジメ】
こちらは職域健保の現場なので、だいぶ雰囲気が違っている。
勤労者を対象とするメンタルヘルス外来だから、マサミのように家庭力動の破綻をダイレクトに持ち込んでくる患者は少ない。しかしよく話を聞いていけば、職場不適応の背後にたいがい家庭の問題が浮びあがってくるものだ。
それにしても、予想外だった。
もう15年もこの組織の外来診療を担当して、こちらが固定観念をもっているのでもある。
15年前には40~50代の中間管理職が患者の大半だった。時とともに患者が増えるとともに客層が変わり、青年層と女性が劇的に増えた。それにしても・・・
ベテランM保健師の予診情報が例によって詳しい。
いちおう不眠を主訴としているが、それよりも「自分は心が病んでいるのではないか」という記載の方が明らかに本当の訴えで、保健師自身はそれを医療外の問題ではないかと考えていることがうかがわれる。それでも当人が「心の病」(イヤな言葉だ)を疑うなら、その疑問に答える義務が当方にある。
そうした仔細に気を取られて、最も基本的な情報に目が行っていなかった。
18歳? え、この健保で?
気づいた瞬間にドアが開いた。
現れた彼を見て、何かの間違いではないかと思った。
目の前にいるのは、夏服の中学生のような少年である。
顎にひょろ長い髭が何本か、つるつるした滑らかな肌に黒々と元気の良い髪、街中で出会う誰一人として、彼を社会人とは思わないだろう。何より、彼の小ささがきわだっている。
ハジメは今春高校を卒業してK社に入った。
面接時の指示通り春休みに運転免許を取って、配達業務にあたってきた。それ自体は別にいやでもないし、つまらないとも思わない。
小さい頃に両親が離婚し、事務職の母親と二人だけの家庭。今の悩みや今日の受診のことは、母親には話していない。
<中高で部活は?>
いや、やってないです。小学校のときは剣道やってました。
<段とか?>
いや、ないです。
<スポーツなんかは?>
いや、やりません。
すべての答えを「いや」から始めるのが、妙にきかん気な印象を与える。
中学の頃から、熟睡したという記憶があまりない。寝つきが悪く、朝も早く醒める。
少々体を動かした日も、その点は変わりがない。酒は飲まない。タバコも吸わない。
食欲はあるのかないのか、自分でもよくわからない・・・
<睡眠のことはそれとして、他に何か困っていることは?>と聞くと、待っていたように、
「自分、存在価値あんのかなって、自分はいなくてもいいんじゃないかな、って思うんです」
それが彼の「心が病んでいるか」の内実だった。
***
ハジメとのやりとりは、もう詳しく書かずにおく。
僕は自分自身の、そして事実上すべての若者の通る道、通った道について考えていた。
彼もまさしくそこにいる。そのことは病気でも何でもありはしない。
彼の診断?
操作的に振り分けるなら、気分変調性障害ということにでもなるだろうか。
しかしこのレッテル貼りは、それだけではほとんど何の意味もない。
何が彼の元気を損なっているのか。
<夢?>
いや、ないです。
<自分自身の好きなところ?>
いや、ないです。
<ここ数カ月、大声で笑ったことは?>
いや、ないです。
考えるそぶりもなく「いや、ないです」と即答の連続、しかしそんな状態を良しとはしていないからここへ来たのだ。
Kokomin さんではないが、僕にありがちのキメ落ちだろうか。ハジメに不足しているのは大人のモデル、とりわけ大人の男性のモデル、さらに言いきるなら父性モデルであるように思われるのだ。
ハジメの体格と体力では、育ち盛りの若者が肉弾戦を繰り返す男子校の日常は、楽しむことが難しかっただろう。
事実、地元の公立中学校時代には親友もあったが、高校では友達はできなかったし楽しくもなかった。
ならば職場で、あるいはこの社会で、父親を見つけ、親友を見出すしかない。そしてもちろん恋人も。
趣味は「プラモデル作りや読書」と聞いて、M保健師がすかさず「ガンプラ?」
そう、それです、と、ハジメはこの日いちばんの笑顔を浮かべた。
ガンプラ ~ 機動戦士ガンダムのプラモデル、強大な機械のカラダに投影されるものを考えて、笑顔から目をそらした。
読書はどうだろう?
好きな作家を訊かれて、ハジメは石田衣良の名を挙げた。
<何か一冊推薦しするとしたら?>
いや、そう急に言われても。いろいろ、全部いいから。そうだ、『フォーティーン』なんかよかった。
***
ここの帰りは本屋に寄ると、その頃から決めていた。
その日、幸便に石田衣良『4TEEN(フォーティーン)』を手に取って一瞬当惑した。
4人の中学生の物語ではないか。
ハジメこと社会人18歳、しかしてその実体は、たたずむ中学生・・・
【マサミとハジメ】
マサミはハジメの2倍の齢。(ついでに今の僕は当時のハジメの約3倍だ。)
二人を並べたら、案外、母と息子のように見えるだろうか。
似ているのは二人の未熟さかもしれない。
どちらも思春期まっただなかなのだ。思春期的課題いまだ完了せずということだ。
「家庭」について考えさせられることも共通している。
もうひとつ、二人とも self esteem の極端な低さに悩んでいる。
そこが修正できれば、たぶんどちらも薬は要らない。しかしそれには、助けが要るのだ。
助けはどこから来るだろうか(詩編 121)