清々しい秋、清々しい朝、少しは快いことを語ろう。
うっかり立ち入ったインターネットサイトで見た、胸の悪くなる画像を払拭したいし。
*****
K子さんと47年ぶりに再会のことを書いたが、こちらは40年かけてなお未完。
進行中の想い出話である。
両親とともに現住所に移ったのは、今からちょうど40年前。
オイルショックが日本の経済に急ブレーキをかけた年でもあるが、それは高校生には頭上50㎝、右後方40㎝ぐらいの話で。
目黒に有名人が多いとか、いつから始まったんだろう?
「サンマ」の連想もあり、世田谷あたりと変わらぬ田園地帯で世田谷ほど大きくもなく、だいいち「目黒」という響きが泥臭くて好ましいと思っていた。
引っ越してくる前も目黒区内だったが、「元競馬場前」とか「油面(あぶらめん)」とか、地名がいちいちいわくありげで面白い。もともとこの一帯は将軍家の鷹野の場所だったわけで、「駒繋(こまつなぎ)」「駒場」「鷹番」といった地名がその由来を残している。
「サンマ」の話も鷹狩で空腹になった殿さまが主人公なんだからね。
うちのあたりはK大の広い敷地に隣接するおかげで緑が多く、なんて書くと優雅なようだが、1970年代にはまだそこらにネギ畑が残っていた。
この地域の平地を生み出した呑川が暗渠に封じ込められる直前で、かつての清流は見るかげなく気息奄々の体ながら、まだ水音を聞かせていたっけ。
そんな舞台に、ある日ヒロインが現われる。
残暑の午後、おおかた学期初めの早帰りの途上。
ネギ畑や町工場に挟まれた田舎びた道、家まであと5分ほどのところを歩いていて、ふと目を挙げると50mほど前をゆく花やかなシルエット。
長身の若い女性、ブラウス姿にふうわりとしたスカートの裾を軽くひるがえし、何より幅広の麦わら帽子が涼やかである。
何色かははっきり覚えないが、何しろパステルカラーのくっきりした印象が、シルエットとあわせて洋風の花の印象を残した。
モネの「日傘の女」にかなり近いのだけれど、もう少しだけ輪郭がはっきりしており、堂々たる女性の代わりに少女のうら若さであるところが違っている。
ローランサンの絵のような、と柄にもなく思ったものだ。
ローランサンの絵をまじまじと眺めたことなど、ついぞ覚えがないけれども。
5分の道のり、お嬢さんは先を歩き続けた。
僕は当時から歩くのが速かったから、距離が縮まらないことも驚きだった。
急ぐとも見えないが、長いストライドですいすい進むのだろう、ひょっとして宙に浮いているかと疑ったが、確かに地面を踏んでいる靴の色が、また鮮やかだったのである。
うちのマンションの前を通り過ぎ、僕がマンションに入るとほぼ同時に、50m向こうの一軒家に入って行った。その後、この一軒家に内心のハイライトが向いたことは言うまでもない。
***
ある日このお姉さんと言葉を交わして・・・ということだと面白いんだけどね。
そっち系ではなくて。
「お姉さん」と書いたが、もちろん実年齢などわからないし、実は同い年かもしれないのだ。
自分の周りには、あの日あの時間帯にローランサン風のいでたちで出歩く女性がいなかったから、大学生か家事手伝いと決め込んでいただけで、そうとしたところで何歳も違わない理屈である。目だつ人なので、見かければ必ず「あ、いた」と注意が向く、その装いがいつも印象派的に色合い美しく、ローランサン風におめかし麗しい。長いストライドですいすいと歩み去っていく。
基本的に閑静な住宅街で、こちらは新しく建ったマンションに越してきた新参者だが、この家は昔から居ついていた人々の住む一帯にあり、そのまま今でもそこにある。
その後、改築したものの、不思議に人の出入りがないようだ。
「お姉さん」もお嫁に行ったふうがなく、かといってお婿さんを迎えた様子でもない。
あまり似ていない他の女性家族たちと、静かに暮らしているらしい。
***
この八月の蒸し暑い朝、近くのポストまで郵便を出しに行った。
早くも滲んでくる汗を感じながら坂を降り切った時、目の前を若草色が通り過ぎた。
白いスラックスの長い脚がみるみる遠ざかる。朝のテーブルに足りない牛乳かヨーグルトが、揺れるポリ袋の端から覗いている。
サマーセーターと軽くてフラットな靴が、そろいの鮮やかな若草色、はっと頭が目覚めた。
お変わりないようですね。
うっかり立ち入ったインターネットサイトで見た、胸の悪くなる画像を払拭したいし。
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K子さんと47年ぶりに再会のことを書いたが、こちらは40年かけてなお未完。
進行中の想い出話である。
両親とともに現住所に移ったのは、今からちょうど40年前。
オイルショックが日本の経済に急ブレーキをかけた年でもあるが、それは高校生には頭上50㎝、右後方40㎝ぐらいの話で。
目黒に有名人が多いとか、いつから始まったんだろう?
「サンマ」の連想もあり、世田谷あたりと変わらぬ田園地帯で世田谷ほど大きくもなく、だいいち「目黒」という響きが泥臭くて好ましいと思っていた。
引っ越してくる前も目黒区内だったが、「元競馬場前」とか「油面(あぶらめん)」とか、地名がいちいちいわくありげで面白い。もともとこの一帯は将軍家の鷹野の場所だったわけで、「駒繋(こまつなぎ)」「駒場」「鷹番」といった地名がその由来を残している。
「サンマ」の話も鷹狩で空腹になった殿さまが主人公なんだからね。
うちのあたりはK大の広い敷地に隣接するおかげで緑が多く、なんて書くと優雅なようだが、1970年代にはまだそこらにネギ畑が残っていた。
この地域の平地を生み出した呑川が暗渠に封じ込められる直前で、かつての清流は見るかげなく気息奄々の体ながら、まだ水音を聞かせていたっけ。
そんな舞台に、ある日ヒロインが現われる。
残暑の午後、おおかた学期初めの早帰りの途上。
ネギ畑や町工場に挟まれた田舎びた道、家まであと5分ほどのところを歩いていて、ふと目を挙げると50mほど前をゆく花やかなシルエット。
長身の若い女性、ブラウス姿にふうわりとしたスカートの裾を軽くひるがえし、何より幅広の麦わら帽子が涼やかである。
何色かははっきり覚えないが、何しろパステルカラーのくっきりした印象が、シルエットとあわせて洋風の花の印象を残した。
モネの「日傘の女」にかなり近いのだけれど、もう少しだけ輪郭がはっきりしており、堂々たる女性の代わりに少女のうら若さであるところが違っている。
ローランサンの絵のような、と柄にもなく思ったものだ。
ローランサンの絵をまじまじと眺めたことなど、ついぞ覚えがないけれども。
5分の道のり、お嬢さんは先を歩き続けた。
僕は当時から歩くのが速かったから、距離が縮まらないことも驚きだった。
急ぐとも見えないが、長いストライドですいすい進むのだろう、ひょっとして宙に浮いているかと疑ったが、確かに地面を踏んでいる靴の色が、また鮮やかだったのである。
うちのマンションの前を通り過ぎ、僕がマンションに入るとほぼ同時に、50m向こうの一軒家に入って行った。その後、この一軒家に内心のハイライトが向いたことは言うまでもない。
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ある日このお姉さんと言葉を交わして・・・ということだと面白いんだけどね。
そっち系ではなくて。
「お姉さん」と書いたが、もちろん実年齢などわからないし、実は同い年かもしれないのだ。
自分の周りには、あの日あの時間帯にローランサン風のいでたちで出歩く女性がいなかったから、大学生か家事手伝いと決め込んでいただけで、そうとしたところで何歳も違わない理屈である。目だつ人なので、見かければ必ず「あ、いた」と注意が向く、その装いがいつも印象派的に色合い美しく、ローランサン風におめかし麗しい。長いストライドですいすいと歩み去っていく。
基本的に閑静な住宅街で、こちらは新しく建ったマンションに越してきた新参者だが、この家は昔から居ついていた人々の住む一帯にあり、そのまま今でもそこにある。
その後、改築したものの、不思議に人の出入りがないようだ。
「お姉さん」もお嫁に行ったふうがなく、かといってお婿さんを迎えた様子でもない。
あまり似ていない他の女性家族たちと、静かに暮らしているらしい。
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この八月の蒸し暑い朝、近くのポストまで郵便を出しに行った。
早くも滲んでくる汗を感じながら坂を降り切った時、目の前を若草色が通り過ぎた。
白いスラックスの長い脚がみるみる遠ざかる。朝のテーブルに足りない牛乳かヨーグルトが、揺れるポリ袋の端から覗いている。
サマーセーターと軽くてフラットな靴が、そろいの鮮やかな若草色、はっと頭が目覚めた。
お変わりないようですね。