原稿用紙に向かっていても、キーボードを叩いていても、文章を考えているとつい息を詰めてしまう。
息を詰めずに、深く穏やかな腹式呼吸を保ちながら文章が書けたら、きっと良いものになるだろうに、
などと思いつつ「言葉の紳士録」を書きとめてみる。
***
〇 人いきれ
「いきれ」って何だ?
「熱れ」または「熅れ」と書くらしい。
「蒸されるような熱気。むし熱さ。ほてり。いきり。」(大辞林3版)
対応する動詞に二型あり。
① いきる(熱る、熅る)
1)熱気を帯びる 2)息まく、勢い込む
② いきれる(熱れる、熅れる)
熱くなる、熱気でむっとする。
「いきり立つ」などというのは ①-2)から来ているのだな。
こう眺めてみて、「いき(息)、いきる(生きる)」の系列との連想が働くのは自然というものだろう。
人が生きている間は、「いき(息)」をしており、「いきれ(熱れ)」ている。
呼吸と体温は生存徴候としていずれ劣らず重要なものだが、その二つを表わす言葉が酷似しているわけだ。
「いきむ(息む)」と「いきる(熱る)」の類似も面白い。
息をつめて力みかえることと、熱をおびて息まくこと。
同時に観察されることも多いだろう。
「人いきれ」と「草いきれ」、他にもっとないかな、「いきれ」の眷属。
***
〇 ウツツを抜かす
ブログを書き、碁に入れ込む己の姿だ。
ウツツはもちろん「現」なんだろう。
そもそもウツツという音の由来を知りたいものだが、さしあたり意味について。
これは「現実世界」すなわち外界の属性と思いこみそうだが、むしろ人の意識や心的内界の状態を表わすものである。
「目が覚めている状態」「正常な心の状態、正気、本心」「生きている状態」などである。
その「現」を「抜かす」ということは、「正気を失う」「意識をなくす」といった意味か。
類似のものに「現無し(うつつなし)」という言葉がある。
① 正気を失っているさま、ぼんやりと放心しているさま
② しっかりした判断力がないこと
と解説されている。
ウツツの抜けた状態がウツツ無しなんだろう。
『徒然草』112段、例の激しいくだりに用例あり。
この心を得ざらん人は、物狂いともいへ、現無し、情けなしとも思へ、毀るとも苦しまじ、誉むとも聞き入れじ。
この境地に至りたいものだ。
漢語に依らず、大和言葉で精神病理学を構築できないかと思ったりするのだが、それが実現した暁には、「ウツツ」は主体の内的状態を表わすものとして大事なキーワードになるだろう。
待てよ、「主体の状態」というより、「主体と外界の関係のあり方」というべきかもしれない。
こいつは面白そうだ。
***
〇 わからず屋
珍しくNHKの朝ドラを見ていたら、「わからずや!」という歯切れ良い罵り言葉が出てきた。
久しぶりに聞いたこの言葉が何だか好ましく、にこにこしてしまった。
アホとかバカとかいった出口なしの断定と違って、「わからずや」には「こんなにわかってほしいのに、ちっともわかってくれない」というもどかしさが響いている。
「わかってよ!」という切なる要望が込められていること、無論である。
願いをこめた呼びかけであり、胸ぐらをつかんで押したり引いたりする親密さを帯びている。
よほど親しい間柄でなくては使えない言葉で、罵りの中にも関係性が彫りこまれているのだ。
この言葉を投げかけた瞬間に、関係がぐんと親しくなることも起きただろう。罵り言葉で関係を引き寄せるなんて、いろっぽいなあ。
ドラマでは、意中の男性との結婚を認めてくれない頑固親父にむかって、娘が叫んだのである。
ピッタリだ。
***
〇 症と性
「心配性」を「心配症」と書く人があるが、「心配症」という病気は今のところ認知されていない。
ただ、人の性格のあり方として「心配性」と言い習わすのである。
「貧乏性」「苦労性」なども同じで、こう並べてみると性格もどちらかといえば、不安を帯びた負の特性に偏っているようだ。
人の性(さが)だからね。
ある卒論生の誤記をメールで注意する中で気づいたのだが、考えてみればこの区別は案外重要であり、教訓的である。
DSMでいえば、「心配症」はⅠ軸の事態、「心配性」はⅡ軸のそれということだ。
事の本質を表わす大和言葉に対して、漢字はこのような弁別力を持つのが頼もしい。
ただ、性には「さが」という先行する大和言葉があるけれど、症には(僕の知る限り)それがない。
とすると、「症」という発想自体を「漢意(からごころ)」としなければならないか。
この件、いずれあらためて。
息を詰めずに、深く穏やかな腹式呼吸を保ちながら文章が書けたら、きっと良いものになるだろうに、
などと思いつつ「言葉の紳士録」を書きとめてみる。
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〇 人いきれ
「いきれ」って何だ?
「熱れ」または「熅れ」と書くらしい。
「蒸されるような熱気。むし熱さ。ほてり。いきり。」(大辞林3版)
対応する動詞に二型あり。
① いきる(熱る、熅る)
1)熱気を帯びる 2)息まく、勢い込む
② いきれる(熱れる、熅れる)
熱くなる、熱気でむっとする。
「いきり立つ」などというのは ①-2)から来ているのだな。
こう眺めてみて、「いき(息)、いきる(生きる)」の系列との連想が働くのは自然というものだろう。
人が生きている間は、「いき(息)」をしており、「いきれ(熱れ)」ている。
呼吸と体温は生存徴候としていずれ劣らず重要なものだが、その二つを表わす言葉が酷似しているわけだ。
「いきむ(息む)」と「いきる(熱る)」の類似も面白い。
息をつめて力みかえることと、熱をおびて息まくこと。
同時に観察されることも多いだろう。
「人いきれ」と「草いきれ」、他にもっとないかな、「いきれ」の眷属。
***
〇 ウツツを抜かす
ブログを書き、碁に入れ込む己の姿だ。
ウツツはもちろん「現」なんだろう。
そもそもウツツという音の由来を知りたいものだが、さしあたり意味について。
これは「現実世界」すなわち外界の属性と思いこみそうだが、むしろ人の意識や心的内界の状態を表わすものである。
「目が覚めている状態」「正常な心の状態、正気、本心」「生きている状態」などである。
その「現」を「抜かす」ということは、「正気を失う」「意識をなくす」といった意味か。
類似のものに「現無し(うつつなし)」という言葉がある。
① 正気を失っているさま、ぼんやりと放心しているさま
② しっかりした判断力がないこと
と解説されている。
ウツツの抜けた状態がウツツ無しなんだろう。
『徒然草』112段、例の激しいくだりに用例あり。
この心を得ざらん人は、物狂いともいへ、現無し、情けなしとも思へ、毀るとも苦しまじ、誉むとも聞き入れじ。
この境地に至りたいものだ。
漢語に依らず、大和言葉で精神病理学を構築できないかと思ったりするのだが、それが実現した暁には、「ウツツ」は主体の内的状態を表わすものとして大事なキーワードになるだろう。
待てよ、「主体の状態」というより、「主体と外界の関係のあり方」というべきかもしれない。
こいつは面白そうだ。
***
〇 わからず屋
珍しくNHKの朝ドラを見ていたら、「わからずや!」という歯切れ良い罵り言葉が出てきた。
久しぶりに聞いたこの言葉が何だか好ましく、にこにこしてしまった。
アホとかバカとかいった出口なしの断定と違って、「わからずや」には「こんなにわかってほしいのに、ちっともわかってくれない」というもどかしさが響いている。
「わかってよ!」という切なる要望が込められていること、無論である。
願いをこめた呼びかけであり、胸ぐらをつかんで押したり引いたりする親密さを帯びている。
よほど親しい間柄でなくては使えない言葉で、罵りの中にも関係性が彫りこまれているのだ。
この言葉を投げかけた瞬間に、関係がぐんと親しくなることも起きただろう。罵り言葉で関係を引き寄せるなんて、いろっぽいなあ。
ドラマでは、意中の男性との結婚を認めてくれない頑固親父にむかって、娘が叫んだのである。
ピッタリだ。
***
〇 症と性
「心配性」を「心配症」と書く人があるが、「心配症」という病気は今のところ認知されていない。
ただ、人の性格のあり方として「心配性」と言い習わすのである。
「貧乏性」「苦労性」なども同じで、こう並べてみると性格もどちらかといえば、不安を帯びた負の特性に偏っているようだ。
人の性(さが)だからね。
ある卒論生の誤記をメールで注意する中で気づいたのだが、考えてみればこの区別は案外重要であり、教訓的である。
DSMでいえば、「心配症」はⅠ軸の事態、「心配性」はⅡ軸のそれということだ。
事の本質を表わす大和言葉に対して、漢字はこのような弁別力を持つのが頼もしい。
ただ、性には「さが」という先行する大和言葉があるけれど、症には(僕の知る限り)それがない。
とすると、「症」という発想自体を「漢意(からごころ)」としなければならないか。
この件、いずれあらためて。