散日拾遺

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学習性無力/CATの会と思いがけないプレゼント

2013-11-21 22:53:25 | 日記
2013年11月20日(水)

 Windows-XP のサポートが来春で中止されるというので、みな大慌てで Windows 7 へのバージョンアップに励んでいる。僕は放っておくつもりだったが、大学から対応を進めるよう指示があったので、しぶしぶ出入りの業者に依頼した。すると ~ このあたりの理屈が分からないのだが ~ システムソフトだけを入れ替えるのではなく、機械本体を買い換えねばならないのだという。業者があこぎな稼ぎを目論んでいるわけでもなく、そういう仕組みになっているらしい。
 全世界で同じことが起きているのだろう。全人類が一マイクロソフト社に振り回されている。いい面の皮だ。いつからこんな世の中になった?これなら「壁の向こう側」の存在した冷戦時代の方がよっぽどマシだ。
 皆、腹を立てても仕方ないので、感情を波立たせないよう注意しながら「対応」に励む。誰も文句を言わないのは、誰も文句がないからではない。

 水曜は会議日。教授会冒頭で、前回さんざん反論や苦情の出た執行部提案が、若干の修正を経て再提出された。修正された文言を見て、自分らが朝三暮四のおサルになったような気がした。これで間違いなく僕らの負担はまた増える。皆それとわかっているのに、10月の紛糾がウソのように無風の承認となった。文句を言うのにもエネルギーが要るし、有限のエネルギーをそんなところに使いたいと思うほど、ヒマ人が集まっているわけではない。誰も文句を言わないのは、誰も文句がないからではない。

 これをこれ、学習性無力という。

***

 夜は高田馬場でCATの集まり。
 クチブエ君は水曜日はなかなか出られない。Kokomin さん、イザベルさん、勝沼さんの超コアメンバー。

 前半は Kokomin さんの精神分析学会報告。かねがね分析者の「中立性」というテーゼに疑問を抱いていた彼女が、「ほんとうに『解釈』が最重要なのか」を今さらながら論じるワークショップだかパネル・ディスカッションを聞きに行って、溜飲を下げて帰ってきたというお話である。
 大いに共感するが、いろいろと留保がつく。いちいち確かめていくとそれこそキリがないが、さしあたり理論としての「精神分析」と、実践としての「力動的心理療法」を区別しておきたい感じがする。実践にあたるもの、まずは基礎理論をきっちりと学び習うべきことは言うまでもない。理論としての精神分析には、「中立性」「禁欲原則」「解釈」は不可欠のキモである。そうでなくては分析が成り立たない。しかし実際に治癒が起きるメカニズムは多くの不純物を含み、それゆえにまた豊かである。
 それにしても分析はあんなに面白いのに、実際に分析を語る者に魅力ある人物の極端に少ない(というより、その反対の人間がむやみに多い)のはどういうわけだろうか。分析を体験した者はその分だけ自分自身の防衛に自覚的になり、従って精神の自由度が増しているのがスジというものだ。自由な人間は他人をも自由にするし、逆に不自由な人間は他人をも不自由にする。後者の例、もともとかなりクセのあった人種が自身の防衛を合理化し、剰(あまつさ)え権威づけるのに活用している場面のほうが、このギョーカイにははるかに多い。そしてあの党派根性!
 少なくとも Kokomin さんは、分析を語るようになってから一段と大人らしくなり(おとなしく、ではない)、僕の方では彼女と会話するのが楽しくなった。けっこうなことだ。

 後半は予告通り、勝沼さんの映画大好きトーク。映画館は高いので(同感!)もっぱらツタヤだそうだが、よくこんなに見る時間があると思うほど出るわ出るわ、

 『危険なメソッド』『息子の部屋』『メランコリア』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『ブラック・スワン』『レスラー』『カール爺さんの空飛ぶ家』『マルタの優しい詩集』『ロスト』『ピラニア』『セブンス・コンチネント』『プレスリー vs ミイラ男』そして『ゾンビ』のいくつものバージョン・・・

 申し訳ないとは思うが、僕はただの一本も見ていない。
「一本も、ですか?」
「一本も、ごめん」
 イザベルさんは僕と同じだが、驚いたのは Kokomin さんがかなりのものを見ていることだ。何でも、docomo の配信が月500円で見放題なんだそうで、それを長い通勤時間中にタブレットPCで見ているんだそうだ。よく乗り過ごさないこと。
 勝沼さんに感心するのは「純文学」に比せられる本格名作からキワモノまで守備範囲の広いことで、それこそ何でも見て自分自身の感受性で判断している。震災後などにも発揮された彼の現場主義に通底するものだ。
 そしてほんとにまったく映画が大好きなのだ。相好を崩して次から次へと論評するその表情を見ているだけで、こちらも何ほどか幸せな気分になってくる。ときどき、巧まざる警句や箴言が挟まれる。「死が消費の対象となっている」という観察は普遍性をもって鋭い。「監督に注目して映画を見ると、見方が変わってハズレ体験がなくなる」ことは、映画通なら当然なのだろうが面白い。
 喫茶店の一室でもちろんシラフなのに、2時間して店を出るときは「他界」から帰ってくるようなほろ酔い気分になっていた。ちょうど映画館を出るときの感じだ。『息子の部屋』を見ることが宿題になり、次回その感想をかわすことになった。

 帰り際、クチブエ君を含む4人から、思いがけない前倒しのクリスマス・プレゼントをもらった。 
 『わが青春のマリアンヌ』、それも憧れ焦がれたフランス版、ブラーボ!!!

 え~っと、この件はブログには書いてないのか・・・一月の「塾」で「上映会」をやったこと、その前後の話をメーリングリストで流したんだね。ではあらためて週末にでも、再録することにしよう。
 今度こそ見つかるかな、16歳の秋にテレビの前に釘付けになり、そこで記憶に焼き付いたエンディング・ナレーションの二つの言葉。う~、待ちきれない!

 ありがとうみんな、心から感謝します。