散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

S君ありがとう

2013-11-12 08:32:12 | 日記
2013年11月12日(火)その2

今朝はラジオ体操を微妙に寝過ごし、その後のラジオ番組も聞かずにいたところ、見透かしたようにS君がメールをくれた。

 おはようございます。寒くなりました。調子はいかがですか?
 今日11月12日はNHKラジオによると、洋服の日、1872年に政府が礼服を着物から洋服に変更した日だそうです。また1945年昭和20年の今日、初めて宝くじが発売されたそうです。一等10万円。5000人が 販売前に並んだとのこと。あと1962年の今日に日本の製品展示船さくら丸(500社2万品の展示)が、出航したそうです。あと昭和23年、極東軍事裁判で東條英機らに判決がおりた日だそう。
 今日は群馬、栃木とまわります。茂林寺によってくるかもしれません。よい一日でありますよう。

すごいなあ、よく全部覚えていたね。S君は学生時代から類まれな集中力をもっていたっけ。
そういえば、昨日の「今日は何の日」は、第一次世界大戦勃発(1914年)とあと一つしかなかった。今日は盛りだくさんだし、いろいろ考えさせられる。

さっそく返事。

S先生:
寒いですね、締切過ぎた原稿がどうにもならず、不調です。
こういう時はメールをいただくのが嬉しいものです。ブログにいただきます。
茂林寺に行ったらタヌキさんにどうぞよろしく。すごく臭かったという半世紀前
の記憶があります。
石丸

(あらずもがなの註: 館林の茂林寺は分福茶釜の舞台である。今でもその茶釜が残っているが、半世紀前と同じくタヌキが飼われているかどうかは知らない。)

ハイライトうざい/恋いつ焦がれつ/I am impressed!

2013-11-12 07:20:41 | 日記
2013年11月12日(火)

昨日は面白いと思ったことが、一夜明けてみるとまったく面白みが感じられない、
そしてその逆、
当然あるわけだけれど・・・

ブログに書きとめておこうとメモしておいたことが、どれもこれもバカバカしく見えるばかりだ。
どうしちゃったんだろう?それともこっちが正気なのかな。

折角だから、捨てるつもりで転記しておこう。

***

内田樹が「本棚」の効用は電子書籍では得られないと書いたことについて、勝沼さんが「そうでもないんじゃないか」と反論したことがあった。
僕の kindle はどうなっているかというと、最初に城山三郎の小説をいくつか購入した後はすっかり方向を転じ、古典のパッケージになっている。
『吾輩は猫である』『古事記』『徒然草』『旧約聖書』など。『新約聖書』は口語訳と文語訳。
古典オタクなので、こうやって挙げていくだけで嬉しくなってくる。
『日本書紀』や『宇治拾遺物語』は残念ながらまだ kindle 版がない。ぜひ欲しい。

カスタマイズしていくにつれ、「マイ kindle」をカバンに入れる楽しさがうなぎ上りで、この部分では勝沼さんノリである。もちろん「本棚」の存在感と等価ではないけれど。

ただ、ひとつイヤなことを発見してしまった。
『古事記』を読みながら気になった言葉にハイライトを入れようとして、ところどころに小さなコメントが入っていることに気づいた。「この部分を3人がハイライトしています」「この部分を5人が・・・」

他の読者が、どこに何人ハイライトを付けたかを教えてくれているらしい。
親切のつもりだろうが、これはまったく余計なお世話、というよりエラい迷惑だ。
他人がどこに関心を持つかなんて、さしあたりどうでも良いことだし、どうでも良いを超えて無心に読む妨げになる。
読書は、少なくともいったんは自分固有の世界に浸って行うもので、その後はじめて顔を挙げて周りを見回すのである。初めから他人様の関心箇所をおせっかいにも示されたのでは、読書にならない。それが分からないかしら。

この機能をオフにできないかな。
たぶんできるんだろうと思うが、それが不可で強制的にハイライト・コンテストに参加させられるのだとしたら、たぶん kindle 読書は止めてしまうだろう。

繋がっていればいいってもんじゃないですよ。
「孤独が怖くて連帯できず」って、こういうところから始まるんだ。

***

「~つ、~つ」の用例に追加、

 『恋いつ、焦がれつ』

「こ」の頭韻、「つ」の脚韻、3・4で7のリズム、そしてもちろん意味の呼応、
ビューティフル、素晴らしい素材だ。

***

1994年のある日、アメリカはセントルイスのある研究室で。

ポータブルのMACのモニター上で、日本語が走っているのに気づいたアメリカ人同僚が、こちらがびっくりするほど驚き喜んで、次々に仲間を呼んできた。
僕の周りに輪ができて、皆が面白がっている。
しまいには、フロアを仕切る女性プロフェッサーのマデロン・プライスまでやってきて、叫んだ言葉が、
"Oh, I am so impressed!"

この瞬間が、静止画像になって頭に焼きついている。

"I am impressed!"

これって、文脈では「なんて面白いの!」という感動表現だが、同時に「私は感銘を受けている」という叙述にもなっているよね。
こういう騒ぎの際にも、それを表現する英語文は一人称的感動と、三人称的観察の二重性をもっている。それこそ面白いと思ったのだ。
日本語に、これはないのではないか。

例によって、どちらが優れているかという問題ではない。
ただ、言葉が思考を規定する影響力の強さを考えれば、こういう微妙な違いが思考様式に反映されないはずがない。

ずっと気になっていたネタだ。
セントルイス時代のメモをひっくり返すと、こういうトリビアがわんさと出てくる。
少しずつ転記していこうか、これなら面白いと思えるかな。
う~ん・・・