散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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温室ガスと原発/「手妻」「直截」/11月11日

2013-11-11 23:03:30 | 日記
2013年11月11日(月)

地球温暖化会議に向けて、わが政府が苦慮を続けていると、朝のニュース。

二酸化炭素排出量を25%減らすことを、民主党時代に国際公約したが、原発がコケたのでこれを大幅に修正せざるを得なくなった。
安倍首相が「原発ゼロを前提とした試算」を命じ、これにもとづいて「3.8%減」への大幅下方修正、これだと比較時点によってはむしろ「増加」を意味することになり、国際的な非難は必至だという。

気になるのは「原発ゼロを前提とした試算」というところで、国内ではむしろ脱原発は「無理」ないし「愚劣」という主張が財界を中心に喧しいのだから、今回はこれに反する想定でわざわざ国際的な非難を引き出しているわけである。

くるりと一回転して、「二酸化炭素排出量を減らせという国際的要求に応えるためには、原発再開がどうしても必要」というロジックに戻ってくるのではないか。
どうも、何だか、ウサンクサイぞ・・・

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宮部みゆき『荒神』、大ウワバミが暴れ放題である。

「巨きくてぶっとくて重たい蛇のように総身をくねらせ、関所の砦の方へと戻り始めた。手妻のような早業で、すさまじい速さだ。」
(11月6日(水)朝刊)

手妻・・・手品という意味があるのだ。


「直截に申しましょう。我らは名賀村には参りません。いえ、参れません。」
(11月10日(日)朝刊)

「直截」の語に「チョクサイ」とルビを振っているが、これは是非とも「チョクセツ」と読んでほしい。その方が辞書的に正しいということもあるけれど、何より音が冴えている。
「截然」の場合はもっとハッキリする。「サイゼン」では締まらない、「セツゼン」に限るだろう。


怪物は蓑吉を襲おうとして、その背後の馬に気を呑まれたように退散した。
馬、そして絵馬の封印、「馬」が鍵を握るのか。
展開が待ち遠しい。

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本日をもって今回の歯科治療は終わり。
後は半年毎の「歯の健診」を命じられる。

11月11日という節目に、3年後について考えた。
個々のメンバーと共に、家族というシステム自体が齢を重ね、成長する。
「転機」というものがあり、それは「天機」でもあるらしい。

ネットのバカ/言葉の紳士録 003: うさんくさい

2013-11-11 23:02:53 | 日記
2013年11月9日(日)

「本に訊きたい著者のツボ」
ん?間違えた、でも案外このほうが正しくないか?

『ウェブのバカ』『ウェブはバカと暇人のもの』『ウェブで儲ける人と損する人の法則』・・・中川淳一郎氏。
インタビューの歯切れがいい。
「ラインでつながるその友達、困った時に助けてくれますか、あなたの葬式に来てくれますか?」
ウェブで「知」の革命など起きはしない、本に戻ろうという、ものすごくマトモな人だ。

同感、これだけ聞けばもう十分という感じもするが、でもせっかくだから読んでみようかな。
木曜日の立ち読みで。

ところで「バカ」って言葉は、おおっぴらに使えるんだね。
『バカの壁』の時、これは養老大先生だから大目に見られてるのかと思ったんだが。

ついでに「キチガイ」という言葉も復権しないかな。
もちろん、精神障害(者)とはまったく関係ない文脈で使うためだ。
ただし、翻って「気が違う」という原型は「日本語でする精神病理」で大いに使える。
使えるどころか、キー・コンセプトである。

さて、面接授業二日目。
行ってきます!

***

ただいま。
疲れた・・・けれど、不思議にいつも二日目の方が楽なのである。
気も体も「慣れ」に入っているのか、終わりが見えてくる心理的効果か分からないけれど。

学生は有職者の比率が高く、週日の疲れを引きずっての受講だから、二日目に入ると疲れも見えてくるが意気は軒昂である。

名簿を確認すると、50名ほどの受講者のほとんどが首都圏在住者だが、宮城から一人、和歌山から一人、遠来の参加があった。
和歌山の男性が、開講時のアンケートに面白いことを書いている。

「精神医学というものは、どうもうさんくさい感じがする。臨床心理学はもっとうさんくさいけれど」

うさんくさい、という言葉が面白いなあ。
この男性は、実は今年四月の香川SCの面接授業にも出席して、『精神医学・基礎編』を受講したのだ。
うさんくさいと感じながら、和歌山から香川へ、そして多摩にまで足を伸ばして受講し勉強する姿勢が、なおさら面白く好ましい。勉強はこういう根性でするものである。

実際、精神医学には「うさんくさい」ところがつきまとうし、そのことを自覚しながら取り組むことが大事なのである。
このコメントを教室で紹介したうえ、いやがうえにもうさんくさいパーソナリティ障害について、うさんくさい解説した。

この人は香川SCのアンケートでも「うさんくさい」という言葉を書いていたように思ったが、帰って確認したら僕の思い違いだった。何しろ嬉しいコメントである。

それにしても「うさんくさい」って、もともとどういう意味なんだろう。

「胡散(うさん)」という形容動詞が「怪しい、不審な」の意で室町末期には使われており、もとは「烏散」とも書いたが、「胡乱(うろん)」という語との連想もあって「胡散」という表記が定着したとある。「胡」の字を「う」と読むのは唐宋音とあるから、比較的新しいのだ。

語義は未詳という。残念だなあ。

***

偶然とは面白いもので、ふと思い出したが先週『今日のメンタルヘルス』受講者から質問があり、高橋祥友先生がシュナイドマン先生との会話の中で「うさんくさい」という言葉を使ったようだが、英語では何というのかと訊いてきた。
こういう質問も珍しい。しかも、このタイミングである。

今日さっそく高橋先生に確認したら、phony(フォーニイ)というんだそうだ。
いただいたメールから転載する。

 そこで、私は次のように答えました。「そうですね。人生に完全に満足していると
 は言えませんね。自己不全感というか、どことなく自分が嘘くさい、フォーニーな感
 じがしています」
  シュマイドマン先生は「フォーニーだって? いい単語を知っているじゃないか。
 それはまさに私に当てはまる言葉でもある」と応えました。

 "phony"という単語を使っていたのをはっきりと覚えています。そして、その時のシュ
 ナイドマン先生の表情や声の調子も記憶によみがえります。けっしてビッグワードで
 はありません。むしろかなり俗語に近いですが、いかにも「あやしい」「胡散臭い」
 といったニュアンスが湧き上がります。

phony の語は高橋先生が先に使ってシュナイドマン師に褒められたわけで、高橋先生の語彙も大したものだ。年間百本の映画を映画館で見ることを欠かさない人だから、おおかた映画から学んだのだろう。

あちらにもこちらにも、恐れ入りました。