2013年11月2日(土)
ANAという会社にはいささか含むところがあるが、残念ながら選択の余地がない。589便で松山へ飛ぶ。
座席番号17のCとあるので、考えもせず窓から数えて3番目の席に座ろうとしていたら、若い男性がおずおずと異議を申し立てた。
なぜかBという列がなくてCは2番目だ。他にE、I、Jなどもないようである。
詫びを言って席を移りながら、なぜだろうかと首をひねる。
座り直した席は二人掛けの通路側で、窓側には赤ちゃんを抱いた若いお父さん。むずかるお嬢ちゃんは7ヶ月だそうで、お父さんは騒がしいのをしきりに済まながる。泣き出す気配に、お母さんがやってきた。これまたしきりに恐縮する。
「すみません、御迷惑をかけます。」
「席を替わりましょうか?」
「いいんですか、ありがとうございます、助かります。」
と拝まんばかり。
立ち上がりながら、
「赤ちゃんが泣くのはあたりまえです。気にすることありませんよ。」
いや~、一度言ってみたかったんだ、この決めゼリフ!
自分が育ててみればわかる。どんなに配慮を尽くしたって、泣くときは泣くのが赤ん坊だ。一生懸命やっている若い親たちを、温かく見守るのが大人というものだ。
・・・とカッコつけてみたが、替わった席はちょうど窓のない壁際、最悪の位置である。しょうことなく居眠りに励む耳に、機内のそこここから赤ちゃんの声が聞こえてくる。連休に赤ちゃん連れで帰省する人々が、多数乗り込んでいるらしい。
件のお嬢ちゃんは、その後はてんでおとなしい。
降りていくとき、あらためて懇ろに礼を言われた。こんなのお安い御用だ。
***
空港に両親の迎えあり。
僕が出てくるのが遅くて、父はお冠である。
席を替わったため、僕の荷物は例の赤ちゃん達の頭上にあり、彼らは慎重に最後から降りたので、僕はさらにその後から降りることになったのだ。
そんな説明は省略し、小一時間のドライブで我が家に着いたのが着陸のちょうど1時間後。
風呂場の電灯が切れたというのでさっそく見てみるが、経年劣化でゴムパッキンが固まり、接着剤の働きをして覆いが外せない。やむなく出入りの電機屋に連絡する。テレビではオールブラックスが秩父宮の芝生を縦横に駆け回っている。
やがて二人でやってきた電機屋さんの若い方に、母が声をかけた。
「おばあちゃんはいかが、元気になられた?」
「それが、急なんですけど、昨日・・・」
「え?」
顔を覆った。
若者のおばあちゃんは、両親が通っている太極拳教室の仲間である。
クモ膜下出血で入院したものの、手術が成功して意識が戻ったと聞いて、安堵していたという。家族も同様だっただろう。
おばあちゃんと言ったが、母よりも一回り下だった。
一瞬目を潤ませた若者は、気を取り直して風呂場の電灯と格闘、パッキンをカッターで切り裂いて覆いを開け、旧灯に換えてLEDをセットしてくれた。支払いついでに、母は葬儀の予定を訊いてメモしている。
***
一息入れた後、屋敷前の畑でマメの種撒き。
畝を軽く耕してレーキで平らにし、30㎝間隔で3㎝の深さに種を置き、土をかける。
「そりゃ30㎝じゃない、50㎝じゃ」
「そうかなあ」
通りすがりの近隣の人々が、倅が帰っていると気づいて父に声をかけていく。
「いやあ、鍬の使い方も知らんので」
だとさ、
悪うござんしたね。
下の畝から順に、ソラマメ、グリーンピース、エンドウ。
一週間もすれば発芽し、伸びきらないまま越冬した後、あらためて成長して来年6月頃の収穫だという。
播種が早すぎて成長しすぎると、かえって寒さに負ける。今が好機なんだそうだ。
いろんな知らないことが、山ほどある。
僕の播いた種でも、芽が出るだろうか。
出るよな、きっと。
「わたし(=パウロ)は植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させたのは神である。」(第一コリント 3:6)
とあるんだから。
ANAという会社にはいささか含むところがあるが、残念ながら選択の余地がない。589便で松山へ飛ぶ。
座席番号17のCとあるので、考えもせず窓から数えて3番目の席に座ろうとしていたら、若い男性がおずおずと異議を申し立てた。
なぜかBという列がなくてCは2番目だ。他にE、I、Jなどもないようである。
詫びを言って席を移りながら、なぜだろうかと首をひねる。
座り直した席は二人掛けの通路側で、窓側には赤ちゃんを抱いた若いお父さん。むずかるお嬢ちゃんは7ヶ月だそうで、お父さんは騒がしいのをしきりに済まながる。泣き出す気配に、お母さんがやってきた。これまたしきりに恐縮する。
「すみません、御迷惑をかけます。」
「席を替わりましょうか?」
「いいんですか、ありがとうございます、助かります。」
と拝まんばかり。
立ち上がりながら、
「赤ちゃんが泣くのはあたりまえです。気にすることありませんよ。」
いや~、一度言ってみたかったんだ、この決めゼリフ!
自分が育ててみればわかる。どんなに配慮を尽くしたって、泣くときは泣くのが赤ん坊だ。一生懸命やっている若い親たちを、温かく見守るのが大人というものだ。
・・・とカッコつけてみたが、替わった席はちょうど窓のない壁際、最悪の位置である。しょうことなく居眠りに励む耳に、機内のそこここから赤ちゃんの声が聞こえてくる。連休に赤ちゃん連れで帰省する人々が、多数乗り込んでいるらしい。
件のお嬢ちゃんは、その後はてんでおとなしい。
降りていくとき、あらためて懇ろに礼を言われた。こんなのお安い御用だ。
***
空港に両親の迎えあり。
僕が出てくるのが遅くて、父はお冠である。
席を替わったため、僕の荷物は例の赤ちゃん達の頭上にあり、彼らは慎重に最後から降りたので、僕はさらにその後から降りることになったのだ。
そんな説明は省略し、小一時間のドライブで我が家に着いたのが着陸のちょうど1時間後。
風呂場の電灯が切れたというのでさっそく見てみるが、経年劣化でゴムパッキンが固まり、接着剤の働きをして覆いが外せない。やむなく出入りの電機屋に連絡する。テレビではオールブラックスが秩父宮の芝生を縦横に駆け回っている。
やがて二人でやってきた電機屋さんの若い方に、母が声をかけた。
「おばあちゃんはいかが、元気になられた?」
「それが、急なんですけど、昨日・・・」
「え?」
顔を覆った。
若者のおばあちゃんは、両親が通っている太極拳教室の仲間である。
クモ膜下出血で入院したものの、手術が成功して意識が戻ったと聞いて、安堵していたという。家族も同様だっただろう。
おばあちゃんと言ったが、母よりも一回り下だった。
一瞬目を潤ませた若者は、気を取り直して風呂場の電灯と格闘、パッキンをカッターで切り裂いて覆いを開け、旧灯に換えてLEDをセットしてくれた。支払いついでに、母は葬儀の予定を訊いてメモしている。
***
一息入れた後、屋敷前の畑でマメの種撒き。
畝を軽く耕してレーキで平らにし、30㎝間隔で3㎝の深さに種を置き、土をかける。
「そりゃ30㎝じゃない、50㎝じゃ」
「そうかなあ」
通りすがりの近隣の人々が、倅が帰っていると気づいて父に声をかけていく。
「いやあ、鍬の使い方も知らんので」
だとさ、
悪うござんしたね。
下の畝から順に、ソラマメ、グリーンピース、エンドウ。
一週間もすれば発芽し、伸びきらないまま越冬した後、あらためて成長して来年6月頃の収穫だという。
播種が早すぎて成長しすぎると、かえって寒さに負ける。今が好機なんだそうだ。
いろんな知らないことが、山ほどある。
僕の播いた種でも、芽が出るだろうか。
出るよな、きっと。
「わたし(=パウロ)は植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させたのは神である。」(第一コリント 3:6)
とあるんだから。