散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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田園日記 その1

2013-11-02 23:48:41 | 日記
2013年11月2日(土)

ANAという会社にはいささか含むところがあるが、残念ながら選択の余地がない。589便で松山へ飛ぶ。

座席番号17のCとあるので、考えもせず窓から数えて3番目の席に座ろうとしていたら、若い男性がおずおずと異議を申し立てた。
なぜかBという列がなくてCは2番目だ。他にE、I、Jなどもないようである。
詫びを言って席を移りながら、なぜだろうかと首をひねる。

座り直した席は二人掛けの通路側で、窓側には赤ちゃんを抱いた若いお父さん。むずかるお嬢ちゃんは7ヶ月だそうで、お父さんは騒がしいのをしきりに済まながる。泣き出す気配に、お母さんがやってきた。これまたしきりに恐縮する。
「すみません、御迷惑をかけます。」
「席を替わりましょうか?」
「いいんですか、ありがとうございます、助かります。」
と拝まんばかり。
立ち上がりながら、
「赤ちゃんが泣くのはあたりまえです。気にすることありませんよ。」

いや~、一度言ってみたかったんだ、この決めゼリフ!
自分が育ててみればわかる。どんなに配慮を尽くしたって、泣くときは泣くのが赤ん坊だ。一生懸命やっている若い親たちを、温かく見守るのが大人というものだ。

・・・とカッコつけてみたが、替わった席はちょうど窓のない壁際、最悪の位置である。しょうことなく居眠りに励む耳に、機内のそこここから赤ちゃんの声が聞こえてくる。連休に赤ちゃん連れで帰省する人々が、多数乗り込んでいるらしい。

件のお嬢ちゃんは、その後はてんでおとなしい。
降りていくとき、あらためて懇ろに礼を言われた。こんなのお安い御用だ。

***

空港に両親の迎えあり。
僕が出てくるのが遅くて、父はお冠である。
席を替わったため、僕の荷物は例の赤ちゃん達の頭上にあり、彼らは慎重に最後から降りたので、僕はさらにその後から降りることになったのだ。
そんな説明は省略し、小一時間のドライブで我が家に着いたのが着陸のちょうど1時間後。

風呂場の電灯が切れたというのでさっそく見てみるが、経年劣化でゴムパッキンが固まり、接着剤の働きをして覆いが外せない。やむなく出入りの電機屋に連絡する。テレビではオールブラックスが秩父宮の芝生を縦横に駆け回っている。

やがて二人でやってきた電機屋さんの若い方に、母が声をかけた。
「おばあちゃんはいかが、元気になられた?」
「それが、急なんですけど、昨日・・・」
「え?」
顔を覆った。

若者のおばあちゃんは、両親が通っている太極拳教室の仲間である。
クモ膜下出血で入院したものの、手術が成功して意識が戻ったと聞いて、安堵していたという。家族も同様だっただろう。
おばあちゃんと言ったが、母よりも一回り下だった。

一瞬目を潤ませた若者は、気を取り直して風呂場の電灯と格闘、パッキンをカッターで切り裂いて覆いを開け、旧灯に換えてLEDをセットしてくれた。支払いついでに、母は葬儀の予定を訊いてメモしている。

***

一息入れた後、屋敷前の畑でマメの種撒き。
畝を軽く耕してレーキで平らにし、30㎝間隔で3㎝の深さに種を置き、土をかける。

「そりゃ30㎝じゃない、50㎝じゃ」
「そうかなあ」

通りすがりの近隣の人々が、倅が帰っていると気づいて父に声をかけていく。
「いやあ、鍬の使い方も知らんので」
だとさ、
悪うござんしたね。

下の畝から順に、ソラマメ、グリーンピース、エンドウ。
一週間もすれば発芽し、伸びきらないまま越冬した後、あらためて成長して来年6月頃の収穫だという。
播種が早すぎて成長しすぎると、かえって寒さに負ける。今が好機なんだそうだ。

いろんな知らないことが、山ほどある。
僕の播いた種でも、芽が出るだろうか。
出るよな、きっと。

「わたし(=パウロ)は植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させたのは神である。」(第一コリント 3:6)
とあるんだから。


類として括ること ~ 天安門/店舗の張り紙/大学入試改革

2013-11-02 08:14:10 | 日記
2013年11月2日(土)

締切過ぎた原稿を複数抱え、今日は長駆移動。
ブログに「ウツツを抜かす」陽気でもないのだが、どうしても急ぎ書き留めておきたいので。
あらかじめ乱文を覚悟しつつ。

***

こんどはウイグルだ。

天安門の自爆行為が、ウイグル人によるテロ行為と発表された。中国政府がそのように断定した。
すると北京やそこらでウイグル人はホテルに泊めない、部屋を貸さないという事態が早くも頻々と起きている。

朝日の朝刊には、息子が一味の疑いをもたれて拘束されたという、ウイグル人夫妻の写真。
アメリカで会ったことのある、ただ一人のウイグル人の人なつこく浅黒い顔が重なった。

事態の進展は急に過ぎ、情報は少なすぎる。
その中で、中国政府がウイグルに対する圧力を強めることだけが、確実な見通しとして語られる。
ならばこれらのことすべては、そのために利用されつつあるのではないか。

それはいったん置くとして、ここで注目しておきたいのは、「ウイグル人」という標識(しるし)によって人を一律に括る行為の危うさと恐ろしさだ。それを「こんどは」と言うのである。

留学中のアメリカでセルビア人の家族と知り合いになった。
だいぶほとぼりが冷めた感じだが、当時はボスニア人などに対するセルビア人の迫害攻撃(浄化!)が国際的な非難を浴び、セルビア人には肩身の狭い時代だった。

ヴェズナというその女医が、笑顔を保ってアメリカ人らと話していたが、皆の姿が消えるなり実験室のドアを音高く閉めた。室内には中国人女性のドクター・チンと僕の二人だけ。
僕らに対してか、彼女自身に対してか、激しく訴え始めた。

 何だっていうの、私らにも言い分はあるんだ、何が正義よ、押しつけるんじゃないわよ。
 マサヒコ、あんたたちはよく知ってるよね、いつになっても二言目にはパール・ハーバーでしょ?
 今だって、何かあればそれを持ちだすでしょ、アメリカ人は!
 ・・・

彼女の憤りの激しさは、正義/偽善の文脈で論じることもできるけれど、一面からすれば「セルビア人」というレッテルのもとで「類」として括られることへの反発でもあったと思う。

「類」として人を括ることは、まさしく人の「性(さが)」として根深いもので、集団心理の容赦なさが加味されて有史以来おびただしい悲劇を生んできたし、今も生み続けている。特に危機的な状況においてそれは顕著に突出する。関東大震災の惨状の中で起きた「朝鮮人」虐殺は、僕らの歴史に刺さった深いトゲだ。

今、中国にある危機は何なのか。
問題はウイグルよりも、むしろそのことだ。そして類として人を括る性の深さだ。

***

こちら東京。
京王八王子の飲食店の掲示が、ツイッターなどで騒ぎになった。
10月25日(水)夕刻あたりのことだそうだ。

『当店スタッフが当店の利用にそぐはない【不衛生、ホームレス等】と判断した方の客席および当店の利用をお断わりさせて頂きます』
(「そぐはない」はママ)

ネット上では賛否両論、喧々囂々、これに立ち入るのが本意ではない。

飲食店なんだから、「不衛生」と判断した客に対して必要な対応をするのは当然だ。
ただ「ホームレス」の一言が余分なのだ。不衛生かどうか、あくまで客ごとに個別に判断するしかない。

そこにある予断、そして類として人を括る発想が、やっぱりまずいだろう。

***

もうひとつ、焼夷弾的飛躍(かつて丸山真男師が著書の中で使った表現)をやってしまおう。

大学入試改革に関する「教育再生実行会議」の提言。
もっともなようで、実は穴だらけと思われる。

「人物本位の入試」というが、「人物を評価する」ということの理論的・実践的な危険を御存じあっておっしゃるか。

「知識偏重の入試をあらため」というが、「学力=知識」と等置するあなた方の発想こそ、実は知識に偏しているのではないか。

翻って、ある種の「知識」をしっかり詰め込むことは、教育の全てではないとしても重要な一部ではないのか。
(= 日本の都道府県も「覚えさせ」ずに世界の地理を「考えさせ」ることが、こどもの思考力を本当に向上させるのか。)

言いたいことは山ほどあるが、ここは主題との関係で一点だけ。

「個々の学生の得点を競わせるのではなく、学生を得点に従っていくつかのランクに分ける・・・」

本気ですか?

ランク制にしたとしても、ランクAとランクBの間には依然として厳然たる線が引かれるだろう。(そうでなければ「ランク」の意味がない。)
ランクA最下位とランクB最上位は、一点の違いで明暗を分ける。
この場合、ランクB最上位者は、素点としてはずっと低いランクB最下位者と同じB評価を受け、Bという類に括られることになる。そして「ランクA学生」「ランクB学生」というレッテルが、何かにつけて付きまとう。

このやり方は、不公平感を強め、強迫的な点取り行動を加速しこそすれ、緩和はしない。
だって、「類」として学生らを括り分ける発想だもの。

***

天安門から入試改革まで、実は地下水脈でつながっている。
「類」として人を括る僕らの発想が、実に多くの不幸の源なのだ。

人の「罪」とは、こういうことを指して言う。これこそまさしく「類」としての人の「罪」である。「罪」が気にいらないなら「業」と言い換えてもいい。
何しろ、類によってものを考える姿勢は、こういう時にこそ採用すべきなのだ。
「人類」という大きな「類」の共通特性を考えるための道具であって、人を「分類」するために使うものではない。

類的存在 Gattungswesen ・・・ 『経済学・哲学草稿』など、初期におけるマルクス・エンゲルスの重要な概念だったな。
城塚登先生の『社会思想史』講義、ほぼ40年ぶりに思い出した。
良かった、ちゃんと本棚にとってある。