散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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ミルクワンタン

2014-07-02 23:51:43 | 日記
2014年7月2日(水)

 夕べO君と、久しぶりに食べた。
 凄いんだ、これ。

 能書きは帰宅後に。



 帰宅後の能書き。
 初めて食べたのは、もう何年前になるだろう。
 O君が「ミルクワンタン、食べないか」と言うので、有楽町のガード下をけっこう奥まで入って行った。油じみた狭い店内で、そのものがドンと出てきた時の、何と言ったらいいかあれはやっぱり感動だよな。
 でっかい器に真っ白な温ミルクが満々、そこにプカプカと浮き沈みする、これも真っ白で大きなワンタンたち。誰がこういうもの考えるんだろう、子供の頃、御飯にミルクかけて食べたのを思い出しながら、美味しいというのかすごいというのか、「食べた」という壮挙でお腹いっぱいである。
 めったに有楽町界隈に行かないし、他所でお目にかかるものではないから、すっかり思い出の一コマになっていた。
 そこへまたしてもO君が「ミルクワンタン、食べないか。」
 彼も久しぶりらしく、「まだ店あるかな」と呟いている。
 「もっと先だな、通りをひとつ越えて、あの路地かな」
 「・・・あった!」
 もともと二人とも眼がよくて、おかげで早くからそろって老眼になった。今でも遠目は利くのである。
 向こうの路地の入口アーケードに10軒ほどの店の名が掲げられ、中でここだけは店名ではない、ミルクワンタンの文字がバックライトに照らされて黒々と。

 路地奥の左側、狭い店はほとんど満席で昔より繁盛しているか。奥の畳に一卓だけ、ちゃんと僕らを待って空いていた。
 O君が繰り返し「ミルクワンタン」と言うのが、聞こえないのか無視してるのか、おじさんは自分の出したいものを出すように見える。
 向かって左のお椀(食べかけで失礼!)、これは何だろう、玄米に麦や雑穀、納豆などを混ぜたものがひどく美味しい。そして目当てのミルクワンタンは、往時より小ぶりで具も彩を添え、これまたヘルシーに変身したようである。芋焼酎のロックに、隣席の人からコンニャクを分けてもらって、気持ちよく飲んで食べた。
 壁のポスター類がレトロだったり新しかったり、何だかとても懐かしい。敦煌の写真が何枚か混じっている。
 安土桃山から江戸時代あたりの、日本の美術の素晴らしさをO君が言い出した。宗達の風神雷神や浮世絵のこと、フランスなどに起きた日本ブームは、東洋への漠然とした憧れの結果ではなく、優れた「日本」の具体的な発見であったことなど。

 「みんな楽しそうだな」
 見回せば客はすべて男性、仕事帰りと見える人々が、なるほど全員笑っている。難しい顔がひとつもない。
 「いつまで続くんだろう」
 本当にそうだ。だけどあの店が、少なくとも今日この日まではあったのだ。
 
 何とか、なるかもな。

2014年7月1日 火曜日

2014-07-02 07:58:34 | 日記
2014年7月2日(水)
「9条崩す解釈改憲」
「集団的自衛権 閣議決定」
(朝日一面)

 前にも書いたように僕は真っ向反対だが、そのこと以上に気の思い事情がいくつも重なっている。
 基本法のあり方を閣議決定で随意に変更できること。大きく言えば三権分立の空洞化ともつながり、突飛なようだけれど、あらゆる組織で執行機関が突出していることとも連動している。
 プロセスが拙速に過ぎること。そこに現首相の「悲願」のあることが、与党内からも当惑気味に囁かれている。ロゴスよりもパトス主導というわけだが、このパトスは何に由来するのか?精神分析が何かの役に立つとするなら、ここが出番というものだ。
 ある意味でいちばん気になるのは、米国(海の向こうのマッチ・ポンパー!)がこれをいち早く歓迎していること、また、米国が歓迎の意を表明したことを、こちら側で歓迎する人々のあること。これは今後、僕らの大きな棘になるだろう。心理的に見れば攻撃者との同一化が依然として働き、僕らは戦争に負け続けている。それと上述の「パトス」(保守政治家の?!)の関係が、僕には倒錯としか見えない。そして、アメリカの戦争を、日本人が応援する、イスラム教徒は当然ながらそう理解する。
 具体性を欠いた「原則」と上述の閣議優位との組み合わせで、いわゆる「なし崩し」にどこまで進んでいくか、全く見えない。閣議の御前会議化・・・しかしあの戦争では、会議の「主」は基本的に戦線拡大には消極的だった。
 それやこれやを、武器輸出の緩和と読み合せたら、どんな図柄が浮かぶ?

 この日が悔いをもって歴史に刻まれることのないよう祈る。