散日拾遺

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思いがけない共感の相手方

2014-07-19 22:30:31 | 日記
2014年7月19日(金)
 朝日のオピニオン、野中広務氏の『老兵は闘う』に思わず読み入った。
 「公明はなぜ折れた」と、文句のもって行き先が少々妙だが、本文を読めば「自民党の多様性が失われた」と苦々しく語られている。確かにひとつはそのことだ。
 そもそも自由民主党という政党は、1955年に自由党・日本民主党の保守合同によって成立したもので、その系譜をたどれば戦前の政友会と民政党まで遡る。『男子の本懐』には両党が財政問題などをめぐって相譲らず、白熱の論戦を張り合った様が描かれていて、日本にもこんな時代があったのかと嘆息される。両者の流れを汲む政界の主流が戦後に大合同したのが自民党というわけで、英米型の発想に立てば「そりゃないでしょ」というところ。
 民主党と共和党が、あるいは自由党(今なら労働党)と保守党が合同してしまって、いったい議会政治が成り立つか、謀ってでも紅白に分かれ甲論乙駁を繰り返すことこそ、全体の利益に繋がるというものではないか。それらしい形が、せっかく大正・昭和の日本に生まれつつあったのに。
 案ずるところ、自民党政府というのは一種の挙国一致的な企てではなかったか。非常事態に際して小異はいったん置き、大同において団結しようとの方向性と見れば見えなくもない。非常事態とは何かといえば、日本国の再建復興と国際社会への再デビュー、第二次大戦で一大挫折をきたした軍事路線の剣を鎚と鎌に打ち変え、戦争で失ったものを経済で取り戻そうとする総動員体制、強兵なき富国、形を変えた戦争継続ではなかっただろうか。「企業戦士」とはよく言ったものだ。戦士団を統率する「戦争指導」が政府の責務であると考えるなら、無茶な大合同にもそれなりの名分が立つ理屈である。

 この大合同には、またそれなりの暴走チェック機構があった。英米型の対立政党を外部にもたない代わりに、一政党としては考えがたいほどの多様性が組織の内部に存在し、それが相互に牽制作用をもったのである。ある国政選挙の際、公然たるマルキストの友人が「今回は鯨岡さんに投票した」と複雑な表情で話したことを思い出す。今では考えられないことだ。
 鯨岡兵輔(1915-2003)、福島県出身の自民党代議士で、身辺の清潔さと平和主義、環境問題への熱心な関わりで多くの支持者をもった。軍縮・平和の文脈では、宇都宮徳馬(1906-2000)の名を挙げてもいいだろう。自民党ハト派を代表した人物である。そういう個人が珍しくも偶々存在したというのではなくて、さまざまな切り口ごとにそうした広がりが見出されるのが、自民党という集団の特徴だった。そのような多様性が「今や失われた」と野中氏は言うのだ。
 「公明なぜ折れた」という言いがかり(?)も、そうとなれば腑に落ちる。自民党内部の多様性の拮抗が失われた現在、拮抗関係を通してバランスを生み出す相手は連立与党の枠内にでも求めるほかない。むろん、alternative たりうる野党のあった方が、より健全であるに違いないのだけれど。
 拮抗する反対勢力の存在は、less bad を模索して進む議会制民主主義の、今も不動の大前提なのだ。

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 新聞をめくっていって、ある記事に目が吸いついた。
 「集団的自衛権を問う」、小インタビューの内容に強く共感し共鳴するのだが、その語り手というのが右翼団体の顧問という人である。これはいささか驚いた。
 明晰かつ堂々たる論旨をあらまし転記しておく。

 安倍首相も戦争したくはないだろうし、それなりに戦争を防ごうと考えているのでしょう。しかし集団的自衛権は行使すべきではない。米国の歓心を買うために世界を敵に回すようなもので、不利益が大きすぎる。日本の安全保障を考えれば、まず隣国と良好な関係を築く努力をすることが第一です。
 「外交は強硬姿勢でなければダメだ」という世論が安倍内閣の背中を押しています。朝鮮人を罵倒するなどのヘイトスピーチも、そうした世論の一部です。ああいう下品な行動は長続きしないと僕は思ったが、「本音を代弁してくれた」と支持する人がいる。反中・反韓をあおる本も売れる。外の脅威を政治に利用している点では、日本・中国・韓国・北朝鮮みな同じですよ。
 この勢いで憲法改正までいくかもしれない。日本国憲法は米国に押しつけられたと思うし、自主憲法は必要です。しかし今の空気の中で変えても、自衛隊は米国の「傭兵」になるだけだ。理想がない。自衛隊が誰の血も流していないことは世界に誇るべきで、卑屈になることではない。天皇陛下も、再び「開戦の詔書」にサインするようなことは望まれないでしょう。
 安倍さんを支持する自称「愛国者」の人は、自分を国家に重ねて大きなことを言う。三島由紀夫は「『愛国心』という言葉があまり好きではない」「官製のにおいがする」と書いた。本物の愛国者は、自分を愛国者などとは言わないものです。
(「一水会」顧問 鈴木邦男氏)

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 一言追記、「立国は私なり」(福沢諭吉)
 むろん、かつて前都知事が意味を正反対に捻じ曲げて引用した趣旨ではなく、「愛国心は拡張されたエゴイズムであって、何ら高尚なものではない」という原義において連想するのである。
 ・・・よく見たら、前都知事ばかりではなく錚々たる顔ぶれの多くの文化人らが、同じ曲解を公然とやってのけている。そういうタイトルの本まで出ているから、うっかりするとこちらが不勉強の汚名を着せられそうだ。
 ああ、嫌だ嫌だ・・・
(cf. 2013年4月13日『立国は私なり』)