2014年7月29日(火)
甲子園予選、石川大会決勝のことが話題になっている。0-8を九回にひっくり返した星陵は見事の一語に尽きるけれど、負けた側のことが気になって仕方がない。
トラウマ(嫌な言葉だ)にしてしまうか、これをバネに成長できるか、そこは本人達ばかりでなく関係者一同の姿勢次第なんだから、どうぞ皆さん頑張ってと心から言いたい。
愛媛県大会は、今治西に競り勝った松山東と、済美を破った東温が準決勝であたり、松山東が3-2で決勝へ進んだ。2点先制し、終盤に追いつかれ、最終回に勝ち越しサヨナラという充実の展開だったらしい。
もう一方のブロックからは小松高校があがってきた。今は西条市小松町だが、叔父夫妻が小松の教会を牧した思い出などあって懐かしい地名だ。相手は同じエリアの西条高校(全国優勝経験あり)で、9-2の8回コールドである。石川大会のことを考えると、終盤7点差でもコールド判定はマズイのではないかと食卓の話題。
愛媛大会のこれら4強は、いずれも県立高校である。松山東と小松、どちらが出ても甲子園でそうは勝てないのだろう。つい最近まで、愛媛県代表は県別の甲子園勝率で抜群の一位だった。PL以来躍進目覚ましい大阪府に抜かれたのをきっかけに、今後は落ちる一方と思われる。
むろん残念だけれど、さほど悔しいとは思わない。全国的にレベルが挙がったのは嬉しいが、北海道や東北チームのベンチで関西弁が響くヘンな時代でもある。四国の強豪と言えば高知の明徳だけれど、ここも完全に全国区だ。当然、私立優位が時代の趨勢、そういう時流に乗れず勝てないなら、勝たなくていいよ。
ただし、元気にやろうね、応援してるから!
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○ 孟軻敦素 史魚秉直
孟軻(モウカ)は素を敦くし、史魚は直を秉(と)れり。
孟軻は孟子、素すなわち人の素直な本性を大事にした。
史魚は遡って春秋時代の人、直すなわちまっすぐな心を固く守った。
孟子といえば「性善説」である。
性善説は性悪説よりも楽観的でヒューマンと思われがちだけれど、実はそう簡単でもないと、これは誰に教わったのだったか。
たとえば犯罪処罰について考えた場合、性善説の立場からは善なる人間は本来悪しきことを考えるはずがなく、その本性を捻じ曲げて罪を犯した人間は厳罰に値するという理屈も成り立つ。江戸時代の刑法思想は概ねこの線での「性善説-厳罰主義」に依っていたという。逆に性悪説に立てば、どだい人間には悪への性向があるのだから、悪事を根絶するのは無理な話で、ほどほどに抑制するぐらいが関の山という緩さにもつながる。
どちらも論理必然的な帰結ではなく、始皇帝が法家の性悪説にもとづいてむやみに厳罰を下したこと、前に出てきた。
「善-悪」の二項対立を超えて、人の性をより深く理解しようとする方向にものごとは進んできた。ただし、単純な二項対立に回帰しようとする傾向が、僕らの中にはいつもある。そのほうが分かりやすいからね。
それにつけても、佐世保の15歳少女には、いったい何が起きたんだろう。喉元まで上がってくる言葉があるが、さしあたりしっかり封印する。
まず理解に努めることだ。