散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

小さな煙突掃除屋さん ~ その2 コウノトリ

2014-07-20 09:07:43 | 日記
2014年7月20日(日)
 博士課程開設に伴い、土日の校務がまたぐっと増えた。御苦労様なことだ。
 礼拝に出ている時間がないので、日曜出勤までの手すさびに第2話。

***

 朝早く、屋根の上に光がさしはじめるが早いか、小さな煙突掃除屋さんはお仕事を始めます。大きなブラシで煙突をゴシゴシやって、きれいになると嬉しいのでした。合間にはカラスと目で挨拶したりします。一羽一羽よく知っているのです。小さな白い雲がうんと低く降りてきた時には、ふっと吹いて向こうへ押してやりました。そして煙突掃除屋さんは、しょっちゅうこんなふうに歌うのでした。
 「ずうっと下には大きな世界、上(ここ)にいるのは何て幸せ!」
 けれどもお昼ごろになると、小さな煙突掃除屋さんは少し疲れてきます。そこでいつも決まってお昼寝をするのでした。春のある日、煙突掃除屋さんが今しもアクビをしているところへ、コウノトリのお母さんが飛んできて言いました。
 「学校の屋根の上に、私たちの巣があるんです。」とコウノトリのお母さん。
 「小さな煙突掃除屋さん、お疲れの時はうちで横になるといいですよ。」
 二度は言わせず、煙突掃除屋さんはさっそく出かけて行って、コウノトリの雛たちの間に潜り込んで手足を伸ばしました。そこは申し分なく快適で、柔らかく温かく、小さな煙突掃除屋さんはすぐにも眠りに落ちそうになりました。
 そこへコウノトリのお父さんが帰ってきたのです。お父さんはたいへんな近眼で、おまけに眼鏡をかけていませんでしたから、煙突掃除屋さんを見ててっきり雛の一羽に違いないと思いました。
 なんとまあ、とお父さんは考えました、この子は真っ黒けじゃないか、一度ちゃんと餌を食べさせてやらなくちゃ、そうすればもっと綺麗になるだろう。
 そこでコウノトリのお父さんは、小さな煙突掃除屋さんのために、太った緑のカエルを1匹くわえてきました。
 「クチバシを開けて!」
 お父さんは号令をかけました。
 煙突掃除屋さんはぎょっとして縮みあがりました。といいますのも、カエルなどは決して食べたくなかったからです。
 「イヤです!」
 煙突掃除屋さんは叫びました。
 「イヤです!」
 その拍子にカエルはコウノトリのお父さんの口から落っこちて、跳びすさりました。カエルは悲しげに、煙突掃除屋さんに訴えました。
 「助けてください」とカエル。
 「私はクヴァーケフィックスと言って、カエルの仲間の大臣なのです。」
 そこで小さな煙突掃除屋さんは屋根から降り、哀れなクヴァーケフィックスを池まで連れて行ってあげました。カエルたちがみんな集まって来て、御礼の気持ちをこめて歌を歌ってくれました。クウォンク・クウォンク・クウェンク、クウォンク・クウォンク・クウェンク・・・
 小さな煙突掃除屋さんは胸がポカポカと温かくなりました。それから屋根の上に戻りましたが、コウノトリの巣で横になることはもう二度としませんでした。コウノトリの風習はいささか自分とは違うことを、今ではよく知っていたからです。

***

 今日も小さな裏切りがそこここに。それはさておき、

 Tief unten liegt die große Welt,
 Wie gut es mir doch hier gefällt!

 「ずうっと下には大きな世界、上(ここ)にいるのは何て幸せ!」
 こう訳した部分で思い出した。
 ワーグナー『ラインの黄金』フィナーレでは、宝を奪われたラインの乙女たちが、逆に川底から天に向かって嘆きの歌を歌う。

 Traurig und treu ist nur in der Tiefe,
 Falsch und feig ist was dort oben sich freut!

 忠実と誠はただ深みにこそ、
 高みでは虚偽と卑劣が栄えるばかり!

 むろん、上下が問題ではない。
 地上の世界を上から相対化するか、下から相対化するか、
 等しく異界からの挑戦である。


九州禹跡 百郡秦并 ~ 千字文 077/夏ありがたし

2014-07-20 07:27:03 | 日記
2014年7月19日(土)
○ 九州禹跡 百郡秦并
九州は禹(ウ)の跡、百郡は秦これを并(あわ)せたり。

 「中国を九つの州に分けたのは禹の功績であり、
百郡を併呑して中国全土を統一したのは秦始皇帝である。」
 実際には秦代の中国は三十六郡とされ、「百郡」は全土の意味らしい。
 禹は堯・舜につづく太古の王で、夏王朝を開いたとされる。
 今のところ夏は伝説の存在とされるが、殷も嘗ては同様の扱いだった。調査が進んで夏の実在が確認されるようなことがあれば、中国の歴史がまた長くなる。

 中国文明の三大発明とは何でしょう?
 漢字、中華料理、囲碁
 もちろん石丸説である。

***

 高校に入って野球を始めた三男の念願で、午後からグローブを買いに行った。ポジションが決まるまで先延ばしになっていたのである。
 駅で待ち合わせ、部の仲間のT君と一緒に出掛ける。T君は小学生の時から野球をやっていて、新チームでは投手兼クリーンアップの中軸が見込まれる。そもそも彼が教えてくれたその店は、中延駅そばの表通りに面していて、知る人ぞ知る店舗は小ぶりながら全て野球用品。店に入ると2年生の先輩が先に来て、真剣な表情で何か選んでいる。
 「健闘だったね、大善戦。」
 「ありがとうございます。」
 野球少年たちは概してマナーが良い。サッカーと比べても・・・というのは身びいきかな。
 H高校は例年になく戦力充実し、一回戦は10-0で5回コールド勝ちした。5回裏の攻撃で10点目が入った時、選手らがほとんど無言でホームベースの周りに集まり、応援の母親たちはしばらく何が起きたか分からなかったらしい。
 もう一点入ればその瞬間に試合終了と、選手らは当然知っていた。コールドで敗退する相手チームの気持ちを、誰言うともなく思いやったらしいのである。
 二回戦はそこそこ強いチームを相手に0-3、最終回には二死からヒット2本でチャンスを作り、最後はあわやスタンド入りという大飛球を惜しくも取られて夏が終わった。
 オールラウンダー商品もあるものの、グローブの望ましい形状は守備位置によって自ずと変わる。内野手用でも遊撃は、特に小ぶりで手に馴染むものが良いらしい。根っから野球好きらしい店員さんが3人、訊けば熱心に説明してくれる。
 野球少年のたまり場でもあろう、土曜の午後とて入れ替わり立ち代り、現れる子供らの輪郭が互いに酷似しているのがおかしい。揃って体がよく締まり、気持ちよく日焼けし、例外なく坊主頭である。T君と息子は身長もほぼ同じなので、制服姿で棚に向かっているのを後ろから見ると、区別がつかないぐらいよく似ている。
 店内のテレビでは、神奈川県予選を中継している。
 「負けた学校の下級生が来ますとね、何だかニコニコしてるんです。負けたのは悔しいけれど、これで三年生は引退だから、その日が下級生には晴れのスタートなんですな。それでグラブやスパイクを新調しに来たりして、嬉しいのも本当でね。」
 ごもっとも。話好きの年輩の御店主は、こうした子供たちを何十年も見てきている。
 1時間半近くも考えに考えて息子が選んだのは、鮮やかなレンガ色のS社のPという製品、T君が「オレもそれがいいと思ってたよ」とフォローを入れる。
 親爺が支払い、息子がペコリと頭を下げて商品を受け取る。
 「お父さんに感謝しなよ、グラウンドで活躍することが恩返しだからね」と御店主。
 「それにケガをしないことと」
 「そうそう、ケガ。何てったって、健康がいちばん大事だよ」
 子どもたち同様に短く刈り込んだ御店主の頭を見て、「石の健康」が持論の武宮正樹九段を思い浮かべた。

 買ったばかりのグローブは硬いので、これを手に馴染ませながら柔らかくしていくのが最初の嬉しい作業になる。大工道具箱から金槌を取り出して先端を布でくるみ、保革油を塗ったグローブを左手に嵌め、右手の金槌でパンパン叩いている。オールスター第2戦で藤浪と大谷が投げ合い、大谷が162kmを記録するのをテレビで見ながらパンパン、パンパン。
 自室の中でパンパンやってる音が、夜遅くまで響いていた。

 子どもらが野球にいそしむ夏ありがたし(昌策)

小さな煙突掃除屋さん ~ その1 作曲家

2014-07-20 06:07:22 | 日記
2014年7月20日(日)
 12の小品からなるオムニバスである。
 煙突掃除屋さん ~ この仕事自体、僕らの文化圏にはないものだが、ルック=パオケ言うところの「辺縁(Rand)」に生きる人々の、好個の象徴と思われる。
 常に屋根の上で働き、そこを訪れる人々や動物と出会いを結ぶ。
 出会いの相手は、順に、

 der Liedermacher
 die Störche
 die Großmutter
 die Kirchturmhennen
 der schöne Vogel
 (Der kleine Schornsteinfeger bekommt einen Orden.)
 (Der kleine Schornsteinfeger bringt Glück.)
 die Vögel
 das Äffchen
 der Regenbogen
 das Kätzchen
 der Fremde

 結びは、いみじくも Fremde だ。
 第一話はこんな具合.

***

 冬が過ぎたので、小さな煙突掃除屋さんはそこらの屋根をきれいに掃除して回りました。ほこりや汚れは好きではないのです。そしてあたりがすっかりきれいになると、屋根の上を室内履きのスリッパで歩くのでした。
 ですから、ある日、屋根の上が汚い足跡だらけになっているのを見つけた時には、それはびっくりしたのです。誰かが上がってきたに違いない、と煙突掃除屋さんは考え、その誰かを探しに出かけました。長いこと探し回った末、ようやく屋根の上に男の人がいるのを見つけました。その人は髭をたくわえ、静かに座っていました。
 「こんにちは」と煙突掃除屋さんは挨拶しました。
 「君、そこらじゅうをすっかり汚しちゃいましたね。」
 「しっ、静かに!」と男の人は言いました。
 「僕は音楽家なんです。」
 そこで煙突掃除屋さんは3分ほど静かにしていましたが、やがて我慢できなくなりました。
 「ここで何をしているんですか?」
 そう訊ねて、男の人の隣に腰をおろしました。
 「音楽を、聞き取ってるんです。」と男の人は説明しました。
 「つまり僕は、作曲家なんですよ。」
 そして彼は笛を唇にあて、曲を吹いて聞かせました。鳥がたくさん集まって来て、耳を澄ましています。
 「君、御存知ですか?」と作曲家が言いました。
 「音楽はどこにでもあるんです。ただ聞きさえすればいいんです。でも、地上は騒がしいから聞こえないんだ。だから僕は、屋根の上まで上がってきたってわけです。」
 「お越しいただいて、とても嬉しいです。」と煙突掃除屋さんは言いました。
 「汚い靴を履いて上がってきちゃったとしてもですね。」
 「聞いて!」と作曲家が囁きました。
 そして彼は煙突掃除屋さんにバイオリンを弾いて聞かせてくれました。
 二人は一日中一緒にいて、作曲家はいろんな楽器を演奏しました。ギターで爪弾く歌はとっても楽しく、二人は笑わずにいられませんでした。ハーモニカの調べには夢見心地になり、トランペットの響きは悲しくて不意に涙が流れました。二人はお互いの涙をふき合って、すっかりうちとけたのでした。
 まもなく小さな煙突掃除屋さんは、作曲家が何も演奏していなくても音楽が聞こえるようになりました。
 夜になって屋根の上には真ん丸なお月さまが浮かび、二人はお別れの挨拶を交わしました。
 「君に小さなメロディーをプレゼントしよう」と作曲家が言いました。
 「聞こえるかい?」
 小さな煙突掃除屋さんは目を閉じて、聞こえてくる音楽に耳を澄ましました。かすかな夜風が起き、フクロウがホウホウ鳴き、星がきらきら光り、木の葉がさらさら音をたてました。
 「ありがとう」と煙突掃除屋さんは言いました。
 そしてお返しに、自分のスリッパを脱いで音楽家にプレゼントしました。
 「この次は、これを履いてきてね。」
 作曲家は、そうすると約束しました。

 

 音楽を「聞き取る」は auffangen、
 「うちとける」としたのは verstehen、
 至るところに裏切りの種は転がっている。