2014年7月24日(木)
うさこさんが関先生のクラスで読んだという『影をなくした男』、さっそくアマゾンで取り寄せて読んでみた。(もちろん日本語、岩波文庫)
ネタをバラすなら、『ファウスト』と同型の物語である。悪魔が言葉巧みに男の影を買い取る。金は手にしたものの、影がなくては人間世界を渡っていけないことに気づき、悪魔を追い回して影を取り戻そうとする。それにつけこんで、今度は影と引き換えにお目当ての魂を手に入れようとする悪魔の誘惑を、主人公ぎりぎりのところで耐え忍び、人としての生を全うする。
『ファウスト』第一部公刊は1808年、第二部はゲーテ没の翌1833年である。シャミッソー『影をなくした男』(Peter Schlemihls Wundersame Geschichte 「ペーター・シュレミールの不思議な物語」)は1814年で、ほぼ同年代なのが面白い。ファウスト伝説そのものは中世に由来する古いもので、これを19世紀初頭にドイツ語圏の近代人が再発見することに、何か歴史必然的な意味があったんだろうか。
『ファウスト』はゲーテ畢生の大作、『影をなくした男』はシャミッソーが(たぶん)ずっと軽い気分で書いたものだから、力みかえって比較するようなことでもない。ただ、後者のうちにひとつ考えさせられるものがあって。
影のない人間が自分の周りにいたら、どう感じるか。
不気味、ないしは恐怖が標準的な反応というものだ。
影がないのは実体がない証拠だから「幽霊」「亡霊」「幻影」といった連想が働くし、そうした理論化以前に総毛立って怖気をふるうのが相場である。
しかしシャミッソーの描く登場人物は、ただの一人もそのような反応を示さない。その代わりに認められるのは顰蹙とか軽蔑とかいったもので、それゆえ主人公は身を屈して日の光を避け、自分が影をもたないことを秘匿せねばならないのである。
「きゃつめはすぐさま私に影がないことに気づいたのです。やおら大声で場末の腕白どもに告げだてしたものですから、連中は早速からかったり馬糞を投げつけたりし始めました。『ちゃんとした人間なら、おてんとうさまが出りゃあ影ができるのを知らねえか』」
「生まれながらにそなわっていた影をそんなふうにないがしろにする人には、しょせん(画家が影を描いてやっても)役立たずというものでしょう。影がなければお陽さまの下に出ないこと、それがもっとも利口で安全な策でしょうな」
「いったい、なんてことだろう、影のないおかたにお仕えしなくてはならないなんて!」
「召使ふぜいでもまともな人間でございましてね、影のない主人に奉公するのはまっぴらですよ。とにかくお暇をちょうだいしたいもので」
「まったく、なんてこった!そうだろう、むく犬だって影ぐらいはもっているというのに、大事な大事な一人娘のお相手が影のない男だなんて・・・。いや、もうあんな男のことは忘れよう」
いずれも同工異曲、主人公は「れっきとした市民なら当然もっているべきものを、不心得から失ってしまった恥ずべき人間」として、徹底的に表の社会から疎外されているのである。周囲の人間には「恐れ」などみじんもなく、仮借のない軽蔑と糾弾がすべての関係者に一貫している。例外は二人だけ、主人への同情と忠誠心からどこまでも仕え続ける従僕ベンデルと、愛ゆえに相手の大きな欠損を許そうとする娘ミーナのみであるのも、必然的な設定だ。
「影」は何の象徴だろうか?
それをなくしたものが市民社会でかくも疎外されるような何ものか・・・何であってもよいのだろう。
ハンセン病の患者、あるいは被差別民、僕らの社会の「影なき人々」としてまず連想したのはそういう人々だったが、むろんこの人々が影を失ったのは何ら彼ら自身の咎ではなく、社会の側が一方的に刻印を施したのに過ぎない。
訳者・池内紀氏「あとがき」によれば、この種の詮索は誰でもすることと見え、シャミッソーの個人的な事情と重ねて「祖国」と解されることが多かったという。
フランスの貴族の末に生まれたシャミッソーは、フランス革命によってフランスを追われ、ベルリンに難を逃れた。少年シャミッソーはフランス好きの公妃の小姓に召し抱えられ、やがてプロシア軍士官となって「ドイツ人化」していく。
1806年にはナポレオン戦争に駆り出され、ハーメルンの戦いで捕虜になるが、解放されるやベルリンではなくフランスに移ったのは「祖国」への郷愁ゆえと推察される。しかし故郷の城は廃棄され、親類縁者はこの「ドイツ人」に冷淡であった。遍歴の末、1812年(ナポレオンがロシアで大敗した年)には「選びとった故郷」であるベルリンに移り、その後はドイツ文化圏で植物学者として生涯を送ることになる。
しかし、彼のドイツ語は終生フランス訛りが抜けず、計数や詩作ではまずフランス語が口に浮かび、ついでそれをドイツ語に置き換えたという。haimatlos というドイツ語が思い出される。
シャミッソー自身は、「影とは何のことか」と繰り返し訊かれて閉口したらしい。1834年、本作第3版にはわざわざ序詩を書き、そこにこうあるという。
ぼくは生まれついての影をもっている
自分の影をなくしたりはしなかった
「影=祖国」はインパクトのある仮説だし、昨今かえって使いでのある寓意とも思えるが、あくまで一つの読み方に過ぎない。繰り返すが、これを何の象徴として読んでも構わないのである。
疎外は常に僕らの外にあり、内にある。
うさこさんが関先生のクラスで読んだという『影をなくした男』、さっそくアマゾンで取り寄せて読んでみた。(もちろん日本語、岩波文庫)
ネタをバラすなら、『ファウスト』と同型の物語である。悪魔が言葉巧みに男の影を買い取る。金は手にしたものの、影がなくては人間世界を渡っていけないことに気づき、悪魔を追い回して影を取り戻そうとする。それにつけこんで、今度は影と引き換えにお目当ての魂を手に入れようとする悪魔の誘惑を、主人公ぎりぎりのところで耐え忍び、人としての生を全うする。
『ファウスト』第一部公刊は1808年、第二部はゲーテ没の翌1833年である。シャミッソー『影をなくした男』(Peter Schlemihls Wundersame Geschichte 「ペーター・シュレミールの不思議な物語」)は1814年で、ほぼ同年代なのが面白い。ファウスト伝説そのものは中世に由来する古いもので、これを19世紀初頭にドイツ語圏の近代人が再発見することに、何か歴史必然的な意味があったんだろうか。
『ファウスト』はゲーテ畢生の大作、『影をなくした男』はシャミッソーが(たぶん)ずっと軽い気分で書いたものだから、力みかえって比較するようなことでもない。ただ、後者のうちにひとつ考えさせられるものがあって。
影のない人間が自分の周りにいたら、どう感じるか。
不気味、ないしは恐怖が標準的な反応というものだ。
影がないのは実体がない証拠だから「幽霊」「亡霊」「幻影」といった連想が働くし、そうした理論化以前に総毛立って怖気をふるうのが相場である。
しかしシャミッソーの描く登場人物は、ただの一人もそのような反応を示さない。その代わりに認められるのは顰蹙とか軽蔑とかいったもので、それゆえ主人公は身を屈して日の光を避け、自分が影をもたないことを秘匿せねばならないのである。
「きゃつめはすぐさま私に影がないことに気づいたのです。やおら大声で場末の腕白どもに告げだてしたものですから、連中は早速からかったり馬糞を投げつけたりし始めました。『ちゃんとした人間なら、おてんとうさまが出りゃあ影ができるのを知らねえか』」
「生まれながらにそなわっていた影をそんなふうにないがしろにする人には、しょせん(画家が影を描いてやっても)役立たずというものでしょう。影がなければお陽さまの下に出ないこと、それがもっとも利口で安全な策でしょうな」
「いったい、なんてことだろう、影のないおかたにお仕えしなくてはならないなんて!」
「召使ふぜいでもまともな人間でございましてね、影のない主人に奉公するのはまっぴらですよ。とにかくお暇をちょうだいしたいもので」
「まったく、なんてこった!そうだろう、むく犬だって影ぐらいはもっているというのに、大事な大事な一人娘のお相手が影のない男だなんて・・・。いや、もうあんな男のことは忘れよう」
いずれも同工異曲、主人公は「れっきとした市民なら当然もっているべきものを、不心得から失ってしまった恥ずべき人間」として、徹底的に表の社会から疎外されているのである。周囲の人間には「恐れ」などみじんもなく、仮借のない軽蔑と糾弾がすべての関係者に一貫している。例外は二人だけ、主人への同情と忠誠心からどこまでも仕え続ける従僕ベンデルと、愛ゆえに相手の大きな欠損を許そうとする娘ミーナのみであるのも、必然的な設定だ。
「影」は何の象徴だろうか?
それをなくしたものが市民社会でかくも疎外されるような何ものか・・・何であってもよいのだろう。
ハンセン病の患者、あるいは被差別民、僕らの社会の「影なき人々」としてまず連想したのはそういう人々だったが、むろんこの人々が影を失ったのは何ら彼ら自身の咎ではなく、社会の側が一方的に刻印を施したのに過ぎない。
訳者・池内紀氏「あとがき」によれば、この種の詮索は誰でもすることと見え、シャミッソーの個人的な事情と重ねて「祖国」と解されることが多かったという。
フランスの貴族の末に生まれたシャミッソーは、フランス革命によってフランスを追われ、ベルリンに難を逃れた。少年シャミッソーはフランス好きの公妃の小姓に召し抱えられ、やがてプロシア軍士官となって「ドイツ人化」していく。
1806年にはナポレオン戦争に駆り出され、ハーメルンの戦いで捕虜になるが、解放されるやベルリンではなくフランスに移ったのは「祖国」への郷愁ゆえと推察される。しかし故郷の城は廃棄され、親類縁者はこの「ドイツ人」に冷淡であった。遍歴の末、1812年(ナポレオンがロシアで大敗した年)には「選びとった故郷」であるベルリンに移り、その後はドイツ文化圏で植物学者として生涯を送ることになる。
しかし、彼のドイツ語は終生フランス訛りが抜けず、計数や詩作ではまずフランス語が口に浮かび、ついでそれをドイツ語に置き換えたという。haimatlos というドイツ語が思い出される。
シャミッソー自身は、「影とは何のことか」と繰り返し訊かれて閉口したらしい。1834年、本作第3版にはわざわざ序詩を書き、そこにこうあるという。
ぼくは生まれついての影をもっている
自分の影をなくしたりはしなかった
「影=祖国」はインパクトのある仮説だし、昨今かえって使いでのある寓意とも思えるが、あくまで一つの読み方に過ぎない。繰り返すが、これを何の象徴として読んでも構わないのである。
疎外は常に僕らの外にあり、内にある。
