2014年7月21日(月)
小さな煙突掃除屋さんは、屋根の上に上るといつでも幸せな気持ちになるのです。ここは自分の国、誰にも邪魔されることはないのですから。鳥たちに挨拶し、太い煙突をフッと吹き散らして、仕事にかかるのでした。
しかしある朝、小さな煙突掃除屋さんはとても不思議なものを見つけました。アンテナの先に絹の布がひっかかって、風にパタパタはためいているのです。
「ふむ」
小さな煙突掃除屋さんは首を振り振り考えました。
「何とも珍しいことだ」
二、三歩行くと、今度は靴が一足あるではありませんか。
「これはまた!」
小さな煙突掃除屋さんは驚いて言いました。
けれども、そこから煙突を五本過ぎて右へ曲がった時、そこで本当にびっくりすることにお目にかかりました。そこには、おばあさんがひとり、スリッパを履いて腰を下ろし、編み物針をカチャカチャ走らせていたのです。横には、黒い傘が立てかけてありました。
「これはほんとに驚きだ!」
小さな煙突掃除屋さんは、へどもどしながら挨拶しました。
「とっても素敵な朝ですね」
「はいはい」とおばあさんは言って、「22、23・・・」
編み目を勘定しているに違いありません。
「ここで何をしていらっしゃるんですか?」と小さな煙突掃除屋さん。
「これから朝ご飯を食べるところよ」とおばあさんは答えました。
「あなたも御一緒にどうぞ。」
そしておばあさんは、傘に手を入れて焼きたてのクロワッサンを取り出しました。
「ありがとうございます。」
小さな煙突掃除屋さんはお礼を言って、お相伴にあずかりました。
「私、百歳にもなったんですよ。」
カラスに餌をやりながら、おばあさんは言いました。
「ずっと地上で暮らしていたけれど、もうたくさん!下はとっても騒がしいんですもの、御覧なさいな。」
それからしばらく二人は下の方に目をやり、雑踏の中の車や人々を眺めました。
「誰か、お留守を寂しがっていませんか?」
「いいえ、ちっとも」とおばあさん。
「私のカナリアなら、こうしてちゃんと連れてきましたから。」
おばあさんは傘に手を入れ、鳥籠を取り出しました。
けれども小さな煙突掃除屋さんは、夜になったらおばあさんが凍えてしまうだろうと心配になりました。
「おばあさんたちは、地上にいるものですよ。」と煙突掃除屋さん。
「実際そういうものです。」
「誰のために?」
「女性たちのために」と小さな煙突掃除屋さんは言いました。
「昔ながらのお料理のレシピを、ほかに誰が教えてくれるんですか?」
「それなら、これで大丈夫!」
おばあさんは断言すると、傘に手を入れてレシピの束を取り出し、地上に向けて雨のように降らせました。
「でも子どもたちには、おばあさんってものが、どうしても必要じゃありませんか?」
小さな煙突掃除屋さんは、思いつきに駆られて言いました。
「ほかに誰が、子どもたちにお話をしてくれるんです?」
「ふむ」
おばあさんは考え込みました。
「あなたの言う通りだわ。こうして上から見てみると、子どもたちはまるでほったらかしじゃないの。ではまた会いましょう!」
そしておばあさんは、鳥籠を手にすると傘を広げ、地上に向けてゆっくりと宙を漂っていきました。
小さな煙突掃除屋さんは、何度も目をこすりました。
「目の錯覚だったのかな」と煙突掃除屋さんは考えました。
「ほんとのおばあさんなら、世界で一番すごいおばあさんだ!」
***
子どもたちが「ほったらかし」と訳したのは verloren、英語の lost に相当し、文字通りなら「失われた」だが、それでは日本語にならない。「道に迷う」「迷子になる」という意味もあり、これを比喩的にとればかなり近い感じか。
おばあさんの傘が、ドラえもんのポッケみたいで面白い。
傘といえばメアリー・ポピンズだけれど、彼女は傘には物を入れない。代わりに大きな謎の鞄をもっていて、そこから何でも出てくるのだった。
ドイツ家庭での祖父母の役割について、確か小塩節さんのエッセイで読んだ記憶がある。
両親の躾が厳格に偏りがちなドイツ流の中で、子どもの良さを発見するのが祖父母の幸せな役どころ、確かそんなことだった。
わが家の4人の祖父母にも、この点では大いに感謝するところがある。
小さな煙突掃除屋さんは、屋根の上に上るといつでも幸せな気持ちになるのです。ここは自分の国、誰にも邪魔されることはないのですから。鳥たちに挨拶し、太い煙突をフッと吹き散らして、仕事にかかるのでした。
しかしある朝、小さな煙突掃除屋さんはとても不思議なものを見つけました。アンテナの先に絹の布がひっかかって、風にパタパタはためいているのです。
「ふむ」
小さな煙突掃除屋さんは首を振り振り考えました。
「何とも珍しいことだ」
二、三歩行くと、今度は靴が一足あるではありませんか。
「これはまた!」
小さな煙突掃除屋さんは驚いて言いました。
けれども、そこから煙突を五本過ぎて右へ曲がった時、そこで本当にびっくりすることにお目にかかりました。そこには、おばあさんがひとり、スリッパを履いて腰を下ろし、編み物針をカチャカチャ走らせていたのです。横には、黒い傘が立てかけてありました。
「これはほんとに驚きだ!」
小さな煙突掃除屋さんは、へどもどしながら挨拶しました。
「とっても素敵な朝ですね」
「はいはい」とおばあさんは言って、「22、23・・・」
編み目を勘定しているに違いありません。
「ここで何をしていらっしゃるんですか?」と小さな煙突掃除屋さん。
「これから朝ご飯を食べるところよ」とおばあさんは答えました。
「あなたも御一緒にどうぞ。」
そしておばあさんは、傘に手を入れて焼きたてのクロワッサンを取り出しました。
「ありがとうございます。」
小さな煙突掃除屋さんはお礼を言って、お相伴にあずかりました。
「私、百歳にもなったんですよ。」
カラスに餌をやりながら、おばあさんは言いました。
「ずっと地上で暮らしていたけれど、もうたくさん!下はとっても騒がしいんですもの、御覧なさいな。」
それからしばらく二人は下の方に目をやり、雑踏の中の車や人々を眺めました。
「誰か、お留守を寂しがっていませんか?」
「いいえ、ちっとも」とおばあさん。
「私のカナリアなら、こうしてちゃんと連れてきましたから。」
おばあさんは傘に手を入れ、鳥籠を取り出しました。
けれども小さな煙突掃除屋さんは、夜になったらおばあさんが凍えてしまうだろうと心配になりました。
「おばあさんたちは、地上にいるものですよ。」と煙突掃除屋さん。
「実際そういうものです。」
「誰のために?」
「女性たちのために」と小さな煙突掃除屋さんは言いました。
「昔ながらのお料理のレシピを、ほかに誰が教えてくれるんですか?」
「それなら、これで大丈夫!」
おばあさんは断言すると、傘に手を入れてレシピの束を取り出し、地上に向けて雨のように降らせました。
「でも子どもたちには、おばあさんってものが、どうしても必要じゃありませんか?」
小さな煙突掃除屋さんは、思いつきに駆られて言いました。
「ほかに誰が、子どもたちにお話をしてくれるんです?」
「ふむ」
おばあさんは考え込みました。
「あなたの言う通りだわ。こうして上から見てみると、子どもたちはまるでほったらかしじゃないの。ではまた会いましょう!」
そしておばあさんは、鳥籠を手にすると傘を広げ、地上に向けてゆっくりと宙を漂っていきました。
小さな煙突掃除屋さんは、何度も目をこすりました。
「目の錯覚だったのかな」と煙突掃除屋さんは考えました。
「ほんとのおばあさんなら、世界で一番すごいおばあさんだ!」
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子どもたちが「ほったらかし」と訳したのは verloren、英語の lost に相当し、文字通りなら「失われた」だが、それでは日本語にならない。「道に迷う」「迷子になる」という意味もあり、これを比喩的にとればかなり近い感じか。
おばあさんの傘が、ドラえもんのポッケみたいで面白い。
傘といえばメアリー・ポピンズだけれど、彼女は傘には物を入れない。代わりに大きな謎の鞄をもっていて、そこから何でも出てくるのだった。
ドイツ家庭での祖父母の役割について、確か小塩節さんのエッセイで読んだ記憶がある。
両親の躾が厳格に偏りがちなドイツ流の中で、子どもの良さを発見するのが祖父母の幸せな役どころ、確かそんなことだった。
わが家の4人の祖父母にも、この点では大いに感謝するところがある。