散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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「雑役のおばさん」と「否定的現象」

2014-07-26 12:55:00 | 日記
2014年7月26日(土)
 『退屈な話』の原文は、A4で48枚ほどになる。
 ロシア語は今のところ暗号文と大差ないぐらい不可解だが、ただ眺めているだけでもわくわくする。
 地の文に会話の挟まるところを目印に、気になる箇所をさっそく拾い出してみる。
 変な間違いをすれば、T君がチェックしてくれるだろうから気が楽だ。

***

-- Ты бы, говорю, занялась чем-нибудь.
-- Чем? Женшияа может быть только простой работницей или актрисой.

 работницей、これが「雑役のおばさん」「女労働者」「日雇い」などと訳された問題の言葉である。
 辞書によれば、раб(ラプ)には「奴隷・被搾取者」の意味があり、работа(ラボタ)は「労働」である。カレル・チャペックの造語「ロボット」の語源でもあるものだ。
 работать は動詞で「動く」「活動する」「働く」
 работник は男性名詞で「働き手」英語なら worker、その女性形・造格が работницейである。
 だから「女労働者」というのは直訳として正しい。問題は含意である。
 チェーホフの時代のロシアで、女性の worker がどんなものであったか。カーチャがその言葉にどんなイメージを投影しているか、その読みが翻訳者の仕事になる。そのような一語の選択は、一時代一文化全体の理解に関わる難事なのだ。苦労が察せられる。

 とはいうものの、

 「女労働者」はこの作業の放棄に他ならない。これで済むなら翻訳家は要らない。
 「日雇い」って何だ?女性の日雇いにどんなイメージを重ねればいい?そもそも原語は単に「女性の worker」を表す言葉である。労働は肉体労働と考えていいだろうが、そこに日々雇用という意味は含まれない。これは乱暴というものだ。
 「雑役のおばさん」
 思い切った意訳である。これで良いかどうかは議論の余地があるけれど、これだけが真率に「翻訳」を試みている。「翻訳は裏切り」と承知のうえ、覚悟の踏み込みである。

 私案だけれど、これを「女工」としたらどうだろうか。
 『女工哀史』の日本とは異なる『退屈な話』の背景世界ではあるけれど、「女工」すなわち「女性工場労働者」の働きの場は、絹織物や機械製品の生産に限られたものではなかった。
 カルメンが掴み合いの大喧嘩をやらかしたタバコ工場、ムシュー・マドレーヌことジャン・バルジャンが経営しコゼットの母ファンチーヌが勤めた工場、そこで働くのが女工である。19世紀のヨーロッパでは至るところにそういう女性の働きの場が出現しつつあった。ロシア社会にも、当然そのイメージなり萌芽なりがあったはずである。
 むろん、カーチャの出自と所属階級を考えれば、彼女が「女工」として汗水たらして働くことなど事実上あり得ない。あり得ない選択肢しかないことをカーチャは主張する。あとは「女優」だが、それができない理由は物語の中で語られている。

 「女にできる仕事なんて、女工か女優ぐらいのものよ。」
 「それがどうした?女工になれないのなら、女優になりなさい。」

***

-- Николай Степаныч, ведь я отрицательное явление? Да?

「ニコライ・ステパーヌイチ、私って否定的現象ね、そうでしょ?」
「ニコライ・ステパーヌイチ、私はよくない女?そうでしょ?」
 
 отрицательное явление 
 отрицательное は「否定的・消極的」の意で、英語の「negative ネガティヴ」とよく重なるようだ。
 転じてこれを「悪い」と訳すこともできるけれど、「悪い」とか「性悪」とかを表す言葉は多々あるところへ、作者が他なぬこの語を起用した意図が重要だ。
 явление はなおのことで、「現象」「できごと」「出現」などと訳されるものを「女」とするのは、文脈次第であり得ることとしても、ここでわざわざそうする意味がない。
 生硬で学術用語めいた、即物的で温かみのない表現が、生身の人間であるよりも一個の現象、ないしできごと event に成り果てているカーチャの自己認識を辛辣に言い当てる。「否定的現象」とはよく言ったもので、それをそのまま訳出したのもファインプレイだ。
 「よくない女」では、全体が別の小説になってしまう。

 原文を見て、深く得心した。

初打席二塁打/朝刊から

2014-07-26 12:06:16 | 日記
2014年7月25日(土)
 猛暑、大げさでなく。
 昨日は日中36℃、エアコンの入った診察室も窓際はいつになく熱気がこもり、頭から陽炎(かげろう)が立つ感じだった。そのせいにもできないが、急な電話の対応に柔軟を欠き、自分で自分がいまいましい。
 夕方、まだのぼせ気味に最寄駅から歩いていたら、前を行くイガグリ頭がよく見れば三男である。二回戦惜敗で三年生は引退、今日の練習試合から新チーム始動だったはずだ。並んで歩き始めるや、嬉しそうに報告した。初打席を二塁打で飾ったというのである。
 ストレートを叩いて右中間を破ったと聞き、親バカ根性が動く。力任せに振り回してまぐれ当たりの打球なら、おおかたレフト方向に飛ぶだろう。良い当たりが右中間へ飛ぶのは、わきを締めてしっかり振り切った証拠だ。こいつ案外、センスいいかも・・・
 真新しいグローブを嵌めての遊撃守備では、いろいろ珍事があったらしい。二塁打の後の守備で帽子を忘れて駆け出し、守備練習の最後はショートが二塁塁上で捕球する決まりを知らずにボールがセンターへ抜け、仲間との呼吸もちぐはぐで話題満載の船出とや。それやこれやが、すべて後の思い出になるわけだ。

 健児らが白球を追う夏ありがたし

***

 愛媛県大会では済美が東温に1-4で敗れ、安楽の夏が終わった。
 先日、今治西を破った松山東は、南宇和に10-2で勝って4強入りしている。総じて県立校の活躍が目立つ状況で、それだけに甲子園では勝ち上がるのが難しかろう。
 それにしても各地の優勝風景が、判で押したように人差し指立てて大はしゃぎというのは、何とかならないかな。残心も奥ゆかしさもあったもんじゃない。
 桜美林時代の同僚のM先生は、かつて桜美林高校の野球部主将として春の甲子園に出場した。一回戦で決勝ホームランを打ち、ダイヤモンドを一周する間にベンチに向かってガッツポーズしたら、二回戦の試合開始前に主審からきっちり注意されたという。
 最近はずいぶんゆるくなったものだが、それでも全米高校選抜のマナーの悪さに比べたら、日本の球児らは天使みたいなものだ。

 このあいだ『日本百名山』のことを書いたが、今朝は天声人語がこれに触れている。
 深田久弥が富士山を「小細工を弄しない大きな単純」と表し、「幼童でも富士の絵は描くが、その真を現すために画壇の巨匠も手こずっている」と評したことなど。

 「ベストセラーって、普段は本なんか読まない人たちがつくってくもんですからね。いつも本に興味ないけど、一年に一冊ぐらいは何か手にしないとまずいと思っている。そういう人たちに、人気タレントやカリスマたちの『これにハマった』っていうのは効くんです。」
 「なるほどねえ・・・」
(『マイストーリー』第84回)

 以上、朝刊紙面から。