2015年8月29日(土)
セブ島へ、英語塾から一週間の合宿に出かけていた三男が、元気に楽しく帰ってきた。留守中にセントルイスのサラとスカイプで話す機会があり、「英語を勉強しにセブへ行ってるの?こっちによこしなさいよ!」と笑う場面があったが、これ、重要ポイントである。
英語には、英米人の母語の側面と、今日の国際語の側面がある。後者を実感し体得するには、案外アメリカよりもフィリピンのほうが良いかもしれない。きちんとした英語がきちんと話されているのは英米に違いないが、そこで一定のレベルに達しようと思うとハードルが高く不全感も起きやすい。少々あやしげな英語でも旅はできるし、現にそれで生きている人々もあり、何より自分らの英語が「使える」ことを実感するのが良いのだろう。あまり考えずに出してやったが、個性派の塾長が熱心に効を説いたのは、そのあたりだったようだ。
結果はおおむね図に当たったようで、東京からさほど遠からぬところに異次元世界を見たことが、相当うれしかったようである。ルームサービスは約束の時間に来ず、催促すれば返事はフレンドリーだがまるで信用ならぬ。タクシーは行きと帰りで料金が違い、土産物は値切るのが常識。街には多くの路上生活者があり、貧しい子らがいる。それらの「現在」に加え、歴史の問題がある。
1521年にマゼランが上陸した際に建てたとされる巨大な十字架がマゼランクロス、現在は八角形の堂宇に守られ、近くのサント・ニーニョ教会とあわせて観光名所になっている。もうひとつ、その近くに英雄ラプラプの像があるが、ここで解説が必要になる。
今度初めて知ったんだが、セブはセブシティとマクタン島が橋でつながった形になっており、1521年当時は別の「国」だった。マゼランが火器の威力を背景に服従と改宗を要求したとき、現セブシティ側はすぐに屈して王以下数百名が洗礼を受けたが、マクタン島の領主ラプ=ラプは改宗したセブ王への服従を唯一拒絶する。激怒したマゼラン麾下の兵が押し寄せるや、ラプ=ラプの一党は地の利を生かして奮戦の末、マゼランを落命させスペイン兵を撃退した。世界周航を達成したのは、エルカーノ以下の残存部隊である。
「ラプ=ラプはフィリピンでは侵略を防いだ英雄で、モニュメントの前面には『ラプ=ラプがマゼランを斃した』って功績を讃えてあるんだ。でも後面には、『マゼランがここで非業の最期を遂げた』って書いてあるんだよ。文字通り、表と裏で違う書き方がしてあるの!」
目を輝かせて語る三男の、この学びが何より貴重に違いない。教科書を読んだだけでは記念碑「裏」の見方しか伝わらず、ヨーロッパ側の歴史理解が中立客観的な事実として、無批判に落とし込まれることになる。足を運べばそれだけでこんな発見があるというものだ。
「旅をした者は、長く生きた者よりも多くを知る」・・・ごもっとも

ラプ=ラプ像 (http://nemototravel.com/joomla/images/stories/stories/tokushu/2013-7/image055.jpg)