散日拾遺

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2015年9月19日未明、安全保障関連法成立

2015-09-20 07:25:26 | 日記

2015年9月19日(土)

 海外の主要メディアが安保法成立をどう報じているか、昼のニュースの聞き流しなので記憶は甚だイイカゲンだし、自分で読んでみないと本来のニュアンスは分からないという注釈つきで。

 アメリカ(ワシントンポスト?): 自国が攻撃された場合に限定されていた自衛隊の活動範囲が大きく広がる。(当然、アメリカへの攻撃に対して共同で反撃することが期待・歓迎されているだろう。)

 イギリス(ロンドンタイムズ?): 具体的にどういう活動があり得るか、詳細に事例を挙げて紹介。(「例を挙げて説明する必要はない」と自民党副総裁が討論会で居丈高に突っぱねたのを、代わりに外国の新聞がやってくれたのである。日本の新聞もやって!)

 フランス(ルモンド?): 多数の憲法学者が違憲性を指摘していたから、最高裁が違憲判決を出す可能性がある。(そうなったら日本の司法の新時代だ。)

 中国(新華社?): 専守防衛を基本としてきた日本の政策の大きな転換点。(言っときますが、オタクの責任大ですよ。中国の露骨な軍拡と南シナ海での横暴がなければ、集団自衛をこれほど強調する必然性もなかったのだ。)

 それぞれの立場や関心が反映されてとても面白い。エスニック・ジョークにつながる面もあり、イギリス人が具体的事例で考えることは同国の判例主義(議会制民主主義や君主権制限の本場なのに、成文化された憲法がない!)や「ユーモア」の特性に通底するし、フランス人の法律・法制度好きは昔から有名である。

 

 街頭インタビューでは賛否両論のようだ。結構なことだし、マイクを向けられた人々が以前よりずっとハッキリ意見を述べるのも頼もしい。ただ、気になることが二つ。一つは国会審議のあり方などをめぐる手続き的な面への批判が意外に少ないこと。「集団的自衛権」支持派でも、この進め方にはもっと批判があって良いはずだ。何てったって民主主義は手続き的正義なんだから。

 もう一つは「国際情勢の変化」を理由として安保法の必要性を肯定する意見が案外多いことである。具体的には中国の脅威を指しているのだと思うが、これって微妙にポイントを外していないかな。日本の領海での中国との衝突を考えるなら、それはまさに「自国が攻撃される場合」にあたる。いっぽう、安保法の大争点は上記の米紙が報じるとおり、「自国(の軍隊)が攻撃されていない場合」の自衛隊の軍事行動にある。その自由度が拡大することは、尖閣問題で中国にクギを刺すことに必ずしも直結しない。直接影響を受けるのは米軍との関係で、首相が途中からひっこめた「ペルシャ湾の機雷除去」とか、紛争地域での駆けつけ警護とかはまだしも穏やかな例、悪くすると世界に展開する米軍の援護にいつでもどこでもお呼びがかかる可能性がある。さんざん議論されたのは、この点についてだったはずだ。

 そもそも昨今の国際情勢が、以前よりもひどく悪化しているとは僕には思われない。冷戦時代のほうがよっぽど深刻だったよ。ロシアン・ルーレットみたいなあの恐怖感を、皆もう忘れちゃったのかな。変化したのはむしろ米軍の優位性で、安保法成立を誰よりも喜んでいるのがホワイトハウスであることは間違いない。永田町はホワイトハウス東京ブランチであること公然周知なのに、「国民の生命と財産を守るため」という表看板を信用しちゃって大丈夫ですかと、落ち着かない気持ちである。

 

 ものは考えよう、まだまだこれからだ。 韮は今年も小さな花を凜々しく咲かせている。