2015年9月11日(金)
「荷物、少しよけてくれません?」
今朝は言っちゃいましたよ。2駅ほど前から、前の女性が背中に回した肩掛けバッグ(それも二つ)が、胸にあたって邪魔で仕方ない。すし詰めではないが、身をよけるスペースはないほどの混み方。御当人はスマホにうつむきこんで、回りが全く見えないという例の状況である。さりげなく荷物を押し戻すぐらいでは、反応もなければ気づきもしない。声をかけながら少々強めに押し返した。
返事はなく、ただ二つのバッグを体の前に持ち替える。それでもスマホは止めないので、どんな大事なことをしてるのかと思えば、肩越しに見える画面で色とりどりの飴玉みたいなのが忙しく動いている。最近よく見かけるゲームだ。
似たような場面が小一時間の電車移動の間に4回、5回、皆ほんとにどうかしている。いずれ何か恐ろしいことが起きるかと不気味でならない。既にじんわりと起きている訳だが、そうではなくてもっと具体的な何かが。何がどういう形でと言語化できないけれど。
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日曜日に読み始めた永井路子の『北条政子』、600頁近くの長さを感じることなく、するっと読み終えた。とても面白く読んだけれど、小説として好きかと言われると「?」がつく。女性の視点からの性描写が多くかつ濃密で、衣装の華やかさや自然の風景を描写する場面は目も彩に冴えている。その半面、人柄や成長過程の叙述は総じて粗く、全巻のクライマックスとも言える実朝暗殺のくだりなどは、公暁がそこまで踏み切った事情が、読んだ後でもはっきりしない。大きな事件が何となく起きてあっけなく終わり、「まあ! - 政子は声も出なかった」ぐらいの軽さで流れていってしまう・・・
文句が多いのはよくないね。これらのことは、この際どうでも良い。僕としては『金槐和歌集』がきっかけで気になった鎌倉幕府創始前後の子細が、少々アンバランスな形でもじっくり追えたから、実は文句ないのである。著者は時折、小説をつづる手を止めて歴史の解説をする。これが案外ありがたい。曾我兄弟の仇討ちの件なども、「美談」とする古い常識とは違って討たれた工藤祐経に理のあること、さらにこの「富士裾野巻狩事件」が巨大な政治的暗闘の一コマに相違なく、「仇討ち美談」が韜晦の口実に過ぎないことを記している。
永井さんは、『吾妻鏡』の背表紙がボロボロになるまで読み返したんだそうだ。あれは執権・北条家側から書かれた史書だから、勝者に都合よく資料が取捨選択され、時に書き換えられたりもする。読むにつれてそうした書き手の思惑がイヤになり、しかしあらためてそうした思惑そのものをヒントとして背後の史実を再構成する醍醐味を知るようになる。その過程で乳母(めのと)の制度がこの時代の政治力学において果たした役割を発見し、これは歴史学にも影響を与えたというから御立派だ。
乳母のカラクリを踏まえて見るなら、実朝の横死についての北条氏謀略説は全く成立しない。頼家の場合、乳母は比企氏で、乱行の二代将軍はほとんど比企氏の傀儡と化していたから、北条氏としてはこれを除かねばならない喫緊の事情があった。いっぽう実朝の乳母は政子の妹にあたる保子で、実朝は執政にあたって政子の弟・義時を大いに信頼していた。凶事の直前に義時が仮病を使って現場を離れたことから痛くもない腹を探られたが、三代将軍を害して乳母の一族に何のプラスもなく、この件ばかりは北条氏無実だというのである。この説の真否はともかく、紙背に徹する眼光をもって史書を読み込む読者としての根性に、拍手を送りたい気分である。
ついでながら、関東一円の地名・人名の由来が発見できるのが楽しい。千葉・稲毛・三浦・伊東など、いずれもこの時代に活躍した領主たちの在所の名であり氏の名である。以下のように、なじみの地名に曰くがつくのも面白い。
鷺沼: 頼朝の弟・全成(ぜんじょう)が、兄の挙兵を聞いて修行中の醍醐寺を抜け出し、ここでめでたく頼朝と出会った。
入間川: 人質として頼朝の許に置かれていた木曽義仲の長子・義高が、義仲敗滅後に脱出しようとして失敗し、そのほとりで斬られた。
愛甲: 頼家に弓を指南をした狩上手が愛甲季隆(あいこう・すえたか)。神奈川県に愛甲郡の地名あり、野球ファンは横浜高校で夏全国制覇し、ロッテで活躍した愛甲が懐かしいはず。
二俣川: 謀反の嫌疑をかけられた秩父の畠山一族が、このあたりで鎌倉勢と激突し、奮戦の末に全滅した。ただし現在の相鉄線・二俣川駅付近ではなく、もっと上流の武蔵野あたり。
そういえば、『徒然草』には宿河原(JR横浜線の駅名にある)が出てくるんだった。
実朝の歌が一首だけ『北条政子』に引用されている。
ゆきて見むと思ひしほどに散りにけりあなやの花や風たたぬまに (金槐和歌集 71)
祖父・義朝のために建てられた大御堂(勝長寿院)でよんだものだそうだ。現在の鎌倉市雪ノ下あたりだが、すっかり通りに埋没し往時を偲ばせるものは何も残っていない。