2015年9月8日(月)
自民党総裁選、野田氏が推薦人を20人集められず、安倍氏の無投票再選濃厚だと。自民党が変わったことをつくづく思う。歴史的に見れば戦前に鎬を削った政友会と民政党が合体した形で、保守系勢力の大合同の産物が自民党だった。英米式の発想なら、これを二つに割ってキャッチボールするのがお互いの精神衛生のためにも良いということになる。そうした政権交代の不在を代償していたのが自民党内部の派閥の拮抗で、それが健全だとは思わないけれども、ある種の安全弁の機能を果たしていたのは事実だし、柔軟さや多様さの供給源でもあった。
今やそれが全くなくなった。安倍氏に対抗するよりも、恩を売ってポスト安倍を狙う方が得策と、そのレベルで事が動いているのかな。高校の英語で statesman と politician の違いを教わったことを思い出す。概ね「政治家」と「政治屋」の違いにあたるものだが、安倍氏は少なくとも自身では強烈に statesman たらんとしており、それを politicians の群れが取り巻いているから始末が悪いのだろうと思う。「無投票は不健全」という野田氏の主張は正論で、それを言えるのが彼女だけという風景がつくづく寒い。
***
『千字文』、7月25日からまた放ってあった。
牋牒簡要 顧答審詳 ・・・ センチョウカンヨウ コトウシンショウですか。
牋牒はともに「ふだ」「かきつけ」だが、牋は個人の書簡、牒は官庁の公文書に用いることが多いのだと。いずれも簡潔に要点を書くのがよい、ごもっとも。
顧答は周囲を見まわしてから答えるの意で、「問に即答するのでなく、回りの様子を見てから答えるという謙遜した態度」とある。『千字文』の文脈では「謙遜」の美徳で語られるが、悪くすると「空気を読んで迎合する」ことになりかねない。どこかの党の総裁選と同じだよね。
審詳はいずれも「つまびらか」の意で、これがまた流行語大賞候補の「つまびらかには読んでいない」を想起させ、妙にタイムリーで可笑しい。「何を」つまびらかに読んでいないと言ったのか、それを忘れそうだ。「ポツダム宣言」だったね確か。率直に言えば、「ポツダム宣言」なんか「つまびらか」に読む必要があるかどうか、よく分からない。(ただし、プーチンには読んでほしい。そこには「日本が武力によって獲得した領土をすべて放棄する」と書いてあったはずで、千島樺太交換条約(1875年)その他で平和裡に日本領土となった島々を取り上げられる謂われはないのだ。北方四島はもとより、全千島が日本の領土だと主張することだって論理的にはあり得る。)安倍氏につまびらかに読んでほしいものは、他にいろいろとあるかと思われる。
「手紙や文書は要点を簡潔に、周囲を顧みて答えるときは詳しくわかりやすく」
本日の千字文本文である。