散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

椿事で始まった講演の一日

2015-09-22 10:17:12 | 日記

2015年9月21日(月)

 この日は埼玉県和光市の教会へ小講演をしに出かけた。話をもらったときは「遠っ!」と思ったのだが、実は東横線とナントカ線が直通しており、自由ヶ丘で特急に乗ると35分で和光市である。驚くまいことか。 「すべてを接続する愚」について何度か書いたが、今日は楽をした。ただし、だからといってこの方式が良いとは思わない。遠いところは遠くて良いのだ。小さな国土を広くしたいと思ったら、交通機関の速度を落とすに限ると言った人がある。

 その自由ヶ丘駅頭でのこと。

 時刻どおりにすべりこんできた特急が、正しく所定の位置に停車する。目の前のドアが開く直前、「ゴン!」という重い音がした。ドアに何かがぶつかったらしい。ドアが開くと、床に女性が倒れている。ぶつかったのはこの人の頭に違いない。座り込んでいるとか、ふらついているとかではない、完全にベタッと伸びちゃっている。

 大きな地声はこういう時のためにあるとばかり、「急病人です、倒れてます、駅員さんを呼んでください」と連呼する。皆こっちを振り返り様子をうかがう風だが、駅員を呼びに行く動きはなかなか起きない。誰かさっさと動いてくれないかな。「急病人です、倒れてま~す」とさらに連呼、電車から降りてきた大柄の女性が、「どなたか、非常停止ボタン押してもらっていいですか」と良く通る声で叫ぶ。これも動きがない。

 これが関西なら、とイライラするが、関西でなくて結果的に良かった。「あ、大丈夫みたいです」と先ほどの女性の声、今の今までべったりうつ伏せの大の字になってた黒いシルエットが、いきなり立ち上がって歩き出したのである。正確に言えば、歩き出したらしい。すっと立ち上がってすたすた行ってしまったので、倒れていた場所を振り返り、それからホームへ目を戻したときには、雑踏の中のどの後ろ姿が元・急病人なのか分からない。それほど素早い立ち直りだったのだ。「大丈夫みたいです」と僕もオウム返しに一声発し、これを逃したら講演に遅れる特急に乗り込んだ。

 駅員の姿はいっこうに見えない。誰か来たら事情を説明できるが、誰も来ない。代わりに車内放送が「急病人対応のため、発車を遅らせています」と、気の利いたような利かないようなアナウンスを流している。3分後、結局現場には誰も来ないまま、ドアを閉めて電車が動き出した。

 遠見からでは「急病」の本人は見えず(僕にも実は見えなかった!上半身に黒い衣類を着用した女性で、イヤホンを付けていたこと以外は、顔も何も分からない)、休日なのに仕事に出かける風のオジサン(=僕)が大声で騒ぎ、それに女性の声が重なったことしか分からなかっただろう。何だか自分が不審者になったようで、落ち着かない気持ちである。非常停止ボタンの女性も、気持ちを落ち着かせようとするようにスマホかなんかいじっている。やれやれ・・・

***

 講演はちょっとしたものだった。話の内容がではなく、触れ込みと違って130人もの聴衆が15だか25だかの教会や組織から集まったのである。シルバーウィークのさなかにこれだけの人を集める、アーモンドの会の動員力に一驚。そしてその中に、多数の当事者や家族が含まれている。

(続く)


希望

2015-09-22 09:29:39 | 日記

2015年9月22日(火)

 「被爆二世」さんからの追加コメントの一部を掲げておく。ブログへのコメントは皆にも見えるけれど、見落とされないか心配なので。お母様すでにご他界のこと、志が引き継がれて生き続けることを覚え、謹んで合掌いたします。

***

 先日、コメントに書かせていただいた内容に、戦後60年以上経って母の脳裏に焼きついた惨状を描いた絵なども貼り付け、知り合いの小学校の校長先生に読んでいただいたところ、印刷して六年生全員に配り、各クラスの担任の先生が読んで平和学習の教材として活用してくださることになりました。

 幼い頃、毎夏、平和祈念像にただ、ひたすら手を合わせる母を真似て、手を合わせるしか出来なかった私が、今は亡き母の平和への祈りを子供たちに伝えることが出来る喜びと、母のように、思いやりがあり、自分の幸せだけを考えるのでなく、人に勇気を与えられる人に一歩近づいたように感じて、少し誇らしく思います。

***

 週末、斉木画伯が都美館展あけの作品を送ってくれた。実は35年前に彼女の作品を一枚もらい受け、以来ずっとわが家の玄関に飾ってあったのだが、御本人は覚えていないらしい。フーちゃん見てますか?思い出した?この絵のタイトルは何というのだっけ。

 僕が譲り受けた2点は、不思議にどちらも「赤」の使われていないものでした。画伯の作品としてはレアもの、将来高値がつくぞ~

 

  斉木章代 1980

 

  同 2015 「希望1」