散日拾遺

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S/Tと原爆文書

2015-09-15 07:46:03 | 日記

2015年9月14日(月)

 タイに84歳の男性S/Tがいる。父は日本人で戦時下に情報収集にあたっていた。母はタイ人である。1931年生まれのS/Tは、1945年当時14歳だった。日本軍の少年兵として訓練を受け、幸い一身は無事だったが戦後は旧・日本軍属として幼いながら収容もされた。父は追及を予測して身をくらまし、S/Tは日本へ戻る道があったけれども母を支えることを選んでタイに残った。しかしS/Tの自己規定は「日本人」であり、父系血統主義の観点からは紛れもなく「日本人」である。

 長ずるに及んでS/Tは日本の国籍を取得しようと考えた。上記の経緯からすれば「取得」というより「確認」というべきであろう。少年兵として活動した記録その他の必要書類を整えて日本当局に申請し、辛抱強く回答を待った。おそろしく長い時間(僕の聞き間違いでなければまる10年)待たされた末の回答は「否」、理由は「戸籍謄本に記載がない」という仰天するようなものであった。

 S/Tは祖国に捨てられたと感じ、一時は自殺も考えたが、やがてタイ人として生きることを決意した。あらためてタイの国籍を取り、写真撮影や児童福祉などを事としながら、84歳の現在もタイで活躍している。そんなS/Tの存在が、タイで注目を集めつつある・・・確かそのような朝のラジオの内容だった。

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 半年に一度の消化器内科のフォローアップを受けに母校の付属病院へ。エコーと血液検査の結果は問題なく、御茶ノ水から坂を下る。先週買った右膝のサポーターが具合良いので、左膝の分も求めていくが、売り場のレイアウトが変わっていて商品が見つからない。先週アドバイスをくれた女性店員がいた。声をかけたらすぐに思い出し、笑顔で案内してくれた。

 ついでに廻った書店では、目当てのものが見つからず、目についた新書を2冊。

 『戦争と読書 ~ 水木しげる出征前手記』(水木しげる/荒俣宏、角川新書)

 『アメリカの戦争責任 ~ 戦後最大のタブーに挑む』(竹田恒泰、PHP新書)

 水木さんは凄い人で、彼自身既に妖怪の相がある。竹田恒泰という人の主張の全体はよく知らないが、原爆投下に関しては僕の言いたいことを、ほぼすべて言ってくれているようだ。さらに知らないことが山ほど書いてある。たとえば、ぱらぱらめくった頁に、以下のような記載がある。(P.44-45)

 「日本政府が、長崎に原子爆弾が投下された翌日の昭和20年(1945)8月10日、中立国のスイスを通じて「米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文」をアメリカ政府に発したことは、今日あまり知られていない。

 (中略A)

 しかし、この政府見解は戦後に大きく転換することになる。昭和38年(1963)の原爆裁判で、日本政府は次のように主張した。

 (中略B)」

 中略部分がもちろん重要なのだが、今は転記する時間がない。要は、原子爆弾の非人道性と、従来のアメリカの主張との齟齬を指摘糾弾し、即時放棄を要求した文書Aに対し、原爆が「日本の降伏を早め、交戦国双方の(より多くの)人命殺傷を防止する結果をもたらした」ので、その投下が「国際法上違反であるかどうかは何人も結論を下し難い」とするのが文書Bである。

 日本の政府とは何なのだろうか。国民を守り国民のために弁ずるという意味ではAの方こそまともであり、Bはまるっきり国民を裏切っている。(核兵器に対する一般的な評価の観点からしたってそうだ。)「国体」護持のために民を切り捨てて顧みないという「国」の本質は、戦後になって多少とも改善されたかどうか。アメリカという大ボスの意を迎える点では、むしろ悪くなっているかもしれない。それはS/Tの申請を無下に却下してのける「役所」の心性と決して無関係ではない、同根とすら言えることである。国とは何なのか、何のために存在し、何のために権力を委ねられているのか、そのような超基本理解に関わる問題だ。

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 好天、3週間ぶりに平川門から桜田門まで皇居を半周。3,440歩は前回より60歩ほど少ないばかりで、どうやら70糎が今の僕の歩幅らしい。道向こうの国会前では安保法案糾弾の声が上がり、大量の警察車両が道路脇を固めている。

 S/Tも原爆文書も現政権に直接責任のあることではないだろうが、「国」の本質はそれらを通じて現在まで一貫する。少なくとも、多くの日本人がそのように直感・確信している。

 「国民の生命財産を守るため」などと聞かされて、手が唇経由で眉に向かうのはあまりにも当然である。