散日拾遺

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「しのぎ」の歌 / 実朝と公曉、北条義時

2015-09-05 07:27:38 | 日記

2015年9月4日(金)

 昨日「しのぎ」にこだわっていたら、今朝の電車の中で『金槐和歌集』にこの言葉を見つけた。

  足引の山とびこゆる秋の雁いくへの霧をしのぎ来ぬらむ (233)

 雁を見あげて讃仰し、またねぎらう歌である。エスキモー、ではないイヌイットというのか、『カラスだんなのお嫁とり』に繰り返し出てくる「手ばたき山」伝説を思い出した。「しのぐ」という言葉は、こういうふうに使うのか。

 その少し前にある下記の歌が印象的である。結句の体言止めが少しもどかしいようだけれど、全体から伝わる清冽あるいは凛烈の気がとてもよい。

  鳴きわたる雁の羽風に雲消えて夜深き空にすめる月影 (227)

 もうひとつ、数頁後にあるこの一首

  大かたに物思ふとしもなかりけりただ我がための秋の夕暮れ (264)

 ありがちの共感を拒絶し、「ただ我がための夕暮れ」と歌う実朝の心情がひどく新しく、親近感を覚えさせるが見当外れだろうか。賀茂真淵が「かく様に古歌をとりなす事まだはじめの事なり」と評している。このあたりが僕の歌知らずで、とりなされた古歌とはどれのことだがすぐに見当がつかない。

 「秋の夕暮れ」の歌は意外に新しいと指摘したブログ(百人一首 あら・か・る・た http://www.ogurasansou.co.jp/site/karuta/081.html)があり、それによると『古今集』には見当たらず、 『後拾遺集』にある下記が最古ではないかという。

  さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕 (七十 良暹法師)

 あるいはこれを念頭に、「いづくも同じではない」と主張したものだろうか。あ、違う、こっちか!

  月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど (大江千里 『古今集』秋上・193)

 「いんや、我が身の秋は一つだけ」と言ってるのだ。そう?

 ともかく「しのぐ」の語を見つけたことが嬉しくて、スマホ族の迷惑行為も今朝はあまり気にならない。

***

 それにしても実朝の横死は痛ましく、またあまりにも謎めいている。同時に暗殺されるところを「体調不良」と称して公務を欠席し難を逃れた北条義時は、甥の実朝を見殺しにした形である。その際にどこまでの見通しと作為をもち、姉であり実朝の実母である政子との間にどのような協調と反目があったのか、古来の政変の中でもきわだって謎が深く薄気味が悪い。

 実行犯である公曉という人物の異様さが、また妙に今日的な猟奇さをもっている。頼家の子で実朝には甥だから、この「事件」のひとつのキーは二組の叔父・甥関係ともいえる。(どちらも「伯父」ではないことに注意。)さらに公曉は実朝の養子でもあった。その性の狂暴は疑いのないところで、公曉とその太刀持ち(公曉はこれを義時だと思っていたらしい)を討った後、実朝の首を切り取って持ち去り、帰宅後は狂喜して食事の間も手放さなかったという。

 「親の敵はかく討つぞ」との掛け声は、愚かしくも実朝を頼家殺しの下手人と誰かに吹き込まれたことを信じていたのだろうが、愚昧というよりは進んでその虚報に乗ったのではないかと思われる。というのも、乳母夫の三浦氏に「今こそ我は東国の大将軍なり、その支度せよ」云々と確信をもって言い送っており、実朝と義時を除けば自ずと自分の天下になると思っていた節があるからだ。(むろん、これらの資料が正しいとしての話だが。)父親の仇討ちなどは従に過ぎず、もって生まれ大きく育った権力欲と攻撃衝動が、和歌好きの貴公子然とした叔父の中に格好の標的を見出したと考えた方がわかりやすい。それならば、普遍的であり現代的もある人物像だ。

 こんな輩であれば、狡猾を極める北条氏ならずとも排除するに躊躇はなかろう。かくて源氏の血統はあっけなく絶える。実権を握った北条氏はもともと平氏なんだから話はよくできている。それもこれも頼朝のあまりに無慈悲なやり方の報いと言ったら、『平家物語』の筆法に染まりすぎているかしらん?

 実朝/公曉の件、文学作品なら何がいいだろう?『北条政子』(永井路子)ですか?他にないかな。