散日拾遺

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タラヨウの葉裏に刻む謹賀新年

2024-01-01 09:17:43 | 花鳥風月
2024年1月1日

 母は樹木を好んだ。木というものの堂々として忍耐強く、多くの命を養うところに憧れていたのではないかと思う。
 好きこそものの何とやらで、そこそこ詳しくはあったが、時に思い違いのあるのは致し方のないところ。縁側近くに聳えて庭の中央に影を落とす喬木を、母はタイサンボクと呼んでいた。草花や木々に関する知識の総量では及ぶべくもない自分が、これに一抹の疑問を抱いたのは他でもない、通った高校の校章にタイサンボクがあしらわれ、校舎の正面玄関脇にその大木があったからである。艶やかで大きな葉の質は確かに似ているが、葉の形はやや違っている。何より、タイサンボクなら梅雨の頃にぽっかり大きな白い花を咲かせるはずであるのに、わが家のそれは微細な花が綿の塊のような塊をいくつも作ってみせる。
 この件、いつか決着をつけたいと思いながら先送りになっていた。かつては見あげる高みの花盛りに無数の昆虫や小鳥までが寄っていたが、数年前に気まぐれな庭師が頂をずんど切りにし、残った高さが中途半端で花も咲かないので、もう一段切り詰めるよう三男に頼んだ。大男に育った彼の二日がかりの奮闘を眺めながら、切り落とした枝の写真を Google の無料検索にかけて出てきた答は…
 「タラヨウ」
 何?と父が聞き直したのは耳が遠いせいではない、恥ずかしながら自分もさらに聞き覚えがない。以下 、コピペ:

***

 タラヨウ(多羅葉、Ilex latifolia)、モチノキ科モチノキ属の常緑高木。日本の本州静岡県以西、四国、九州と、朝鮮半島、中国に分布する。山地に生え、寺院によく植えられる。
 和名「タラヨウ」の由来は、先の尖ったもので葉の裏側に文字を書くと黒く跡が残る性質が、インドで仏教の経文を書くのに使われた貝葉の原料であるヤシ科のタラジュ(多羅樹、Corypha utan)と同様であることに由来する。中国名は「大葉冬青」。
 日本では葉の裏面に経文を書いたり、葉をあぶって占いに使用したりしたのが、寺社に多く植樹されている所以。 葉の裏面を傷つけると字が書けることから、戦国時代にこの葉の裏に文字を書いて情報のやりとりをしたともいわれる。これが「葉書」の語源になったとの説があり、「葉書の木」「郵便局の木」と呼ばれ、東京中央郵便局の前などにも植樹されている。

武蔵府中郵便局(Wikipedia タラヨウ から)

***

 葉の裏側に字が書ける?
 これは面白いことを聞いた。色めき立ってさっそく実験してみる。

   

↑ 切り落した枝から青々した葉を拝借し
↓ 一枚選んで竹串の尖った先で字を書くと

 



 引っ掻き跡が、みるみる黒線として浮かび上がってきた。
なるほどこれなら手紙も経文も書けたことだろう。

ということで、新年の御挨拶


 
Ω 


1月1日 リンカーン

2024-01-01 08:19:30 | 日記
2024年1月1日(月)

  晴山陽一『新版 365日物語 上巻: すべての日に歴史あり . Kindle 版』

1月1日 リンカーンが奴隷解放宣言を行う

> リンカーンは「奴隷解放宣言」を発布することによって、南北戦争を独立戦争から「人権のための戦争」に変え、北軍に大義名分を与えることに成功したのである。

 大義名分は便利な言葉、英語では何と言うのだろうか。
 戦争の真の「原因」として、プランテーションで栄えていた南部と工業の発達しつつあった北部という経済事情の違いがあり、それが奴隷制労働の維持か都市労働者の創出か、あるいは保護関税主義か自由貿易主義かといった尖鋭な対立点を産んだことが指摘される。
 ゲティスバーグの戦場を訪れてみて、強く実感したのは第三のポイント。つまりアメリカ合衆国 the United States を構成する個々の州 state は、合衆国を離脱する権利をもつかという点である。南部諸州が合衆国からの脱退を宣言したのが1860年の事態の始まりであり、合衆国政府が「去る者は追わず」という態度をとったなら、新生アメリカ連合国 the Confederate States of America とアメリカ合衆国 the United States of America が「平和共存」する可能性も理論的には存在していた。リンカーンはこれに "No" の決断を下し、その結果、アメリカの一体性とアイデンティティを守った大統領として記憶されることになる。
 ゲティスバーグ古戦場の一郭に「永遠の火 平和記念碑 Eternal Light Peace Memorial」と呼ばれるモニュメントがある。1938年、フランクリン・ルーズベルト時代に置かれたものである。


 土台に記された言葉が写真ではほとんど見えないが、1994年に訪れた時は夏の陽を受けて浮き彫りになって見えた。
 "Peace Eternal in a Nation United." というのがその言葉である。うっかり"Peace Eternal" ばかりに目が行きそうだが、後半こそがアメリカとアメリカ人にとって重要だった。この国、この国民は一つであって、未来永劫その中で戦うことはすまいという決意の表明、上記第三のポイントが我々には見えにくいが、彼らには最大の意義であり教訓でもある所以である。

 調べていて初めて知ったが、第二次世界大戦終結翌年のパリ平和会議直前に、大統領トルーマンがこんなことを述べたという。
 "That is what we want, but let's change that word "nation" to "world" and we'll have something."
 その約一年前にトルーマンが下した決断を考え合わせ、真に複雑。

Ω