2024年1月3日(水)
愛媛新聞という地方紙がなかなか面白く、帰省の楽しみになっている。現在連載中の小説は、『家康、江戸を建てる』の門井慶喜氏に依る『ゆうびんの父』、表題が示すとおり前島密の伝記である。
その295回(2024年1月3日掲載)から:
「午後七時までに絶対に到着しろって脚夫に言っても、脚夫にすれば、着いても手紙は放りっぱなしだ。そんな時間じゃあ手紙をさらに ー 大阪なら大阪市内のあちこちへ ー 配るのは翌日になっちまいますからね。なら八時でも九時でもおなじじゃないうかって思っちまったら、時間厳守をやる気がなくなる」
「当日内に配れるだろう」
「配れませんよ、谷津さん。宛所は夜目じゃわかりません。坊主だって通夜へ行くときは線香のにおいを頼りにするんだ」
「ふーむ」
歯切れ良い会話である。
うろ覚えだが、確か司馬遼太郎が書いていたこと。倒幕後、維新政府は首都を江戸から大阪に移す計画を当初立てていた。旧体制の影響力の強く残る江戸を避け、天皇の在所である京都近くに首都を置くのは自然な発想である。
ところがある晩、大久保利通邸に投げ文があった。新政府の首都は東京にすべしとそこにある。大阪は確固たる経済の中心地であり、放っておいても繁栄する。いっぽう江戸は政治都市として徳川が築いたものであり、首都が移れば衰退せざるを得ない。そこに生ずる親徳川的な百万の流民は新政府を覆す力になるであろう。依って首都は東京になければならないという。
一読して意義を悟った大久保が方針を転換し、江戸改め東京が日本の首都と定められたと、だいたいそんな内容だった。
その投げ文の主が前島密である。天保6(1835)年 〜 大正8(1919)年、越後出身。郵政の父として知られる他、鉄道敷設や新聞、海運事業などの重要性を次々に説き、ロジスティックスの雄とでも評したい見識家である。視覚障害者への教育にも尽力するなど教育にも目を向け、早稲田大学の建学に深く関わって第2代校長を務めた。
徳川幕府の最末年に「漢字御廃止之議」を将軍慶喜に奉ったことだけは結果から見ていただけないが、これも国民の教育水準を速やかに引き上げたいという実践的な意図の現れであることは疑いない。「公共の利益」という言葉が、この人物においては善なる流れを体現している。
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