散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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1月5日 ジェームズ・ワット

2024-01-05 19:44:15 | 日記
 晴山陽一『新版 365日物語 上巻: すべての日に歴史あり . Kindle 版』

1月5日 ワットが蒸気機関の改良の特許を取る

> 1769年1月5日、イギリスの技術者ジェームズ・ワットは、 ニューコメンの蒸気機関を改良し、 特許をとっ た。(中略)これらの発明により、 鉱山の排水をくみ上げる道具に過ぎなかった蒸気機関は、 紡績機や蒸気機関車へと発展していくのである。
 
 『ぽんこつ』のある部分にからんでみたが、作品そのものをくさす意図は少しもなく、それどころか描かれた人々も時代も実に生き生きしているのに一驚する。ぽんこつ屋の「まけとし」こと熊田勝利は、「人さまとの応対だと、トンチンカンなことばかりやってるけど、機械さえいじらして置けば、なかなか確かなもの」と雇い主が請け合うような機械の虫で、今でいうならコミ障の機械オタクというところかもしれない。昔からいたこの種の人びとがすっかり生きづらくなってしまっているのである。
 この勝利が、お育ちのいい女子学生二人を相手に持論を開陳するくだり:

 「これからの機械文明ちゅうもんは」
 …勝利は水が流れ出したように、かねてからの所信(?)をひれきしはじめた。
 「電子工学がまず、えらい進歩をするんや。昔機械というもんが出来た時に、何とか革命というものが起こって」
 「産業革命でしょ」
 美沙子が言った。
 「そうや。その産業革命がおこって、人間の腕や足の力のかわりを機械がやるようになった。なんぼ力の弱い男でも、機械のあつかい方さえよう知っとったら、指一本で何トンもある機関車走らせたり、二万トンもある船動かしたり出来るようになったんやろ?ところが、今度は何がおこりよるかと言うたら、電子工学の進歩で、機械が人間の頭のかわりするようになる、知ってますか?(中略)外国語をどんどん日本語に翻訳して出す機械も出来とるんや。僕みたいな頭の回転のおそい人間にはありがたいことや。力の弱い人でも重い物動かせるのと同じように、頭の悪い人間でも、機械の扱い方だけ勉強しといたら、どんなむつかしいことでも、機械に考えさせたらええんやからな。電子頭脳というものは、まだまだ進歩するわ。自動車かて、いつかも僕が言うたでしょう。今に、太陽電池か原子力か、とにかくガソリンとは別のもん燃料にして、電子頭脳のロボット操縦装置で、ハンドルなんか無しで走るようになるにきまってる。僕らは、今からその時のことよう考えて、機械にできるだけしたしまな、嘘ですよ」
 美沙子はあくびをした。
(『ぽんこつ』ちくま文庫版、P.215-7)

 AIに電気自動車に自動運転、主人公勝利の、ということは作家阿川弘之とその情報源が、正しくも「今に」と予測したことが、60余年後にようやく現実となりつつある。これは遅いか、それとも早いか?
 現在は第四次産業革命の真っただ中、第五次産業革命を望む時代だというが、それらが意味することすら自分はよく知らずにいる。熊田勝利、アッパレの条。

Ω

二十四節気 小寒

2024-01-05 19:12:20 | 日記
2024年1月5日(金)


 小寒 旧暦十二月節気(新暦1月5日頃)
 小寒は「寒気がまだ最大までいかない」という意味ですが、すでに冬の真っただ中で、寒さもかなり厳しい時期です。
 大寒の頃よりも、むしろ小寒の頃に寒さが厳しい年もあるようです。
 この日からが「寒の入り」で、節分までの約30日間を「寒の内」とよび、もっとも寒さが身にしみる頃となります。
(『和の暦手帖』P.98-99)

***

 昨日の便で東京に戻ったが、2日の事故で羽田が混乱しており、搭乗機が松山に到着しない。途中の飛行でかなり挽回したものの、今度は羽田の混雑でなかなか着陸許可がおりず、結局2時間半の遅れとなった。
 この状況だから飛んでくれれば十分というもので、不満などありはしない。現に僕らの次の松山‐羽田便は欠航である。明けて今朝は冬の晴天、中央線の阿佐ヶ谷前後では、純白の富士山を数秒間だけ望むことができるのだが、見回しても自分以外に気づく人のないのはいつものことである。
 若者よ、スマホを捨てて街に出でよ!

七十二候
 小寒初候 芹乃栄(せりすなわちさかう)  新暦1月5日~9日
 小寒次候 水泉動(しみずあたたかをふくむ)新暦1月10日~14日
 小寒末候 雉始雊(きじはじめてなく)   新暦1月15日~19日

 そういえば今回の帰省ではキジの姿を見なかったが、鳴き声は確かに聞いた。
季節を問わず毎度耳にするように思ったが、そうでもないのだろうか。
 昨年は年明けを告げるように開花した蝋梅が、今年は30日頃からちらほら開いたが、香りを放つほど咲きそろったのは2日あたりのことだった。北国ではきっといくらか遅いのだろう。
 咲けよ香れよ能登の蝋梅!

Ω


1月4日 アルベール・カミュ

2024-01-05 07:48:16 | 日記
 晴山陽一『新版 365日物語 上巻: すべての日に歴史あり . Kindle 版』

 1月4日 作家アルベール・カミュが事故で亡くなる

> 1960年1月4日、フランスの作家アルベール・カミュは、出版社を経営する甥が運転する車で事故に遭い、四十六 歳の若さで亡くなった。車に同乗していた四人のうち、助手席に乗っていたカミュだけが 助からなかった。
> 1913年、当時フランス植民地のアルジェリア生まれ。二十九歳で世に出した小説『 異邦人』(1942年刊)により、不条理の哲学を若い知性で描いた作家として一躍人気を得た。1957年、史上最年少でノーベル文学賞受賞。「鋭い真摯さを持って、人間の意識に投げかけられる今日の諸問題に光を当てた」というのが授賞理由だった。

 コロナ禍の当初、カミュの『ペスト』がリバイバル・ブームを呼んだことがあった。「勘違い」による盛りあがりとも評されたが、そうでもなかろう。ペストとCOVID‐19の単純な連想に由来するものだとしても、感染症そのものについて知りたければ別のジャンルを探すはずである。パンデミックの寓意について各々思いを致すにつれ、作家の手の内への興味を搔き立てられたに違いない。
 医師リウーの姿はいくらか記憶に残っている。『異邦人』はあまりピンと来なかったが、『シーシュポスの神話』の著者というだけで個人的には十分である。
 
 「もはや支配者をもたぬこの宇宙は、かれには不毛だともくだらぬとも思えない。この石の上の結晶のひとつひとつが、夜にみたされたこの山の鉱物質の輝きのひとつひとつが、それだけで、ひとつの世界をかたちづくる。頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに十分たりるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ。」
『シーシュポスの神話』清水徹訳、新潮文庫版 P.173

***
 2024年1月4日(木)
 午後の便で帰京。羽田空港の混乱で使用機の到着が遅れ、着陸時には羽田上空で待たされ、つごう2時間半遅れたが、1月2日の事故の直後なれば飛んでくれただけありがたい。僕らの次の便は欠航になっている。
 おかげでカミュならぬ阿川弘之の『ポンコツ』が400頁近くまで読めた。軽妙な昭和のラブコメであるが、主人公らの生い立ちは明るいばかりのものではない。ヒロインの和子は作品冒頭で兄が自動車事故で即死する ー カミュと同じ運命、しかも読売新聞に連載された『ぽんこつ』が単行本化されたのは、カミュが死んだ1960年である。ヒーローの勝利は1945年3月10日未明の東京大空襲で両親を失い、孤児(みなしご)になった大阪の伯母に育てられた。
 今の流儀で言えば、いずれも深いトラウマを負っているというわけだが、そうした暗さは小説には少しも描かれない。そこから二方向に感想が流れていく。一つはその時代の、あるいはその時代までの日本人は何と打たれ強く、健気だったかという讃仰の念。いま一つは、それにしても死のことや喪失のことが、作中にあまりに扱われなさすぎるのではないかという怪訝な気持ち。
 たとえば勝利と和子が「どぜう」をつつきながら、符牒のやりとりのようなもって回った口説き口説かれを交わす場面。実はその直前、住み込む工場の近くから掘り出された大量の人骨の中に、両親の遺骨を見つけるということが勝利に起きている。それをその場で打ち明けるのだが、これに対する和子の反応はというと…

 「まあ……」
 和子は箸を置いて、あきれたような顔をした。〈食事の最中に、泥のついた白骨の話なんかする人があるかしら〉

 それだけ、それで終わりで、話は勝利が思いついた奇想天外なプロポーズのことに進んでいく。現実の会話ではまず絶対にありえないことで、主人公らの深刻な喪失体験、とりわけ勝利の戦災に関わるそれが、作中ではどう見ても不当に軽く扱われているのである。
 もちろん作者に狙いも意図もあってのことだろうが、狙いや意図の背景をなしている時代の空気が、かねがね自分の思料してきたところに呼応する。戦後復興からとりわけ高度成長の時代に、日本の社会の表舞台において「死」や「喪失」を語ることはタブーであり、深く深く抑圧されていたという、そのことである。
 今はこれだけにしておこう。作品はとても面白く、飛行機内や電車内で思わず吹き出して人目を引くということを、久しぶりに経験した。


Ω