散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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万博の借りはカジノで返す?

2024-01-09 20:36:36 | 日記
2024年1月9日(火)

 あおばのA君は、精神疾患関連記事を新聞や雑誌で見かけると、マメに保存しておいて渡してくれる。その多くは朝日新聞からの切り抜きかコピーで、「うちも朝日をとってるから」と何度も言うのだが、よくも悪くも人の話を聞かないのが彼のきわだった特徴である。実際、こちらが見逃したものをよく取っておいてくれるので、そういう意味ではありがたい。
 今日も今日とてクリアファイル一杯に重ねられた紙束のいちばん上は、これである。


 よくぞ言ってくれました。まことに至言、笑いごとではない。
 管見するところ、21世紀後半に向けてメンタルヘルスの最大の問題は依存症、とりわけギャンブルやインターネット、スマホ使用などをめぐる行為依存であること火を見るより明らかである。しかるに、赤字国債の乱発で後年度負担を際限なく膨らませ、依存症への警戒も対策もないままにカジノを導入する式の今の政策は、国を挙げて賭博常習者の道を驀進し、地獄への道を率先して国民に示すに等しい。
 その末に苦しむのは、遠からずおさらばする彼らや僕らではない。未来への頼みとする子たち孫たちなのだ。

 どうぞ一日も早く正気に戻ってください、お願いします。
Ω

1月9日 内村鑑三

2024-01-09 08:09:55 | 日記
 晴山陽一『新版 365日物語 上巻: すべての日に歴史あり . Kindle 版』

1月9日 内村鑑三が不敬事件を起こす

>  それは、1891年(明治24年)の1月9日に起きた。
 日本の代表的キリスト者、内村鑑三が第一高等学校の嘱託教員となったのは、前年の九月だった。翌月に教育勅語が発表され、新年1月9日の始業式に、天皇の署名の入った教育勅語の奉読式が挙行されることになったのだ。
 内村が壇上に登って奉拝する順番は三番目だった。勅語の前に進み出た彼は、天皇の署名に対して、軽く頭を下げただけで、深い敬意を表すことをしなかった。 
 これを見た国粋主義的な教官、生徒たちが内村の糾弾を開始し、彼はこの糾弾が激しさを増していく中、ついに病に倒れ、一時は生死をさまよう。ようやく病が癒えた時には、依願退職の形で職を奪われていた。
 さらに痛恨事は続く。不眠不休の看病にあたった最愛の妻加寿子が、心労と自らも得た肺炎が原因で、4月19日に帰らぬ人となってしまったのである。

***
 やっと日本人が登場したと思ったら、この話題である。
 旧版では、冒頭が「後に日本におけるキリスト教の代表的な指導者となった内村鑑三が、不敬事件を引き起こした」という表現になっている。内村が事件を「引き起こした」か、それとも事件が「起きた」のか、表現一つに歴史解釈が示される。新版でもタイトルは「内村鑑三が不敬事件を起こす」だから、著者の基本的なスタンスは「内村が事件を起こした」ということなのだろう。
 ある観点からはそうに違いない。しかし、一歩退いて見方を変えれば、事件を起こしたのは「国粋主義的な教官、生徒」の方であることも、また同様に正しい。そのどちらをとるかは意志と選択の問題であって、事実が自ずから語ることではない。
 同じ構図はあらゆる時代のあらゆる社会的「事件」をめぐって起き続けている。そして過去のことはよく見えても、同時代のことは見えにくい。内村鑑三も教育勅語もよくは知らない多くの読者に、「内村が事件を引き起こした」との印象を刻印することが、果たして賢明な態度かどうか。
 「教育勅語には良いことも書いてある」という趣旨の発言がときどきあるが、問題はその内容よりも、それが歴史の中でどのように扱われ、どのような意味を担わされたかということである。この種の問題はけっして終わってはおらず、灰に覆われた熾火のように燃えあがる機会を待ち続けている。
Ω