散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

1月2日 ロックフェラー

2024-01-02 13:42:06 | 日記
  晴山陽一『新版 365日物語 上巻: すべての日に歴史あり . Kindle 版』

1月2日  ロックフェラーがアメリカの石油業界の頂点に立つ

> 1882年1月2日、米国の実業家ジョン・D・ロックフェラーは、巨大な石油会社スタンダード社の組織強化のため、スタンダード・オイル・トラストを結成した。結果、彼は全米の石油精製所とパイプラインの90パーセントを傘下におさめ、石油業界の頂点に君臨する存在となった。
>  ロックフェラーはこの改革のため、数年前からサミュエル・ドッドという法廷弁護士を雇っていた。ドッドは、巨大化した会社を40の小会社に解体し、トラスト会社で統合するという方法を考え出した。これにより、ロックフェラーは、分散した40社の資産を、トラスト会社を隠れ蓑にして保有できる。この機構は6年後の反トラスト聴聞会で明るみに出るまで、ドッドの思惑通り機能し続けた。
> 同年8月には、ニューヨーク・スタンダード、ニュージャージー・スタンダードなどの石油会社が次々に発足し、そのうちのいくつかは、後の国際石油メジャー「セヴン・シスターズ」へと発展していった。

 『365日物語』は「すべての日に歴史あり」の副題が著すとおりの快著で、紙ベースのものは2005年に世に出ている。手許のそれを家族に回したので、2020年発刊の新版(Kindle版)から引用したのだが、当然ながら内容は旧版と完全に同じではない。
 ロックフェラー(1839-1937)に関しては、旧版の下記の記述が新版で削除されている。

> ロックフェラーは、強引な手法を用いて石油王となったが、反面、若い頃から収益の10分の1は慈善事業に寄付し続けた。引退した後は、ロックフェラー財団を設立して、特に慈善事業に力を入れた。今日のシカゴ大学も彼の寄付によるものである。

 これは残しておいてほしかった。ロックフェラーに肩入れする意味ではなく、アメリカの億万長者の一面、ひいてはアメリカという社会の成り立ちを象徴的に表しているからである。
 「若いころから収益の十分の一を」というさりげない表現だが、欧米の歴史事情に関心ある読者はピンとくるところ。ヒントは「十分の一」で、これは旧約聖書に由来する神への捧げ物のルールである。「慈善事業に寄付した」には違いないが、本人の動機としては「与えられたものの十分の一を神に返す」という感覚であったに違いない。
 果たして Wikipedia によれば、ロックフェラーは「(母ゆずりの)熱心なバプテスト信者であり、生涯にわたって米国バプテスト同盟を支援した」とある。このことをもって悪辣とさえ言えるほどの強引非情なビジネススタイルを擁護するつもりはない。ただ、彼の内心においては私欲というより、強い使命感と徹底した目的合理性が作動しており、マックス・ェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で描き出して見せた近代経済人の最高の実例を、そこに見ることができる。「行いによって救いを勝ちとるためにではなく、祝福にあずかっていることを結果において証明せんがために、成長と成功を求め続ける」という型である。

 マックス・ェーバー(1860−1920)が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を発表したのは1904-5年。奇しくも日露戦争の年である。
 ジョン・ロックフェラー(1839-1937)がスタンダード・オイル・トラストを結成したのは1882年。
 ェーバーについては、あまり良く知らない。1904年にセントルイス万国博覧会にあわせて開催された学術会議のためにアメリカに旅行し、その際にアメリカのプロテスタント諸派の実情を調査したと Wiki にある。そこで知ったことは上掲書に想を与えたというより、正しさを確認させたというところだろうか。
 アメリカという国は、基本的にこの種の捧げ物で出来あがっている。ロックフェラーのシカゴ大学は一例に過ぎない。医学部に関しては世界最高とも称されるジョンズ・ホプキンス大学が、クェーカーの実業家ジョンズ・ホプキンス(Johns Hopkins, 1795-1873)の遺産を基に1876年に設立されたことなど、同型の話はいくらでもある。いくらでもあるというより、その蓄積がアメリカの富の主たる部分を為すと言った方が正しいだろう。
 スミソニアン博物館の由来は少々面白く、イギリス人ジェイムズ・スミスソン(James Smithson, 1765-1829)が莫大な財産をアメリカ合衆国政府に遺贈したのが基である。スミスソンは貴族の私生児として生まれ、後に貴族として認知された。生涯独身で相続人がなかったこともあり、遺言に従って遺産を寄贈となったのだが、彼自身はアメリカを訪問したことがなく、なぜそのように決意したか分からない。日記類は1865年にスミソニアン博物館本部ビルの火災で失われたとある。
 相続した財産を寄付したスミスソンの例は今の文脈では傍流に属するとして、「巨大な成功を収め、それを善なる目的のために献げて歴史に名を残す」というのがいわゆるアメリカン・ドリームのスピリチュアルな部分であり、彼らが決して成功のための成功ばかりを追っているのでないことは、ビル・ゲイツに至るまで一貫している。そういう次第で、ロックフェラーの「慈善」の話は残しておいてほしかったのである。
 
 とはいえ創始者の志が色あせ失われるのは、きわめて速い。個人史の中で速いばかりでなく、資本主義を生み出したプロテスタンティズムの倫理自体が早晩空洞化するであろうことを、ェーバー自身が冷徹な筆致で予測している。善意の個人はこれからも輩出するだろうが、われわれの社会がそれを入れる革袋を用意することはできるだろうか?

Ω