散日拾遺

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1月19日 インディラ・ガンジー

2024-01-19 04:31:55 | 日記
 晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.24

1月19日 インディラ・ガンジーがインド首相になる

  1966年1月19日、第3代インド首相にインディラ・ガンジーが選出された。彼女の父ジャワハルラル・ネルー(1889‐1964)はインドの初代首相である。女性首相はセイロン(現スリランカ)に続き世界で二人目だった。
 彼女の政界進出は、父の支援者たちの要請による。父ネルーは、マハトマ・ガンジーと共にインド独立運動を戦った闘士だった。ガンジーという姓は、ゾロアスター教徒だった夫フェロジが、結婚に際してヒンドゥー教徒に改宗し、マハトマ・ガンジーの養子になったためで、マハトマ・ガンジーと血縁関係はない。
(中略)
 1984年10月31日、パンジャブ州の自治権拡大要求問題によって殺されたシーク教徒の報復を受け、インディラは首相官邸前で射殺された。六十六歳だった。彼女の死によって暴徒化したヒンドゥー教徒が900人ものシーク教徒を虐殺したという。

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 インディラ・プリヤダルシニー・ガンディー(इंदिरा प्रियदर्शिनी गाँधी、1917 - 1984)
 初代首相ネルーが在任中に病死した時、建国から日の浅い複雑な大国インドをまとめるには、独立の功労者ネルーの娘であるインディラ・ガンジーの象徴的な力が必要と誰しも考えた。しかし、就任後の彼女は象徴の役割に甘んじることなく、冷戦時代の米ソに伍して大いに指導力を発揮することになる。
 民族衣装の裾を翻して颯爽と歩く姿を白黒テレビの画面に見て、目を瞠ったことを思い出す。ネルー(当時はネールと発音していたようだ)の娘がなぜガンジーなのかと不思議だったが、60年越しの疑問が本日ただいま氷解した。
 小学生時代のことをはっきり覚えているのに、彼女が暗殺された時のことはなぜか全く記憶にない。1984年10月末、自分は何をしていたのだったか。反シーク教暴動の蔭に国民会議派の政治家の煽動があったという。後任首相に長男のラジーヴ・ガンジーが就任したが、彼もまた1991年に暗殺された。ガンジー家の悲劇と呼ばれる由、ケネディ家のそれを連想させるものがある。
 父ジャワハルラル・ネルーに『父が子に語る世界歴史』という名著があり、いずれ読みたいものの一つである。いつ頃書かれたのか、実際に家庭で語り聞かせることがあったのか、そのあたりは分からないけれども、この父の歴史に取り組む姿勢が、後の女性宰相の世界観を養ったであろうことは想像に難くない。


       Wikipedia より

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