散日拾遺

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碁敵健在ナリ/トランプの正しい使い方

2019-12-11 08:10:22 | 日記
2019年12月11日(水)
 起き抜けに寝ぼけて、長らく使っていない引き出しを考えもなく開けたら、ゴルフボールだのキーホルダーだのに混じって、使い捨てのライターがひと塊出てきた。災害時には使えそうなもので、誰が入れたのかは一目瞭然である。
 「10年ぐらい、ここに眠ってたのかな」
 「20年かも」
 「30年はないか」
 「使える?」
 「使える」

  一瞬、間があって、

 「こんなふうに日の目を見ないライターのことを、何て呼ぶ?」
 「・・・ゴーストライター」



***

 何はともあれ今日は良い日、昨夕、セキネさんからメールがあったのだ!
 病気ではなく、見限られたわけでもなく、
 「携帯電話を紛失しまして」
 ものぐさなセキネさんは、連絡先情報をすべてケータイまかせにしていたため動きがとれなくなり、それでも保険をかけていたおかげで交換機器を入手、昨日めでたく通信再開したという。さっそく今後に備えて住所やら電話番号やらを交換し、あわせて次の対局日をとり決めた。ああよかった、安心した。

 このオチはやっぱり、普通人なら真っ先に考えるところなんだろうか。相棒はハナから「ケータイ落としたんじゃないの?」と言い続けた。ブログを覗いてくださった皆々様も、何でこいつはことさら深刻な方から考えるかと訝ったに違いない。
 なぜか僕には、最もありそうなそのことが思い浮かばなかった。むしろ独居高齢者に時として起きる、最も考えたくないある情景が脳裏を占め、白状すれば夢にまで見たのである。碁敵がいかに貴重とはいえ、これはいささか心配過剰であろう。鬼籍入りする人々がここ数年周囲に多く、人の命の儚さが骨身に沁みている証拠だろうか。
 「存命の喜び、日々に楽しまざらんや」(徒然草 第93段)
 母晩年の愛誦句を、このところ毎日のように口ずさんでいる。

***
 
 11月末に高校のクラス会あり。僕は少々半端な立場で、昨年は準備段階まで幹事だったが、校務でドタキャンして当日の司会進行を気の好いT君に代わってもらった。今年は逆に、当日の司会進行を僕が代わる約束である。会場ではまず席決めから始まるだろうが、テーブルの配置がわからない。何しろクジ引きが常道、男女入り混じって座れるには・・・奇数と偶数で分ければいいか、しかし人数が違うぞ等々あれこれ悩みつつ、ない知恵絞ってそれらしきものをこしらえた。これでよし。


 ついぞ降りたことのない赤坂で下車し、店を辿りあてるとT君がもう着いていて、ポケットからトランプを取り出し1枚引けと言う。出たのはこれ、


 「同じ色、同じ数のカードの席ね」
 「ってことは...」


 ここか。
 スペードの9って何だかブキミだが、それはともかくこれは名案、シャレてるうえに面倒な準備が要らず、色を使い分ければ男女の振り分けも容易である。頭のいいやつのすることは、いつだってスマートなものだ。

 24+24で48名のクラス。これまでに男女2名ずつ4名が他界した。当日の参加者は男子12名に女子8名、けっこう強かったサッカー部の中軸で人気者のS君が、多年の滞米から帰国して初参加。彼を中心に、貸し切りの店内は和気藹々たるものである。
 健在の欠席者24名の大半は、仕事なり遊びなりで充実ゆえの多忙。介護で家が空けられない者も当然ある。気になるのは男子1名女子3名の消息不明者で、こんなこともセキネさん騒動の背景にあったものか。
 お互いそろそろお年頃、存命の喜びはまことに貴くかけがえがない。

Ω
 

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