散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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2月26日の雪、3月1日の雨/禍因惡積 福緣善慶 ~ 千字文 029

2014-02-26 09:11:29 | 日記
2014年2月26日(水)

 2月26日と聞いて「2.26事件」と即答するのは「古い」ってことになるのかな。
 1936(昭和11)年のことだから、ざっと80年前。その年と現在との中点はどこかというと、1975年。僕が高校を卒業して最初の大学に入り、H君らと出会った年だ。昨日のことのように鮮明である。
 同様に僕らの親の世代にとって、戦時体験は常に昨日のことのように鮮明であっただろう。むろん僕自身にとってそうではない。
 しかし、ここでこだわりたいんだね。
 目の前にいるある人にとって、あるいは同時代に生きる人々にとって、「昨日のことのように鮮明である」事件なら、それを共感によって何ほどかでも共有しようとするのは、きわめて人間的なことではないかしら?
 「カンケーないよ、その時わたしはそこにいなかったし、生まれてもいなかったんだから」というのは、堕落の初めであり文化の終わりであると僕は思う。

 屁理屈かもしれないね、人間には向き不向きもあれば好みもあるし。
 何のことはない、古いものへの関心が強いというだけだ。ともかく中学だか高校だかの歴史教科書で、2.26事件当日の写真を見たのが忘れられない。東京が雪に覆われ、その雪を戒厳令が覆い、軍装の集団がものものしく行き交っている。
 三男が四月から通うことになった高校は、その舞台の中心となった地域にある。高校名から連想したことのひとつがそれだった。
 念のために記せば、2.26事件について思い巡らすことには、「考古」でなく「考現」の観点から複雑で大きな意味がある。きわめて重大な意味だと思うよ。

***

 今朝の朝日が、第五福竜丸乗組員の講演活動などについて報じている。

 ビキニ環礁で、アメリカは1946年から1958年までに合計23回の核実験を行った。
 以下<>は Wiki のパクリ。

<1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦)では、広島型原子爆弾約1000個分の爆発力(15Mt)の水素爆弾(コード名ブラボー)が炸裂し、海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーター(通称、ブラボー・クレーター)が形成された。
 このとき、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ約1000隻以上の漁船が死の灰を浴びて被曝した。また、ビキニ環礁から約240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り積もり、島民64人が被曝して避難することになった。
 この3月1日は、ビキニデーとして原水爆禁止運動の記念日となり、継続的な活動が行われている。>

 ヒロシマの黒い雨に対して、ビキニでは白い雨が降ったと、記事にある。爆風で破砕された珊瑚礁の破片が白い粉になって降ってくる。あるいは美しくもあったろうか、もちろん放射能で高度に汚染された恐るべき雨で、皮膚に付着すれば直ちに害を為した。
 この事件そのものはむろん認識していたが、「白い雨」のことは、この年になるまで知らなかった。生まれるほんの少し前に起きたことだ。

***

◯ 禍因惡積 福緣善慶(千字文)
禍(わざわ)いは悪業を重ねることによっておこり、福(さいわい)いは善行や慶びから生じる。

 ちょうどこの日にこれですか。
 難しいものだ、諸刃の剣とはこのことか。

 第五福竜丸乗組員の惨禍は、この人々の行いが悪かったからだなどとは、今時だれも言わないし、もちろんそんなものであるはずがない。しかし僕らはそのことを本当に、心の底から肝に銘じているか。もしそうだというのなら、何の責任もなくこの種の災厄に遭った人々に対して、僕らの関心や共感はなぜこんなにも薄いのか?この人々がしばしば嘲りや差別の対象になるのはなぜなのか?実は僕らが、本当には分かっていないからではないのか?
 いっぽうまた、「積善の家に余慶あり」(易経 ~ この易経というのはなかなかすごい)とあることに考えさせられる。「余慶」を期待して「善」を積むことは邪道だし、それこそ今時本気で期待する者もなかろうが、逆に自分が思いがけない幸運に恵まれた時、「これは誰かの贈り物ではないか」と考えて感謝を新たにすることは、ある種の徳の初めだと思うのだ。

 祖父は素封家の当主でけっこうな土地を持っていたが、敗戦後に皆が難渋していた時に山林の多くをタダ同然で人々に譲り、田畑だけを家族のために取って置いた。やがて行われた農地改革によってその田畑をあらかた奪われ、家政は一挙に傾き、子ども達は苦学を余儀なくされた。農地改革は山林には手をつけなかったのだから、皮肉という他はない。やがて里山の奥にはゴルフ場が建設され、山林を譲り受けた人々の多くは転売によって相当の額の収入を得た。それから半世紀経ち、この人々はほとんど地元に残っておらず、住処の跡も少ない。
 築80年を超えた旧家で健康に余生を養いながら、父がふともらしたのは、今の自分らの健康と安寧は、山林を私蔵(死蔵)せず人々の益に供した祖父 ~ 自身は60歳そこそこで病没した ~ の余慶ではあるまいか、ということだった。

***

 ことが非対称になるので厄介だけれど、本日の千字文に半分だけの真理を認めたい。
 残り半分について、聖書の下記の言葉を引いておく。

 弟子たちがイエスに尋ねた。
「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
 イエスはお答えになった。
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」
(ヨハネ福音書 9:2-3)

 神の業をかの人々に現わすことができるかどうか、それが僕らに問われている。

妄想形成/結婚年齢/映画のこと

2014-02-25 12:30:19 | 日記
2014年2月25日(火)

 CATの会は楽しいので、もっと皆が来ればいいのにと思っている。
 最近は映画談義が多い。というのも、勝沼さんが無類のウォッチャーであるうえ、Kokomin さんは長い電車通勤の間にPCで映画を見てるらしいんだな。僕は古い映画ならそこそこ話に乗れるが、新しいものは全然ダメで、イザベルさんやクチブエ君と一緒に聞き手に回っている。もちろん、話題は映画だけではない。

****

 先週の雑談で、我が国の首相は大丈夫かという話になった。政治路線の話ではなく、秘密保護法に関する国会答弁の際に、「大事な秘密が漏れている、盗まれている」とくり返すのを聞いていて、妄想性疾患の患者さんの訴え方を連想した人があるらしいのだ。
 まさかと思うけれど、「妄想」という逸脱形式が人の思うよりはずっと頻度の高いものであり、状況次第でいわゆる健常人にも起きうることは知っておく必要がある。
 かつ、「権力ピラミッドの頂点に近いものほど、意志の自由度が小さい」という命題(「大きい」の間違いではない、念のため)は、『戦争と平和』を通底するトルストイの基本認識だが、おそらく正しい認識なのだ。
 「ナポレオンが停止を命じたならば、兵士はナポレオンを押しのけて進んだろう」という、その言明そのものには異論もあるけれど。

 しかし、そうだとすると、上記の首相答弁は何を意味していることになるんだろう。妄想を抱きつつあるのは、いったい誰?

***

 結婚年齢のこと。
 「ねえやは十五で嫁に行き」(と聞いて何の歌詞だか分からないようだと、日本人としてちょっとモンダイ)と歌われた時代から、いつの間にこんなに高齢化したかという発題。
 いつの間に、だろう?
 ここ二十年ほど、晩婚化が進んでいる(あるいはバラツキが大きくなっている)のは皆わかっているが、それは23~4歳が28~9歳にシフトしたという程度のことで、それに先だって十代から二十代への大きなシフトが起きているはず。それがいつ頃、どのようにしてということだ。
 こういうのは放送大学のM先生に伺うに限るかな。そのうち訊いてみよう。
 
***

 映画のこと。
 『わが青春のマリアンヌ』
 『息子の部屋』
 『幸せのレシピ』
 『危険なメソッド』
 と見てきた。

 「家庭で十代の息子達が居合わせても、安心してみられるものを推薦して!」という僕の依頼(『危険なメソッド』は少々微妙)に応じて示されたのが『サラの鍵』、家人にレンタルを依頼したら、ついでに何本か借りてきた。
 この件、項を改める。

読書メモ 027 『一神教と国家』

2014-02-25 12:19:49 | 日記
2014年2月25日(火)

 先週はメモがずいぶんたまっていた。これは20日(木)の分。

 「いま現に流行っている本は読めない」とか書いたが、チョー新しいのも読みましたよ、というところで。

 御茶ノ水の仕事が夕方終わった後、明治大学の前の坂を下って三省堂へ、そこで立ち読みするのが大事な日課・・・ではない、週課になっている。先週はCATの集まりが高田馬場なので、それまでに薄い本を一冊読んじゃおうと思って手にとって、途中で止められなくなって買っちゃいました。
 美味しそうな対談を組んで、その録音起こしから新書をお手軽に作っちゃうという、ウチダ先生の(御本人によれば、集英社担当編集者の)商法に乗せられるのもシャクだが、面白いから仕方ないね。

 対談のお相手は中田考(なかた・こう)氏で、この人は(我が国の)「イスラーム学の第一人者」と帯に銘打たれており、たぶんそうなんだろうが、御自身がイスラム教徒だというのが大事なところ。
 年齢は僕より少し若いんだが、東大のキャンパスでかすった年代である。あの頃、人の取らない科目にせっせと手を出し、その中に「旧約聖書ヘブル語」というのがあったが、3週間ほどであえなくコケた。(念のためにいえば、その頃は教会に出入りしておらず、自分が信徒になるとは夢にも思っていなかったので、この科目にエントリーしたのは全くの好奇心からだった。)
 いっぽう中田氏は、氏の語るところに依れば新設されたイスラム学科の第一期生となり、イスラームについて一年間勉強した後、4年に進む際に自身が入信したという。前日には、これが今生の食い納めとばかり、トンカツを腹一杯食べた由。ちなみに、この学科の卒業生で入信したのは、これまで彼一人だそうだ。

 いつも思うんだが、およそ人の営為について、外からあれこれ言うことには必ず見落としがあり誤解がある。特に宗教などについて、自身がそれにコミットしていない人間が外から見ることには、非常な隔靴掻痒 ~ それも鋼鉄製の靴を外から掻くような ~ が常につきまとうもので、しかしいわゆる「コメンテーター」とか「ウォッチャー」とかは、そのような自分の限界がないもののように偉そうに語るから始末に負えない。
 むろん、そこに属している者には、ちょうどこれと対を為すような「属する者」ゆえのバイアスがあるのだけれど、バイアスを伴う情報が存在することと、情報そのものが存在しないこととでは、まったく意味が違う。そういう意味で、中田氏についてさしあたりほとんど何も知らないとしても、自身が若い頃に入信し(僕がキリスト教に入信したのと非常に近い時期だ)、以来30年余も信徒であり続けたきた人の発信ならば、耳傾けて損はない。

 で、読み始めたら面白いですよ、これ。何しろ聞き手がウチダ・タツルだから、どっちが聞き手だか分からなくなっちゃうところは随所にあるんだが、それも含めて面白い。
 ひとつ要望するなら、「一神教」をテーマに話すとすれば、次は然るべきキリスト教徒を引っ張り込んで鼎談にしてほしいかな。ウチダ氏はレヴィナス先生の学徒としてユダヤ教に共感をもつ理解者の位置取りなので、もうひとり呼んでくれば足りる。人選次第で、さぞ面白いものになるだろう。



 以下は例によって、備忘としての抜き書き。
 これがいつも、思いのほか時間を食っちゃうのだ。

【第1章 イスラームとは何か?】・・・啓発的!知らないことばっかりだ。

P.48
N: 百円の水を五百円で売る人間が(水を)『どうぞ』って言うんですから、不思議と言えば不思議かもしれません。日本では「ケチ」という時、強欲と吝嗇を分けませんが、イスラームにおいてはまったく違う概念なのです。強欲なのは構わない。しかし吝嗇は最大の悪口(石丸注:たぶん悪行の誤記かな)なのです。
U: はあー。強欲と吝嗇は違うんですか。強欲はいいが、吝嗇はいかん、と。これはよいことを聞きました。それは宗教的な戒律と言えるんですか。
N: というよりも、かなり普遍的に身体化されたエートスです。そもそも強欲は「タムウ」、吝嗇は「ブフル」で言葉からしてまったく違い、まったく別の概念です。だから宗教的に熱心でない人にも共有されています。
U: 対象となるものはすべてでしょうか。食べ物でも飲み物でも。
N: ほぼそうです。道ばたでおばさんがネギなんかかじっていても、目が合うと「どうぞ」って言われます。
U: ネギをね。

【第2章 一神教の風土】・・・面白いが、やや類型的かな。一部、キリスト教についての誤解があるような。

P.76
U: ユダヤ教、イスラーム、キリスト教はやはりお互いを相互参照しながら、それぞれの固有の体系を築いていったという気がしますね。お話を伺っていると、信仰の深さを魂の純良さをもって示すのか、学識の豊かさで示すのか、というあたりの力点の置き方がこの三つの宗教で微妙に違うなという感じがします。信仰を基礎づけるのは、人間の魂の清らかさなのか、それとも人間的成熟なのか、キリスト教はどちらかというと「穢れない魂」を信仰の基盤としているし、ユダヤ教は信仰の完成のために知性的な成熟を要求する。イスラームはその両方に目配りしている。このあたりが興味深いように思いました。

(・・・ちょっとぴんとこない。以下のほうが面白い)

U: イスラームは限られた資源を共有する文化共同体であるという話をしましたね。共同体の人々が共に飲み、食い、分かち合う文化だ、と。富者でも富を独占することを許さず、持てる者は貧しい者に喜捨する義務がある。そういう考え方って、彼らがもともと遊牧民だったところに由来するのではないでしょうか。定住地を持たないノマドであることとイスラームのエートスには深い関係があるのではないか、と。
N: それは大いにあると思います。

P.103
N: ですから、カトリックの告解制度というもの。あれは恐ろしい制度だと、私思うんです。人の内面を暴き出して、人を支配していくってことですから。イスラームでは罪を犯してもできるだけ人には言いません。あくまで神と自分の関係とする。それに対して、キリスト教は人の心を他人が知ることもできて、支配することもできると考える。

(これは少々暴論だし、だいいち誤解だ。告解は「内面を暴き出す」ものではなく、人が抱えきれずにあふれ出す内面の思いを受けとる器を備えるものだ。サムエル記冒頭のハンナの祈りを考えてみれば良い。誰にも明かすことのできない内奥の呻きを、人ではなく神に訴えることが許されるのが告解の秘儀であり、いわゆるカウンセリングの制度的淵源とも言えるものだ。
 ウチダさんはそのあたりを察してか、すばやく微妙に焦点を変えて次のように返す。彼、武道家だけあって、肉弾的接触をきわどくかわす運動神経が抜群に良いようだ。)

U: 内面にフォーカスするキリスト教というのは、一神教としてはもしかすると例外的なかたちなのかも知れませんね。神と人間との距離が近くて、人間の内面の言葉を聞き取ってもらえるわけですから。

(その次が面白いよ。)

U: ユダヤ教の場合、神と人間の距離はある意味絶望的に遠い。戒律にしても、どうしてこんな戒律があるのか、説明がつかない。むしろ人間の世界の実用性や合理性に基づいて戒律の適否や意味を論じてはならないということを叩き込むために戒律はあるんじゃないかと思うんです。(イタリック、石丸)

P.105
U: 明治維新前後に内村鑑三とか新島襄とか日本の青年たちがいっせいにクリスチャンになりましたね。あれは武士の時代が終わった後、キリスト教を武士道の別の形と思ったからじゃないかな。

(それはそうだろうな。)

【第3章 世俗主義が生んだ怪物】・・・この章、最高!特にアメリカをばっさり切る舌鋒の鋭さが良い。

P.114
U: 『シェーン』って映画あるじゃないですか。アラン・ラッドがガンマンを演じる。あれ、もしかすると、遊牧民と定住民の戦いの話なのかなと思ったのです。
N: おもしろそう。

(おもしろい!)

P.117
U: これって、アメリカにおける遊牧的文化についての一つの国民的な物語はないかって気がするんです。遊牧民は死なねばならぬ、という。
N: まさしく。私もトルコの国境の有刺鉄線を越えたことがあります。トゲトゲの針金をくぐって、地下壕をもぐって、シリアからトルコに入ったのですけど。
U: ドキドキの密入国。
N: スリルとサスペンス。で、その時ヘンだなと思ったのです。だってその鉄条網がなければ国境などないのですよ。それさえなければトルコ側もシリア側もまったく同じ連続した風景が続いているんです。なのになんでこんなものがあるのだ、こんなものがあるから紛争が起こるのだと。
U: 特に中東や北アフリカの国境線の引かれ方は人為的なものですからね。

(話を混ぜたらいけないが、大海原の国境線には有刺鉄線すらないよね。「こんなもの」のところに「竹島/独島」を入れれば、どっかのローカルな領土問題と重なって見えてくる。)

P.122
N: もともとそこに住んでいる人たちがいたのに、その上に無理やり建国した。だから、あそこに悠久の歴史があるにしても、それはアメリカの歴史ではない。アメリカという国家の歴史はたった250年たらずしかないんです。イスラエルだってそうですよね。国家としての歴史は数十年しかない。
 そういうものであるにもかかわらず、国家は主権というものを持っていて、国民の生殺与奪の権を握っていて、国民は国家に死ねと言われたら死ななければいけない。そういう奇妙なものが国民国家なんです。ホッブスは、こうした近代国家のことを地上における可死の神「リヴァイアサン」と呼びました。(イタリックは石丸)
U: 新しい概念である上に、たいへん不自然な概念でもあると。
N: ええ。しかし、おかしな概念であるということが意識されにくい。おかしいから、じゃあ解体して組み直そうという話にはなかなかならないのです。

P.123
N: 本来、ある地域の人々が独立の国家を作ることに意味があるとすれば、少なくとも二つの条件を満たす必要があると思います。一つは、その国家の内部に一つの国家として束ねられているだけの顕著な同一性があるということ。もう一つは、その国家と外の国家の間に境界が必要なほどの異他性があるということ。その点から言うと、イスラームの国々はあまり独立している意味がないのです。

 ※ このあたりがいわば白眉、P.128あたりからは全部筆写しないといけなくなるので、キーワードだけ列挙する。

✓ 「ボーダーを超えるもの」に対する国民国家の生理的な憎悪 ~ イエズス会、ユダヤ人、フリーメイソンなどが敵視される理由。
✓ 東インド会社、特にその解体の歴史的意義
✓ 国境というイデオロギーへの国民国家のこだわり
✓ アメリカ製のグローバリゼーションが、実はきわめてローカルな仕組みであること
✓ 「食」の文化と政治 ~ 似非グローバリゼーションへの防壁 ①
✓ イスラームの潜在力 ~ 似非グローバリゼーションへの防壁 ②

P.142
U: これからのアメリカの世界戦略は、非イスラーム圏に対しては国民国家を解体する方法で圧力をかける、イスラーム圏に対しては逆に国民国家を強化するというかたちで圧力をかける、そういうダブル・スタンダードを使っていくのじゃないかと思っています。
 (卓見!)

P.148
U: 僕らも、手持ちの現金は金貨にした方がいいんでしょうか?
N: いいですよ。金貨なんか持ってますとね、ビジュアル的には守銭奴みたいなのですけど、そんなことはない。金貨だとたくさん持っててもしょうがないって思うようになるのです。
U: 邪魔だなあとか?
N: 実際、邪魔です。
 (そうか~、僕も金貨にするかな。でも、「全然ない、これしかない!稼がなきゃ、貯めなきゃ」にならないかな・・・)

【第4章 混迷の中東世界をどう読むか】 ・・・ 知らないことばかり、啓発的。
P.186-7
N: 私、イスラームにとっては法人概念が最大の敵、最大の偶像だと思っているのですよ。(中略)カリフ制ができると全体主義の国になるから良くないと言う人がいますが、ぜんぜん違います。むしろ逆です。カリフ制のリーダーというのは個人であり、法人ではないんです。逆に法人概念がなくなるので・・・(中略)・・・全体主義にはまったくなりません。本当のカリフ制であれば、大きな政府はなくなります。

P.192-3
N: イスラームって、他者に対してはある意味政教分離的でもあって、宗教としての枠組みと法による共存の枠組みは別ものと考えるのです。これ、けっこう高度なグローバリゼーションであろうと思います。かえって欧米の方が混同していて、政教分離と言いながら宗教的な価値観を背負って相手の陣営に攻め込んでいるところがありますよ。民主主義も人権も、彼らは宗教と思っていませんが、立派な宗教であり、特にアメリカにはその狂信者、宣教師がたくさんいます。(イタリックは石丸)
U: むしろ政教未分離。
N: はい、欧米、欧米と十把一絡げに言うと乱暴なので、もう少し細かく言いますと、ヨーロッパでも東方教会はほんとの政教分離です。(中略)しかし、西欧のキリスト教は結局政権に関わるんです。なぜかと言うと、彼らの政教分離の原点は、「世俗」と「宗教」の分離ではなく、「国家」と「教会」の分離だったからです。

(・・・これは熟考の要ありかな)

P.194
N: (ジハードは)物理的な戦争のことだけでなく、個人の内面のことなども含みます。むしろ、自分の中であれかこれかの葛藤があること ー 日本語でいうところの「克己」ですが ー を大ジハードといいます。戦闘などは小ジハードです。相手に勝つことより、自分に勝つことの方が難しいのです。
U: 克己が大ジハードなのですね。

【第5章 カワユイ(^◇^)カリフ道】 ・・・本書のキモ、一箇所だけ抜いておく。

P.224-(カリフ制が実現したら、世の中が具体的にどう変わっていくか、というウチダ氏の総括的質問に対して)
N: イスラーム世界では、人間と資本とモノの移動の自由が保障され、真のグローバリゼーションが進行し、貧富の格差が縮まり経済的繁栄がもたらされます。
(中略)
 非イスラーム世界も、イスラーム世界というオルタナティヴが出現することにより、不正なグローバリゼーションへの歯止めがかかることになるでしょう。(中略)旧ソ連共産圏が存在した時に、対抗上、資本主義国でも、労働者の権利、社会福祉が整備されていったように、イスラーム世界というオルタナティヴが存在することにより、アメリカ流のハゲタカ資本主義、グローバリゼーションの不正、過酷さに歯止めがかかることになるでしょう。
U: なるほど。いま進行中の「世界のグローバル化」なるものは実際にはアメリカ主導で、世界のフラット化、単一市場化を目ざしているわけですけれど、それを完遂するためには、理屈の上からいうと、もう一つの、すでに存在するグローバル共同体であるところのイスラーム共同体を破壊しないといけない。この「いわゆるグローバリズム」がすでに存在するグローバル共同体と激しいフリクションを起こすという歴史的文脈の読み方を、僕は今回中田先生に教えていただきました。

(moi, aussi!)

 その対立が戦争とかテロとかいうかたちをとることは僕はまったく望んでいないので、今おっしゃってくださったように「イスラーム世界というオルタナティヴ」が並立することによって、僕たちのものの考え方が絶えず相対化されるということには大きな意味があると思います。

***

 最後にちょっと戻って、第2章のウチダ氏のコメントから。

N: 個人的な好みを言ってもよろしければ、僕、クリスチャンって嫌いじゃないんです。
U: お、そうですか。どのあたりが?
N: ミッションスクールに21年間勤めていましたから、クリスチャンと袖触れ合う機会が多いのは当然なんですけれど、学内であれやこれやの事件が起こった時にしみじみ思ったのは、「ぶれないプリンシプルがある人」って、やっぱり頼りになるなということでした。クリスチャンとマルクス主義者、やっぱりぎりぎりのところで首尾一貫性があるのですよ。普通の先生たちは自分の主張に一貫性があるかないかなんて、気にしない。その場の空気で言うことコロコロ変わるし。
N: ハハ、そういうものですか。
U: わりとそうですよ。ですから、僕は原理主義的な潔さに惹かれているのかも知れません。原理主義って不自由なところもあるけれど、一度発言したことにはかなりこだわりますよね。孤立しても譲らない。それ、日本で言うところの武士道に近いものではないかと思ったりするのです。日本の場合、マルキシストは武士道的マルキシストであり、クリスチャンは武士道的クリスチャンなのではないかしら。

・・・で、上に転記したP.105につながるのだ。

 武士道的クリスチャン、いいなあ、そういうの。

空谷傳聲 虛堂習聽 ~ 千字文 028 / a sound of sheer silence(列王記)

2014-02-25 09:00:10 | 日記
2014年2月25日(火)

◯ 空谷傳聲 虛堂習聽

 誰もいない谷に 声が響いて伝わり
 誰もいない堂に 声が響いてそれを学ぶ

 これは面白い。イメージを触発される。

 「人の善行・悪行の報いは、空谷・虚堂に声が響くがごとく速やか」
 「人のいない谷でも声が伝わる気持ちでふるまい、人のいない座敷でも教えをよく聞く気持ちで学習する」
 いずれもごもっともな注記だが、俗なこと。「ハイハイそうですね」で終わりだ。

[李注]
 奥深い谷の中では必ず声と反響がひびきあう。
 昔、陳思王(三国魏の曹植)が梁山に出かけたとき、とつぜん岩屋の中に誦経の声の清らかで、はなやかなひびきを聞いた。王は襟を正してゆき、誦経の声を聞いて学び、これを世間に伝えた云々・・・

 この方がいいや。

***

 想起するのは『列王記(上)』の以下のくだり。ただし、「声が岩屋の中、聞き手が外」ではなく、語る神が外にあって、岩屋に隠れたエリヤに呼びかける。対照的な布置が面白い。

 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。
 見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。
 主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。
 風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。
 地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。
 火の後に、静かにささやく声が聞こえた。
 それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。
 そのとき、声はエリヤにこう告げた。
 「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
 (列王記 上 19:11-13)

 ああ、ヘブル語で読めたらな!
 前にも書いたが、ギリシア語と違ってヘブル語は多義的な翻訳を許す懐の深さが(あるいは曖昧さが)あるらしく、喚起される感動の質も量も訳によって一変する可能性があるようなのだ。

 「静かにささやく声」は、もしかすると misleading の可能性があるかもしれない(misreading とは言わないまでも)。というのも、NRSVはこの箇所を以下のように訳している。

 arter the fire a sound of sheer silence.

 サイモンとガーファンクル、Sound of Silence に似ているって?
 あたりまえだ、彼らユダヤ系でしょ。旧約聖書の言葉やイメージは彼らの血肉だもの。直接この箇所を踏まえたかどうかはともかく、同じ泉の水を汲んでいるに決まっている。
 "a sound of sheer silence"
 sheer とは「① <織物が>透き通る、ごく薄い、② 混ぜ物のない、生一本の、③ 切り立った、険しい、④ 全くの」といった訳を与えられる英単語である。全宇宙が沈黙したかのような、完全かつ峻厳な静けさ、その底を微かにふるわす、あるかなきかの声にもならない音、極限に近い透徹のニュアンスがそこにある。
 「静かにささやく声」、それならば僕にも出せる。旧約のテキストが伝えるのはもっと神的な、人の喉からは決して出ない音だ。

 翻訳の難しさは想像できる。それぞれ苦心の跡がある。
 手許のフランス語版は "apres le feu, un son deux et subtil." とする。
 un son deux et subtil なら、僕の喉から出ないでもない。
 同じくドイツ語版、"Zuletzt hoerte Elija einen ganz leisen Hauch."
 ein ganz leisen Hauch ・・・ そうですか。散文的だし、「エリヤは聞いた」と書いてしまっては身も蓋もないような。

 ここはNRSVの感性に敬意を表しておこう。
 "a sound of sheer silence"

 この沈黙、ただ事ではない。
 空谷傳聲、神の声がそこに響く。

・・・「谷」といえば、エゼキエルの37章も「谷」だったな・・・

黒番でした/指運(ゆびうん)と味悪(あじわる)

2014-02-24 12:52:18 | 日記
2014年2月24日(月)

 本因坊秀策は幕末の天才棋士。文政12(1829)- 文久2(1862)年というから、天寿を全うしていれば間違いなく明治棋界の大黒柱となったはずだが、惜しいかなコレラ流行で30代早々に他界した。秀策この時、本因坊家の跡目、患者の看病にあたって他に一人の死者も出さず、ただ彼自身が落命した。秀策流の名で知られる布石法や数々の優れた棋譜を残し、後世そこから学んだ棋士が多い。
 お城碁19戦無敗は驚異的な記録だが、必勝を期して二子局を回避したらしいことについては、批判もある。

 お城碁の結果を問われて「勝った」と言わず、「黒番(先番)でした」と答えたというのが有名な逸話。何でしょうね、これは。
 上述の秀策流は黒番で小目を時計回りに三連打する手法なので、白番では打てない。「黒番=秀策流=必勝布石」という図式から、「黒番でした」は秀策の自負・自信を表す豪語とする説を、最近一度ならず見て首を傾げた。
 それは違うでしょうよ。
 なぜかといえば・・・

 19路四方の碁盤は広いようでも先着の効はあらたかなもので、ノーハンデで打てばはっきり黒番が有利である。これを修正するため、現代碁は「コミ」という名のハンデを白番に与えて平準化を図る。当初4目半だったコミは、現在6目半に広がった。中国の国内棋戦は7目半としている。「半」は引き分けをなくすための作為として、実質6~7目ほども黒番有利というのが現在の評価なのだ。
 黒番有利の事情は今も昔も同じことだが、秀策の時代まではコミのシステムがなかった。代わりに、実力拮抗した者同志の対局では一局毎に黒番・白番を入れ替えることで公平を図った。これが「互先」の語源である。「定先」すなわち一方を黒番に固定することは、置き石一子に相当するはっきりしたハンデだった。つまり、実力伯仲なら黒が勝つのが当然だったのである。

 こうした事情を踏まえて「黒番でした」の挨拶を聞くなら、「幸い有利な黒番でしたので、この度は勝たせて戴きました」と受けとめるのが自然というものだ。「自分が強かったのではなく、黒番の利のおかげで」との謙譲の表現である。礼や作法を厳しく問われる時代、しかも将軍家(あるいは名代)の面前で行われるお城碁。まして秀策は舅の丈和などと違い、礼儀正しく謙虚な人柄であったことが伝わっている。
 あるいは言外に「その有利な黒番で負けるわけにはいきません」との含みがあったかもしれないが、それは聞き手が聞き取ること、秀策がそれを意図したとは考え難い。少なくとも現代の棋士が勝敗を問われて「黒番だった」と答えるのとは、全く意味が違う。「秀策豪語説」はそうした事情を無視した見当外れで、この種の誤解が一人歩きするのが異時代・異文化理解の危ういところではあるだろう。
 それより、白番で勝ったときに秀策がどんな言葉で結果を伝えたか、そのほうが僕は知りたいな。

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 中国から伝わった碁は、江戸時代に飛躍的な進歩を遂げた。幕末から明治の段階で日本の碁が世界の最高水準にあったことは疑いない。それから100年、日本の碁を日本人以上に研究した韓国、ついで中国が今はトップにある。こうした国際交流もスリリングだが、日本の棋界の中に台湾・韓国・中国、そして少数ながら欧米の棋士のあることが無性に楽しい。
 その歴史をたどる中で、呉清源(中国)、林海峰(台湾)、趙治勲(韓国)の三人の名前を絶対に外せないことは、確か前に書いた。何度も書くなと言われそうだが、何度書いても楽しいのでね。

 楽しいというより驚き賛嘆するのは、この人々の日本語の達者なことだ。ただ達者というのではない、時として非常に味わい深い言い回しが聞かれたりする。アメリカ出身マイケル・レドモンドの日本語などは、国語のお手本に使いたいほど整然としており、明晰で美しい。「日本語って、こんな風に話せるんだ」と感心する。
 「日本語は曖昧」なんてウソだよ。使い手のアタマが曖昧なだけだ。レドモンドの囲碁解説を聞けば、目から鱗が落ちるから。

 で、ようやく本題。
 先週の新聞棋譜は、井山裕太に続く若手の俊英・村川大介七段と、井山の台頭までは平成四天王の中でもアタマ一つ抜けかかっていた超実力者の張栩九段(台湾出身)。激しい競り合いの連続、前半戦で優位を築いた村川が、張の猛追に思いがけない失着で星を落とす。新聞解説の林海峰・名誉天元は張の師匠であり同郷人でもあるが、むろん解説は公平至極。かつて林海峰と石田芳夫の死闘を、林の師である呉清源が冷徹に解説したことが思われる。
 その林さんが、クライマックスの村川の一手を指して、

 「指運がなかった」

 と評したのだ。
 「指運」、何て味わい深い言葉だろうね。
 むろん碁石は指でつまむからだが、そこには巨大な水面下がある。碁の修練の中で、指を動かさずにする純粋に内的なイメージトレーニングが、ひとつは大事だ。次の一手を選択する際、いくつかある選択肢のそれぞれに引き続いてどういう変化が盤上に広がるか、手を動かさずに頭の中でシミュレートできないといけない。そのために役立つのが詰め碁の訓練で、「盤に並べず頭の中で解け」というのはここに関わっている。
 これと対を為して劣らず重要なのが「棋譜並べ」で、これは棋譜をたどって先人同輩の碁を盤上に再現するのだが、この時には手で実際に石を置いていくのが肝要とされる。石の形や流れのあり方を、目と頭だけでなく手を動員して身につける(=身体化する)。感覚の末梢起源説にも通じることで、棋理はまさしく「身につける」ものなのだ。

 【注: 「身につける」って、深い表現ではないか?】

 そうした棋道の仔細を背景に置いてみると、「指運がなかった」ということばの味わい深さがわかるだろう。一瞬の光芒、惜しいかな、指が急所をわずかに外した。

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 味わいで思い出した。
 碁に「味が悪い」という表現がある。局地的な石の配置に関して、はっきりした欠陥とまではいえないものの、ひょっとすると/他の部分の動静によっては、将来に禍根を生じるかもしれない不備の兆しがあるとき、「味が悪い」というのである。

 ある本で読んだんだが、あるとき日本棋院御一行様が、確かハワイに指導のため出かけることになった。ところが非常な悪天候で、飛行機が大揺れに揺れだした。藤沢秀行(故人)などは酔っ払って「落ちろ、落ちろ」と大騒ぎしている。怖くないんだかなんだか、碁も強かったが大のギャンブル好きで、破天荒とはこの人のこと。対局場にまで借金取りの電話がかかってきたという剛の者だから、落ちれば保険金が入るさぐらいに思っていたのかもしれない。趙治勲さんなども乱入して、その一画の騒ぎだけで飛行機を落としそうだ。回りの客は良い迷惑だったろう。
 いっぽう林海峰さん、こちらは温顔を崩さず大人の風格、常識的な人々はその回りに穏やかな集まりを作り、まったくもって対照的な風景だったという。目のあたりに浮かぶようだ。

 飛行機はいったん日本に引き返し、やがて天候の回復を待って再出発することになった。エンジントラブルではないから、飛行機は同じ機体を使うことになる。そう聞いた林さんが、笑顔でおっしゃったそうな。
 「そうなの?同じ飛行機っていうのは、ちょっと味が悪いね・・・」