(キョウカノコ ミヤコワスレて ひなのにわ)
ミヤコワスレ(キク科シオン属)の名の由来は、鎌倉時代に承久の乱に破れた順徳天皇が北条家によって佐渡島に流された際に、この花を見て心を慰め、都恋しさを忘れたとの伝承による、という。
京鹿の子(バラ科、シモツケソウ属)の由来は、調べてもさっぱり分からない。
「鄙」とは、①都市部から離れた地(辺鄙)、②つまらなく卑しい(野鄙)③自分のことをへりくだっていう語(鄙見)だそうである。
↑ミヤコワスレ、キョウカノコ↓